2020年8月24日月曜日

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 新型コロナウイルスの蔓延(まんえん)により、世界中で多くの産業が苦境に立っている。が、中には業績を伸ばした業種もある。
ソニーが作った、世界初の家庭用ビデオテープレコーダー。価格は19万8000円=1964年(昭和39年)11月18日朝刊
ソニーが作った、世界初の家庭用ビデオテープレコーダー。価格は19万8000円=1964年(昭和39年)11月18日朝刊
 今年4月22日の読売新聞夕刊に<ネットフリックス会員 1580万人増>という記事が載った。ネットフリックスはアメリカに本社を置くインターネット動画配信会社だ。このグローバル企業が、今年1~3月期に世界の有料会員数を約1580万人増やし、3月末に合計で約1億8300万人になったと発表した。日本を含むアジア・太平洋地域では360万人増。3月には欧米の多くの国がロックダウン(都市封鎖)し、家から出られない待機時間をやり過ごすためにネットで映画やアニメを見る人が増えたことは容易に想像がつく。日本でも4~5月をそうやって過ごした人は多かったことだろう。
ネットフリックスは“巣ごもり需要”で業績を伸ばした=2020年(令和2年)4月22日夕刊
ネットフリックスは“巣ごもり需要”で業績を伸ばした=2020年(令和2年)4月22日夕刊
 とはいえ、日本でも動画配信が盛んになったのは、コロナ以前からの傾向だ。ネットフリックス以外にも、アマゾンプライムビデオ、Hulu、スポーツに特化したDAZN、日本のテレビ局によるTverなど、サービスが花盛り。月に500~2000円程度の定額料金(Tverは無料)を払えば、映画、テレビドラマ、ドキュメンタリー、バラエティーなど膨大な作品群から、見たいものを選んで、いつでも見ることができる。

「いい話」の主に冷ややかな記事

「自宅で映画鑑賞」は、限られた人にしかできなかった=1975年(昭和50年)10月12日朝刊

 見たい映像作品を自宅で好きなだけ見られるという環境は、2世代くらい前の日本人には夢のような話だった。筆者が生まれた1960年代半ばには、家で映画を見ようと思う人は、映写機とフィルムを所有することになった。
 75年(昭和50年)10月12日の読売新聞朝刊の「人間登場」というコーナーに、<伊丹万作の遺作「気まぐれ冠者」を再び世に出した街の映画コレクター>という人物の記事が載っている。名監督の貴重なフィルムを提供し、東京国立近代美術館フィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)が複写することになったという、いわゆる「いい話」のはずなのだが、なぜか記事はコレクターご本人に冷淡だ。
 <蔵書狂の中には、同じ奇書が二冊あると両方買い込んで一冊燃やしてしまう人もあるそうだ。収集家のエゴ、各分野で共通らしい>
 <手持ちのフィルム、約三百六十本。(中略)しかし、詳しい入手経路や金額は、ついに明かしてくれなかった。コレクター心理が働くのか、あるいは経営者(コンクリート建築の鉄筋づくり)として税務対策の思惑があるのかも知れぬ>
 やや変人扱いである。おそらくはコレクターという人々に対する当時の世間の見方を反映しているとも推測できる。

