9月16日 よみうり寸評
「牛」という詩の冒頭で高村光太郎はその特徴を挙げた。〈のろのろと歩く〉と。だが意思は強い。〈牛は
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「牛」という詩の冒頭で高村光太郎はその特徴を挙げた。〈のろのろと歩く〉と。だが意思は強い。〈牛は
税金の申告をする際には白色申告よりも青色申告をしたほうがメリットが大きいということは、多くの方がご存じのことでしょう。
事業を営んでいる方が毎年している確定申告の他にも、相続した後にする税金の申告でも青色申告を利用できる場合があります。
ただし、今まで青色申告をしていなかった方の場合には、決められた期限内に青色申告承認申請書を納税地の税務署へ提出しなければなりません。
今回は、相続した後の税金の申告で青色申告を利用できるのはどのような場合か、いつまでに青色申告承認申請書を提出すればよいのかについて説明します。
青色申告には、主に次のようなメリットがあります。
・ 最大65万円の青色申告特別控除が受けられる
・ 専従者に支払った給料を全額経費にできる
・ 赤字の全額を3年間にわたって繰り越せる
・ 30万円未満の取得資産を一括で経費に計上できる
・ 貸倒引当金を一括評価で計上できる
青色申告をするには手間がかかりますが、白色申告よりも税制上のメリットが格段に大きいので、所得税の確定申告をする際には青色申告の利用を検討するとよいことでしょう。
青色申告を利用できるのは、次の3つの所得のいずれかがある人が所得税の確定申告を行う場合です。
・ 事業所得
・ 不動産所得
・ 山林所得
したがって、相続後の税金の申告で青色申告を利用できるのは、
・ 相続によって故人から事業を承継した ・ アパートなどの収益不動産や山林を取得した場合ということになります。
継承、取得した後にご自身の所得税を確定申告する際に青色申告を利用できます。
相続制を申告する際には、残念ながら青色申告のような特典付きの制度はありません。
上記のとおり、青色申告は所得税の確定申告を行う際に利用できる制度だからです。
今までに確定申告をしたことがない方や、確定申告をしたことはあっても青色申告の承認を受けずに白色申告をしていた方の場合には、青色申告承認申請をしなければ青色申告の利用はできません。
たとえば、会社員の方が相続によって親が所有していたアパートを取得すると、不動産所得が発生し翌年から確定申告が必要となる場合があります。
その場合、一定の期限までに青色申告承認申請書を納税地の税務署に提出しておかないと、少なくとも翌年の確定申告は白色申告でしなければなりません。
たとえ故人が青色申告を利用していたとしても、青色申告者の地位まで相続できるわけではありません。
相続後のご自身の所得税の確定申告を青色でするためには、青色申告の承認申請が必要です。
一方、既に青色申告の承認を受けている方は、相続によって事業を承継したり、収益不動産を取得したりしても、改めて青色申告承認申請書を提出する必要はありません。
色申告承認申請の期限は、故人がどのように申告していたかで異なります。
故人が白色で申告していた場合には、
亡くなった日から2か月以内、またはその年の3月15日のどちらか遅いほうの日までに青色申告承認申請を提出しなければなりません。
一方、故人が青色で申告していた場合は、相続人(承継者)の申請期限についても特典があり、原則として亡くなった日から4か月以内とされています。
ただし、亡くなったのが9月以降の場合にはその年の残り期間が4か月を切っているため、次のように調整されています。
・ 9月1日~10月31日の間に亡くなった場合:その年の12月31日まで・ 11月1日~12月31日の間に亡くなった場合:翌年の2月15日まで
相続が発生した場合に相続税の申告を気にする方はいても、その後のご自身の所得税の確定申告にまでは関心の及ばない方が多いのではないでしょうか。
