2020年6月9日火曜日


 


     6月6日 編集手帳 より   読売新聞朝刊記事
 
   横田 滋さん 老衰で亡くなる
 
 古いはがきに福島県郡山市の郷土玩具「三春駒みはるごま」の絵があしらってある。「たくや てつや おとうさん おかあさん もうすぐかえるよ まっててね めぐみ」◆1975年の暮れ、小学5年生だった横田めぐみさんが旅先から家族に出した便りである。各地を巡回した父滋さんの写真展に展示されていた。めぐみさんが中学からの帰り道、北朝鮮の工作員に拉致されたのは2年後の1977年11月15日のことだった◆「もうすぐかえるよ まっててね」。滋さんと母の早紀江さんの耳元に、めぐみさんの声が響かなかったことはその日以来、一日たりともなかったに違いない◆滋さんが老衰のため亡くなった。87歳だった。生涯の半分は、娘はどうしているかと心配に身をやつし、どうか生きて帰ってほしいと、祈りをささげながら過ごした。「たくや てつや おとうさん おかあさん」。もう一つ耳元に響いていたのは、娘が泣き叫んで家族を呼ぶ声にほかならないだろう◆めぐみさんのもとに悲しい知らせは届くだろうか。見送ることもかなわないのだろうか。日本海の向こうに人の心を持たない国がある。