ホームビデオの登場で「誰でも映画コレクター」に

家庭用ビデオデッキの展示会。統一規格をめぐり、メーカーは主導権争いを繰り広げた=1976年(昭和51年)10月4日朝刊
家庭用ビデオデッキの展示会。統一規格をめぐり、メーカーは主導権争いを繰り広げた=1976年(昭和51年)10月4日朝刊
 「家で映画を見る」のが一部の好事家だけの娯楽という状況を大きく変えたのは、ホームビデオの登場だ。60年代から存在はしたものの高価だった家庭用ビデオレコーダーは、70年代の終わり頃にはVHSやベータマックスというテープの規格が作られ、価格も安くなって普及した。85年(昭和60年)7月2日夕刊の連載コーナー「データ」では、NHKの同年3月の調査で、家庭用ビデオの普及率が全国平均で33.7%に達したと報じている。用途は、テレビで放送された劇映画の録画が圧倒的に多い。誰でも映画コレクターになれる時代がやってきたのだった。
ビデオデッキの普及とともに、レンタルビデオは瞬く間に浸透していく=1983年(昭和58年)3月22日夕刊
ビデオデッキの普及とともに、レンタルビデオは瞬く間に浸透していく=1983年(昭和58年)3月22日夕刊
 そして、ビデオデッキの普及を追いかけるように、レンタルビデオという業種が始まる。83年(昭和58年)3月22日夕刊の芸能面に<貸しビデオテープ発足>という記事がある。
 <貸しビデオテープが四月からお目見えする。日本ビデオ協会(石田達郎会長)加盟の製作メーカー十四社が参加、アメリカやヨーロッパではかなり普及しているレンタル・システムを積極的に広げようというもので、もう一つ、貸しレコードのように問題が起こらぬうちに著作権について基準を作り、不法業者を排除しよう、というねらいもある>
 実はレンタルビデオに先立ち、貸しレコード店が急激に増え、同時にトラブルが起きていた。初期には多くが個人営業で、購入したレコードをそのままレンタルしていたため、音楽業界が著作権侵害と猛反発して訴訟を起こし、著作権法が改正され、業界の規制も設けられた。そんな悪しき前例があったため、レンタルビデオは最初から組織的にルールを定め、メーカーの合意のもとに営業が始まったというわけだ。

そしてレンタルビデオの全盛期来たる

 86年(昭和61年)5月29日夕刊芸能面の記事<大もて貸しビデオ>によると、<一年前に全国で千二百店だったレンタル店が二・二五倍の二千七百店に激増した>という。最初のうちは1泊2日で1500円もした価格は、数年のうちに600~800円に下がった。家庭用ビデオの普及と歩調を合わせて、レンタルビデオ店は増えていった。
 89年1月、昭和天皇崩御の際にも、レンタルビデオ店は話題に上った。平成元年になって2日目、1月9日夕刊芸能面の「see sow」という解説記事は、崩御に伴うテレビや音楽・演劇・映画業界の対応を伝えている。
 <七、八日の二日間、NHKと民放はテレビ、ラジオ番組をニュースと報道、企画を中心に特別編成した><特別編成の反動は、別の面に現れた。娯楽番組が皆無だったため、レンタル・ビデオ店は大にぎわい。映画を中心に、平常の三、四倍のソフトが貸し出された>
 今でもよく言及される出来事だが、残念ながら筆者の記憶にはない。当時、甲府支局に勤務していた筆者は、前日からの泊まり勤務で、原稿を書いているうちに明け方を迎え、崩御が報じられてそのまま紙面作りに入ったので、7日の夜に仕事から解放された時にはレンタルビデオどころではなく、ただ眠いだけだったのだと思う。とはいえ、当時の甲府市内にもレンタルビデオ店は何軒もあり、よく使っていたのは覚えている。