事業を承継した場合には、もともと税理士が関与していることが多いので問題となるケースは少ないようです。
しかし、アパートなどの収益不動産を相続した場合には、確定申告の時期が近づくまで所得税のことを気にしない方が多いようです。
また、故人が白色で申告していた場合には、亡くなってからわずか2か月で青色申告の承認申請期限が過ぎてしまいます。
青色申告承認申請書は、できる限り早く提出するようにしましょう。(執筆者:元弁護士 川端 克成)
行政改革に関し「複数の省庁に分かれている(デジタル化)政策を強力に進めるデジタル庁を新設する」と明言。「規制改革をこの政権のど真ん中に置く」と述べ、河野太郎行政改革担当相に「縦割り110番」の新設を検討するよう指示したと語った。衆院解散については「コロナをコントロールし、経済の回復を目指すことにまずは専念したい。1年以内に総選挙がある。時間の制約も視野に入れながら考えていきたい」と述べるにとどめた。
菅氏は16日朝、東京・赤坂の議員宿舎周辺で日課の散歩をし、ホテルで秘書官と打ち合わせ。安倍内閣総辞職の臨時閣議に官房長官として出席した後、党本部で広報用の写真撮影をした。午後1時前、官邸から去る安倍晋三前首相を見送ってから衆院本会議場に向かった。
首相指名選挙は衆院(投票総数462票)が菅氏314票▽立憲民主党の枝野幸男氏134票▽日本維新の会の片山虎之助氏11票▽無所属の中山成彬氏2票▽自民党の小泉進次郎氏1票。参院(同240票)は菅氏142票▽枝野氏78票▽片山氏16票▽国民民主党の伊藤孝恵氏1票▽白票3票の結果だった。いずれも菅氏が過半数を得た。菅氏は官邸で公明党の山口那津男代表と党首会談を行い組閣本部を設置。加藤勝信官房長官(64)=竹下派=が会見で閣僚名簿を発表した。
初入閣は5人で、閣僚経験者4人を再登用。2025年の大阪・関西万博に関する特別措置法に基づく万博担当相が新設され、閣僚ポストは1増の20となった。第4次安倍再改造内閣からの残留は11人。麻生太郎副総理兼財務相(79)=麻生派=ら8人が再任され、3人が横滑りで担当を変わった。
トランプ米大統領周辺に人脈を持つ阿達雅志・元党外交部会長(60)を新たに首相補佐官に起用した。
菅氏は秋田県出身者で初の首相。派閥に所属せず、国会議員の親族を持つ世襲でもない「無派閥・非世襲」議員が自民党から首相となるのは異例だ。【笈田直樹】
菅義偉首相は16日の記者会見で、今春の開催が見送られた首相主催「桜を見る会」に関し、「私が首相に就任したのを機に来年以降、今後は中止したい」と明言した。菅首相は「安倍政権が長くなる中で招待客が多くなり、会の在り方についてもいろいろな批判がある」と指摘した。
桜を見る会をめぐっては昨年、安倍晋三前首相の後援会関係者が多数招かれていたことが「税金の私物化」と批判された。これを踏まえ官房長官だった菅氏が今春の開催中止を発表。2021年度予算案の概算要求までに開催方法などを見直す方針を示していた。
菅首相は会見で、来年以降も中止する理由について「今はコロナ対策に集中したいという強い思いの中で、予算要求しないことを決めた」と説明した。一方、森友学園への国有地売却をめぐる公文書改ざん問題に関しては「既に財務省で調査、処分を行っている。検察の捜査も行われて結論も出ている話だ」と述べ、再調査に否定的な立場を重ねて示した。
「巨人6-3阪神」(15日、東京ドーム)
阪神は勝てる試合を落とした。大きなポイントは四回の阪神・ボーアの打撃だと思う。あそこで来るはずの流れを手放してしまった。
大山の振り逃げで1死一、三塁と好機が転がり込んできた場面で、初球を遊飛は痛い。最低でも犠飛と思い、打球を上げようとしていたが、菅野のようにキレのある球にこういう打撃をするとポップフライになりがちだ。バットを上から出してヒットを狙う方が、こういう場面ではいい。
