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新型コロナウイルスの蔓延 により、世界中で多くの産業が苦境に立っている。が、中には業績を伸ばした業種もある。
今年4月22日の読売新聞夕刊に<ネットフリックス会員 1580万人増>という記事が載った。ネットフリックスはアメリカに本社を置くインターネット動画配信会社だ。このグローバル企業が、今年1~3月期に世界の有料会員数を約1580万人増やし、3月末に合計で約1億8300万人になったと発表した。日本を含むアジア・太平洋地域では360万人増。3月には欧米の多くの国がロックダウン(都市封鎖)し、家から出られない待機時間をやり過ごすためにネットで映画やアニメを見る人が増えたことは容易に想像がつく。日本でも4~5月をそうやって過ごした人は多かったことだろう。
とはいえ、日本でも動画配信が盛んになったのは、コロナ以前からの傾向だ。ネットフリックス以外にも、アマゾンプライムビデオ、Hulu、スポーツに特化したDAZN、日本のテレビ局によるTverなど、サービスが花盛り。月に500~2000円程度の定額料金(Tverは無料)を払えば、映画、テレビドラマ、ドキュメンタリー、バラエティーなど膨大な作品群から、見たいものを選んで、いつでも見ることができる。
「いい話」の主に冷ややかな記事
見たい映像作品を自宅で好きなだけ見られるという環境は、2世代くらい前の日本人には夢のような話だった。筆者が生まれた1960年代半ばには、家で映画を見ようと思う人は、映写機とフィルムを所有することになった。
75年(昭和50年)10月12日の読売新聞朝刊の「人間登場」というコーナーに、<伊丹万作の遺作「気まぐれ冠者」を再び世に出した街の映画コレクター>という人物の記事が載っている。名監督の貴重なフィルムを提供し、東京国立近代美術館フィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)が複写することになったという、いわゆる「いい話」のはずなのだが、なぜか記事はコレクターご本人に冷淡だ。
<蔵書狂の中には、同じ奇書が二冊あると両方買い込んで一冊燃やしてしまう人もあるそうだ。収集家のエゴ、各分野で共通らしい>
<手持ちのフィルム、約三百六十本。(中略)しかし、詳しい入手経路や金額は、ついに明かしてくれなかった。コレクター心理が働くのか、あるいは経営者(コンクリート建築の鉄筋づくり)として税務対策の思惑があるのかも知れぬ>
やや変人扱いである。おそらくはコレクターという人々に対する当時の世間の見方を反映しているとも推測できる。
ホームビデオの登場で「誰でも映画コレクター」に
「家で映画を見る」のが一部の好事家だけの娯楽という状況を大きく変えたのは、ホームビデオの登場だ。60年代から存在はしたものの高価だった家庭用ビデオレコーダーは、70年代の終わり頃にはVHSやベータマックスというテープの規格が作られ、価格も安くなって普及した。85年(昭和60年)7月2日夕刊の連載コーナー「データ」では、NHKの同年3月の調査で、家庭用ビデオの普及率が全国平均で33.7%に達したと報じている。用途は、テレビで放送された劇映画の録画が圧倒的に多い。誰でも映画コレクターになれる時代がやってきたのだった。
そして、ビデオデッキの普及を追いかけるように、レンタルビデオという業種が始まる。83年(昭和58年)3月22日夕刊の芸能面に<貸しビデオテープ発足>という記事がある。
<貸しビデオテープが四月からお目見えする。日本ビデオ協会(石田達郎会長)加盟の製作メーカー十四社が参加、アメリカやヨーロッパではかなり普及しているレンタル・システムを積極的に広げようというもので、もう一つ、貸しレコードのように問題が起こらぬうちに著作権について基準を作り、不法業者を排除しよう、というねらいもある>
実はレンタルビデオに先立ち、貸しレコード店が急激に増え、同時にトラブルが起きていた。初期には多くが個人営業で、購入したレコードをそのままレンタルしていたため、音楽業界が著作権侵害と猛反発して訴訟を起こし、著作権法が改正され、業界の規制も設けられた。そんな悪しき前例があったため、レンタルビデオは最初から組織的にルールを定め、メーカーの合意のもとに営業が始まったというわけだ。
そしてレンタルビデオの全盛期来たる
86年(昭和61年)5月29日夕刊芸能面の記事<大もて貸しビデオ>によると、<一年前に全国で千二百店だったレンタル店が二・二五倍の二千七百店に激増した>という。最初のうちは1泊2日で1500円もした価格は、数年のうちに600~800円に下がった。家庭用ビデオの普及と歩調を合わせて、レンタルビデオ店は増えていった。
89年1月、昭和天皇崩御の際にも、レンタルビデオ店は話題に上った。平成元年になって2日目、1月9日夕刊芸能面の「see sow」という解説記事は、崩御に伴うテレビや音楽・演劇・映画業界の対応を伝えている。
<七、八日の二日間、NHKと民放はテレビ、ラジオ番組をニュースと報道、企画を中心に特別編成した><特別編成の反動は、別の面に現れた。娯楽番組が皆無だったため、レンタル・ビデオ店は大にぎわい。映画を中心に、平常の三、四倍のソフトが貸し出された>