「Vシネマ」定着の背景には

ビデオ専用映画が盛んに作られた背景には、劇場用映画の低調もあった=1990年(平成2年)8月6日夕刊
ビデオ専用映画が盛んに作られた背景には、劇場用映画の低調もあった=1990年(平成2年)8月6日夕刊
 レンタルビデオの盛況は、新しい映像分野も生み出した。1990年(平成2年)8月6日夕刊芸能面の<ビデオ専用映画が定着>は、こんなふうに始まっている。
 <ビデオの時代を反映して、ビデオ用のオリジナル映画が、目立ち始めた。三万本近いヒット作も出ており、一つの流れになりそうな勢い>
 レンタルビデオ店の主力商品は劇場用映画だったが、この時期は日本映画が低調で、製作本数が減っていた。日本映画製作者連盟の公式サイトに、55年以降の邦画の製作本数が年ごとに掲載されているが、91年が最も少ない(230本。ちなみに2019年は689本)。当然ながらビデオ化できる作品も少ないわけで、それなら作ってしまえということで始まったのがビデオ用作品だ。いわば、家で見るための映画である。
 その代表的レーベルが、東映ビデオの「Vシネマ」。89年に作られた「クライムハンター 怒りの銃弾」(世良公則主演)に始まり、記事の時点で7作品が発表済み。以後、他社も含め、アクションや任侠もの、ホラーなどの娯楽作品が数多く生み出され、「Vシネマ」は他社製品も含めたレンタルビデオ向け作品の代名詞にもなった。
 記事にはこうも書かれている。<関係者の間には、こうしたビデオ用映画を、新人監督の登竜門として期待する声もある。また、一部には、「ビデオから人気スターを」という思惑もあるようだ>
 実際、Vシネマは哀川翔さんや竹内力さんのようなジャンル内スターを生んだ。三池崇史監督や黒沢清監督、遠藤憲一さん、故・大杉漣さんたちも、ビデオ用作品での経験を生かして映画やテレビドラマで活躍するようになっていった。
 40作以上に主演し「Vシネマの帝王」と呼ばれた哀川さんは、2014年(平成26年)に東映Vシネマ25周年記念作「25 NIJYU―GO」に主演した。同年11月7日の夕刊に、公開に際してのインタビューが掲載され、味わい深いコメントが連発されている。
 <「デジタルは似合わない。Vシネはやはりアナログ。体を張ることで、リアリティーが出る」><厳しいビデオ業界の中で「勝ち目のある戦い方をしたい」と思ってやってきたという。企画段階で「これは無理だ」と思ったら、はっきりそう言ってきた。「大丈夫と思わせてくれれば、しくじりはしないよ」>
 大杉漣さんも、16年(平成28年)2月22日夕刊のインタビュー記事で語っていた。
 <「当時の映画、テレビではできなかったことがVシネではできた。だから、学ばせてもらったし、大事な現場だった」>
 予算も製作日数も限られ、内容も荒々しいものが多かったビデオ用作品は、映画やテレビドラマに比べて軽く見られがちだ。けれども、携わった人たちはプライドを持って懸命に取り組んでいたことがうかがえる。

動画配信サービスに押され……

 レンタルビデオ店は、主な取り扱い商品をビデオテープからDVD、さらにブルーレイへと変え、ゲームソフトや漫画も扱いながら発展したけれど、近年は縮小気味だ。日本映像ソフト協会などが今年5月に発表した「映像ソフト市場規模及びユーザー動向調査2019」によると、映像ソフトのレンタル市場は、2007年には3604億円あったが、以後年々減り続け、19年には1259億円に。セル市場も07年の3038億円から、19年には1976億円に。一方、有料動画配信は、統計を取り始めた2013年には597億円、19年には2404億円まで伸びた。昨年は、この3分野で初めて有料動画配信がトップになった年でもあった。
 今は、スマートフォンというインフラの普及に伴って動画配信サービスが成長している。スマホだけでなくパソコンでも見られるし、自宅のテレビにつなげば、大画面で見ることもできる。店に足を運ぶ必要すらない。筆者もいくつかの動画配信サービスに加入して、通勤中にタブレットで映画や海外ドラマを楽しんでいる。
 かつての映画コレクターの夢は、(「所有する」という点を別にすれば)誰もが楽しめる現実になった。

映画館でしか得られないもの

 とはいうものの、「スマホで動画配信される映画を見る」ことと「映画館で映画を見る」ことはイコールではない。どちらが上とか下とか言うつもりはないが、別のものだ。
 映画館のある街に出かけ、暗闇の中で、他の観客の息づかいを感じながら、集中して映画を見る。館を出た後は、喫茶店でパンフレットを読みながら、見たばかりの映画について考え、時には感想を文章に残す。一緒に見る人がいれば、食事などしながら感想を語り合う。そのような前後の出来事も含めて丸ごとが「映画館で映画を見る」という体験だ。
 (もちろん、通勤電車の中で細切れに、あるいは誰かの家に集まって飲み食いしたり、おしゃべりしながら配信動画を見るのも「体験」だ。新しいメディアは新しい体験の形を作っていく)
 その意味で映画館は、他の手段では得られない体験をさせてくれる貴重な場である。なくなってしまっては困る。コロナ禍で苦境に立つ映画館を、微力ながら応援していきたい。