以前からボーアはポップフライを打つ姿が目立つ。サンズ、大山がいいだけに、ボーアが打てばさらに打線はつながるのだが、今のままの打撃では苦しいだろう。
七回の梅野のバスターも疑問が残る。終盤に2点差で無死一、二塁ならば、犠打で2点を取りにいくべきだろう。おそらく初球がボールで次はストライクが来るとベンチは読んだのだろうが、その作戦はどうかと感じた。
巨人にマジックが出たが阪神は勝ち続けるしかない。そのためにも、ボーアにはもう少し頑張ってほしい。
グループサウンズの『ザ・タイガース』のメンバーでタレント、俳優の岸部四郎さんが8月28日、拡張型心筋症による急性心不全のため、千葉県内の病院で死去していたことがわかった。71歳だった。
一世を風靡した『ザ・タイガース』。グループ解散後は俳優、テレビ、映画などで活躍し、個性派俳優&司会者として人気を集めていた。年収は2億円といわれた四郎さんだったが、'98年には知人の借金の連帯保証人だったことや浪費癖が重なり自己破産、所属事務所から解雇された。
'03年には脳出血で倒れ、その後は視野狭窄や歩行に困難を抱えるなど後遺症に悩まされる。'07年には敏腕マネージャーでもあった最愛の妻を突然死で失い、さらにパーキンソン病も患うなど、まさに波乱万丈の人生だった。
2011年6月、週刊女性は自宅近所の公園で歩行訓練をする四郎さんを取材している。その際、不安神経症と診断されたことを明らかし、
「予見不安なんです。転ぶんじゃないかとか。それで、少しずつ引きこもりがちになってしまって」と胸中を語っていた。
その姿は、お茶の間を賑わせていたころのふっくらとした外見とはまるで別人のように痩せ細っており、世間に衝撃を与えることに。その5か月後に再び取材した際には、復帰を待ち望むファンの声に対し「こんな状態じゃ、出られるわけないよ」と弱音をポツリ。
だが、その半年後の1月24日、四郎さんの姿は日本武道館のステージ上にあった。
沢田研二(ジュリー)のライブツアー『沢田研二LIVE 2011-2012』に四郎さんの兄・一徳(サリー)、森本太郎(タロー)、瞳みのる(ピー)が全公演にゲストとして参加、その最終日に四郎さん(シロー)が駆けつけたのだ。
'71年1月24日に日本武道館で解散コンサートを行っていた『ザ・タイガース』。なんと41年ぶりの同じ日、同じ場所に5人が揃ったということで、一夜限りの“再結成”となったステージは大きな感動を呼ぶこととなった。
週刊女性では、当時のコンサートの様子をこう伝えている。
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不意に一徳がベースを下ろすと、舞台の袖に消えた。そして、四郎と一緒に姿を見せたのだ。
兄に支えられながら、四郎は自らの足でしっかりと歩いた。ステージの真ん中に用意されたイスに腰かけると、すすり泣く声があちらこちらから聞こえてきた。
初めは緊張からくぐもった声で「こんなステージに立てるなんて夢のよう。ジュリーありがとう」と話した四郎。だが、次第に得意の話芸が飛び出す。
「1曲とはいわず2曲いきたいところですが、1曲ね」と言って笑いを誘い、女性ファンから「イケてるよ!」と声援が飛ぶと、「どこがイケてんねん」と軽妙に切り返して沸かせた。
イスに座ってザ・ビージーズの『若葉のころ』を懸命に歌い上げると、この日1番の割れんばかりの拍手が。
退場の際、体を支えている一徳に対して「誰?」などと持病の視野狭窄を逆手にとってボケるなど、最後まで四郎らしさを貫き、名残惜しそうにステージを去っていった。
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四郎さんがステージで歌ったのはなんと30年ぶりだったという。そんな四郎さんの熱唱に客席も涙。そのライブの様子は、翌日のスポーツ紙を賑わせ、ファンにとっても本人たちにとっても“忘れられない夜”になったのだ。