今でもよく言及される出来事だが、残念ながら筆者の記憶にはない。当時、甲府支局に勤務していた筆者は、前日からの泊まり勤務で、原稿を書いているうちに明け方を迎え、崩御が報じられてそのまま紙面作りに入ったので、7日の夜に仕事から解放された時にはレンタルビデオどころではなく、ただ眠いだけだったのだと思う。とはいえ、当時の甲府市内にもレンタルビデオ店は何軒もあり、よく使っていたのは覚えている。
「Vシネマ」定着の背景には
レンタルビデオの盛況は、新しい映像分野も生み出した。1990年(平成2年)8月6日夕刊芸能面の<ビデオ専用映画が定着>は、こんなふうに始まっている。
<ビデオの時代を反映して、ビデオ用のオリジナル映画が、目立ち始めた。三万本近いヒット作も出ており、一つの流れになりそうな勢い>
レンタルビデオ店の主力商品は劇場用映画だったが、この時期は日本映画が低調で、製作本数が減っていた。日本映画製作者連盟の公式サイトに、55年以降の邦画の製作本数が年ごとに掲載されているが、91年が最も少ない(230本。ちなみに2019年は689本)。当然ながらビデオ化できる作品も少ないわけで、それなら作ってしまえということで始まったのがビデオ用作品だ。いわば、家で見るための映画である。
その代表的レーベルが、東映ビデオの「Vシネマ」。89年に作られた「クライムハンター 怒りの銃弾」(世良公則主演)に始まり、記事の時点で7作品が発表済み。以後、他社も含め、アクションや任侠もの、ホラーなどの娯楽作品が数多く生み出され、「Vシネマ」は他社製品も含めたレンタルビデオ向け作品の代名詞にもなった。
記事にはこうも書かれている。<関係者の間には、こうしたビデオ用映画を、新人監督の登竜門として期待する声もある。また、一部には、「ビデオから人気スターを」という思惑もあるようだ>
実際、Vシネマは哀川翔さんや竹内力さんのようなジャンル内スターを生んだ。三池崇史監督や黒沢清監督、遠藤憲一さん、故・大杉漣さんたちも、ビデオ用作品での経験を生かして映画やテレビドラマで活躍するようになっていった。
40作以上に主演し「Vシネマの帝王」と呼ばれた哀川さんは、2014年(平成26年)に東映Vシネマ25周年記念作「25 NIJYU―GO」に主演した。同年11月7日の夕刊に、公開に際してのインタビューが掲載され、味わい深いコメントが連発されている。
<「デジタルは似合わない。Vシネはやはりアナログ。体を張ることで、リアリティーが出る」><厳しいビデオ業界の中で「勝ち目のある戦い方をしたい」と思ってやってきたという。企画段階で「これは無理だ」と思ったら、はっきりそう言ってきた。「大丈夫と思わせてくれれば、しくじりはしないよ」>
大杉漣さんも、16年(平成28年)2月22日夕刊のインタビュー記事で語っていた。
<「当時の映画、テレビではできなかったことがVシネではできた。だから、学ばせてもらったし、大事な現場だった」>
予算も製作日数も限られ、内容も荒々しいものが多かったビデオ用作品は、映画やテレビドラマに比べて軽く見られがちだ。けれども、携わった人たちはプライドを持って懸命に取り組んでいたことがうかがえる。
動画配信サービスに押され……
レンタルビデオ店は、主な取り扱い商品をビデオテープからDVD、さらにブルーレイへと変え、ゲームソフトや漫画も扱いながら発展したけれど、近年は縮小気味だ。日本映像ソフト協会などが今年5月に発表した「映像ソフト市場規模及びユーザー動向調査2019」によると、映像ソフトのレンタル市場は、2007年には3604億円あったが、以後年々減り続け、19年には1259億円に。セル市場も07年の3038億円から、19年には1976億円に。一方、有料動画配信は、統計を取り始めた2013年には597億円、19年には2404億円まで伸びた。昨年は、この3分野で初めて有料動画配信がトップになった年でもあった。
今は、スマートフォンというインフラの普及に伴って動画配信サービスが成長している。スマホだけでなくパソコンでも見られるし、自宅のテレビにつなげば、大画面で見ることもできる。店に足を運ぶ必要すらない。筆者もいくつかの動画配信サービスに加入して、通勤中にタブレットで映画や海外ドラマを楽しんでいる。
かつての映画コレクターの夢は、(「所有する」という点を別にすれば)誰もが楽しめる現実になった。
映画館でしか得られないもの
とはいうものの、「スマホで動画配信される映画を見る」ことと「映画館で映画を見る」ことはイコールではない。どちらが上とか下とか言うつもりはないが、別のものだ。
映画館のある街に出かけ、暗闇の中で、他の観客の息づかいを感じながら、集中して映画を見る。館を出た後は、喫茶店でパンフレットを読みながら、見たばかりの映画について考え、時には感想を文章に残す。一緒に見る人がいれば、食事などしながら感想を語り合う。そのような前後の出来事も含めて丸ごとが「映画館で映画を見る」という体験だ。
(もちろん、通勤電車の中で細切れに、あるいは誰かの家に集まって飲み食いしたり、おしゃべりしながら配信動画を見るのも「体験」だ。新しいメディアは新しい体験の形を作っていく)
その意味で映画館は、他の手段では得られない体験をさせてくれる貴重な場である。なくなってしまっては困る。コロナ禍で苦境に立つ映画館を、微力ながら応援していきたい。