増える会食 減る会見…政局迫る自民党

政治部デスク 川上修
 ドイツの哲学者カントは、食事を1人で済ませることを極度に嫌った。ある日、食事相手がいなかった彼は、召し使いに館の前を通りがかった最初の1人を招くよう命じたほどだ。「リヨンの料理人 ポール・ボキューズ自伝」(晶文社)に、そう書いてある。
 語らいながら楽しむ食事は人生を豊かにする。コロナ禍でそんな常識が通じなくなり、「大人数での会食」が悪者扱いされる今の風潮は、カントの有名な言葉を借りれば「コペルニクス的転回」と言えるかもしれない。
故・吉田博美前参院幹事長の墓参り後、記者団の取材に応じる石破茂・元幹事長。他派閥の議員とも会食を重ねている。(8月7日、東京都新宿区で)故・吉田博美前参院幹事長の墓参り後、記者団の取材に応じる石破茂・元幹事長。他派閥の議員とも会食を重ねている。(8月7日、東京都新宿区で)
 会食は、人と人との心理的距離を縮め、相手の本音を引き出す上でも有効だ。大方の政治家は、その効用をよく理解している。それが証拠に、かつては「料亭政治」という言葉があった。緊急事態宣言の発令中こそ自粛していたが、自民党の有力者たちは連日のように会食を重ねている。会食よりも自宅での読書を好む石破茂・元幹事長でさえ、最近は会食の機会を増やしているそうだ。
 「ポスト安倍」を含む有力政治家がコロナ禍にめげず会食に精を出すのは、政局が迫っていることを肌で感じているためだ。政府のコロナ対応は国民の不評を買い、内閣支持率は下がり続けている。全国一斉休校や緊急事態宣言の全国拡大は、たしかに唐突な面があった。最近では「Go To トラベル」の東京除外が物議をかもした。振り回されたあげく、新型コロナの感染者数が高止まりして我慢の生活が続くとなれば、政府に不満をぶつけたくなる気持ちも分かる。
通常国会閉会後の6月18日以来、約50日ぶりに記者会見を行った安倍首相(8月6日、広島市で)=代表撮影
通常国会閉会後の6月18日以来、約50日ぶりに記者会見を行った安倍首相(8月6日、広島市で)=代表撮影
 首相はきょう24日、連続在職日数が2799日に達し、佐藤栄作を抜いて歴代最長となった。政治記者のはしくれとしてはコロナ対応だけでなく、政権の来し方行く末について、じっくりと話を聞いてみたいところである。
 カントが人生最後に漏らした言葉は、「これでよい」だと伝えられている。首相は、国民との距離が開きつつある現状をどう思っているのだろうか。自民党総裁任期は1年以上、残っている。「これでよい」と割り切るには、まだ早すぎる。

大衆薬子会社の売却を発表した武田薬品工業(東京都中央区で)大衆薬子会社の売却を発表した武田薬品工業(東京都中央区で)
 武田薬品工業は24日、ビタミン剤「アリナミン」や風邪薬「ベンザブロック」などを製造する大衆薬子会社を、米投資ファンドのブラックストーン・グループに売却すると発表した。売却額は約2420億円。売却で得た資金を使い、海外企業の買収で膨らんだ負債の圧縮を図る。武田薬品のクリストフ・ウェバー社長は、オンラインの記者会見で「事業譲渡により、将来の成長にとって必要な投資を継続することができる」と述べた。売却は2021年3月31日を予定している。
 売却する子会社は「武田コンシューマーヘルスケア」で、16年に設立された。武田薬品が全株式を保有している。知名度の高い製品を扱っているが、売上高は全体の2%程度にとどまっている。
 武田薬品は、19年1月にアイルランド製薬大手シャイアーを総額約460億ポンド(6兆円超)で買収するなど、積極的に事業を拡大してきた。その結果、純有利子負債が5兆円超に膨らみ、財務の改善が急務となっていた。がんや消化器系などの分野を中核事業に位置づけ、相乗効果が薄い事業の売却を進めている。