のちに、兄の一徳は週刊女性の独占インタビューでこう振り返っている。
「ギリギリまで四郎も自信なかったみたい。だけど、武道館に向けて頑張っていましたよ。カラオケで練習したり、歩行の訓練をしたりね。(中略)
四郎は立って歌いたかったんです。当日はイスに座ってという形になりましたけどね。舞台袖までは車イスでしたが、ステージ上では歩くという目標はクリアできた。
ただ彼は元気なときに歌っていた記憶、しゃべっていた記憶があって、そのときの自分と今を比べてしまうんですね。でも、そんなこと忘れていいんですよ。まだまだ気力はあるし、面白いことも話せる。もともと持っているおもしろさがありますからね。
久しぶりに四郎の歌を聴いて、えこひいきじゃなく、歌は大丈夫だと思いましたよ。高い声も出ていましたからね。自信がないだけなんですよ」(2012年2月21日号より)
その後、'13年に『ザ・タイガース』は正式に再結成し、四郎さんはその年のライブツアー最終日の東京ドーム公演に車椅子で出演。それが最後の公の場となった。
ずっと闘病を続けながら復帰を目指していたという。
「四郎は僕よりもよっぽど才能がある。司会だって面白いし、俳優の部分だって」(前出の一徳インタビューより)
ミュージシャン、俳優、タレントとしての才能に溢れ、その独特なキャラクターで多くの人に愛されていた四郎さん。またステージで歌う姿が見たかった、そのお芝居を、四郎節を、再び見せてほしかったーー。突然の訃報に驚きと悲しみの声が広がっている。
【ニューヨーク時事】米ケンタッキー州ルイビルで3月、就寝中だった黒人女性の救命士ブリオナ・テイラーさん=当時(26)=が警官に射殺された事件で、ルイビル市は15日、市が遺族に1200万ドル(約12億6500万円)を支払い、市警が再発防止に取り組むことで和解したと発表した。遺族の弁護士は、警官の「不当行為」で死亡した黒人女性に対する和解金としては過去最高と述べている。
記者会見したルイビルのフィッシャー市長はテイラーさんの死亡に対し「深くおわびする」と謝罪。関わった警官に対する捜査は続いており、テイラーさんの母親は「ブリオナに対する完全な正義に向けた始まりにすぎない」と述べ、警官の刑事訴追を求めた。
昨年成立した特別措置法に基づき、2025年に開かれる大阪・関西万博の担当相を新たに置き、麻生派の井上信治元環境副大臣(50)を充てる。
自民党は15日の臨時総務会で、党運営の要である二階俊博幹事長の続投を含む党四役人事を決定。新政権の骨格が固まった。
菅氏は15日夜、加藤氏に官房長官就任を要請し、加藤氏が受け入れた。加藤氏は第2次安倍政権で官房副長官に起用され、首相官邸で菅長官を支えた後、1億総活躍担当相や厚労相を歴任。旧大蔵官僚出身で政策全般に詳しく、実務能力に定評がある。
赤羽一嘉国土交通相(62)=公明党=、萩生田光一文部科学相(57)=細田派=、橋本聖子五輪担当相(55)=同=、小泉進次郎環境相(39)=無派閥=も再任が固まり、二階派の平沢勝栄広報本部長(75)の復興相、石原派の坂本哲志元総務副大臣(69)の1億総活躍相としての初入閣が決定。平沢、坂本両氏は派閥が入閣を求めていた。
武田良太国家公安委員長(52)=二階派=は総務相に起用され、細田派の野上浩太郎前官房副長官(53)は農林水産相で初入閣する。岸田派の上川陽子元法相(67)が法相、同派の平井卓也元科学技術相(62)がデジタル担当相、無派閥の小此木八郎元防災担当相(55)が国家公安委員長でそれぞれ再入閣する。
厚労相には石破派の田村憲久政調会長代理(55)を充てる。河野太郎防衛相(57)=麻生派=は行政改革・規制改革担当相に、安倍晋三首相の実弟で細田派の岸信夫元外務副大臣(61)は防衛相への起用が決まった。
官房副長官には坂井学元総務副大臣の起用と、岡田直樹参院議員の再任が内定した。坂井氏は菅氏に近い無派閥議員グループの一員。