国内の新規感染490人、3日連続で1000人を下回る


 国内で24日に確認された新型コロナウイルスの新規感染者は、36都道府県と空港検疫を合わせ490人で、3日連続で1000人を下回った。死者は神奈川と沖縄で各4人、東京と大阪で各2人など計13人だった。東京都では新たに95人の感染が確認された。1日当たりの新規感染者が100人を下回るのは、7月8日(75人)以来、約1か月半ぶりだ。直近1週間の平均陽性率も5・0%と前週(17日)の5・5%から0・5ポイント低下した。
 都の担当者は「お盆休み前に感染対策の徹底を呼びかけた効果が表れた可能性がある。感染拡大のピークを過ぎたかについては、専門家の意見を聞いた上で判断したい」としている。
 兵庫県では8人、京都府では7人の感染が判明した。兵庫は7月20日以来35日ぶり、京都は8月16日以来8日ぶりに1桁にとどまった。北海道では、北見市の道立高校で生徒2人の感染が判明し、24日から休校となった。濃厚接触者は生徒や教員約20人に上るという。
扉つきの収納の中




© ESSE-online 扉つきの収納の中 また袋に入れたままだと残りの数が把握しにくく、気がつくと「最後の一個だった!」と慌てることにもなりかねません。

ストックについて考えるべき時期。散らからないための収納を考える


保存食や暮らしまわりの消耗品など、ストックについて改めて考えています。 なかでもトイレットペーパーは一時期全国的に品薄になったこともあり、少し多めにストックしようと思うようになりました。 しかしそんなストック品が増えたことで「収納スペースからあふれてしまった!」なんて悩みはありませんか?
コストコのトイレットペーパー●わが家のベストは、コストコのトイレットペーパー © ESSE-online コストコのトイレットペーパー コストコのトイレットペーパーは長持ちするけれど収納場所も必要です
わが家では、コストコのトイレットペーパーを愛用しています。やわらかい感触も好きですし、ダブルなのに長持ちするので交換頻度も少なくすみます。
しかし一方で30ロールあるので収納スペースも必要になってきます。
●トイレットペーパーはトイレ内と洗面所に分けて収納
壁をくり抜いた造りつけ収納© ESSE-online 壁をくり抜いた造りつけ収納 わが家のトイレ内には壁をくり抜いた造りつけ収納がありますが、掃除用品なども入れたいのでここに置けるトイレットペーパーは4個程度。
残りのペーパーは洗面所のリネン庫と言われるスペースに入れています。
トイレットペーパー専用のスペース© ESSE-online トイレットペーパー専用のスペース トイレットペーパー専用のスペースにしていて、この30ロールが丸ごと収まります。
●ストック品をしまうための「収納予算」を立てよう!
ストック品で家が散らからないための大切なポイントは、「最大でどれくらいのものが家に入ってくるか」の量を予測しておくこと。
私はこれを「収納予算」と言っています。スペースの予算決めです。
今ある量だけ見て片づけて定位置を決めてしまうと、買い物直後は収納スペースに入りきらず、片づかない原因になってしまいます。
わが家の場合、トイレットペーパーが最後の1個になってから買いに行くわけではないので、30ロールプラスアルファの収納予算を立て、ここにスペースを確保しています。
●トイレットペーパーは袋から出す派?むき出し派?
さてトイレットペーパーは一応衛生用品。 袋に入れたまま収納した方がいいのかもしれませんが、私はできるだけ袋から出してしまっています。
理由は使うときにラクだからです。家族もこういう状態であれば洗面所の収納スペースからトイレ内の収納に補充してくれます。
扉つきの収納の中であれば、ホコリなどの汚れも気になりません。ただ、湿気の多い場所に収納する場合はご注意を。一方で収納スペースの状況から、パッケージに入れたままにすることもあります。
こちらは私の事務所内のストック置き場。
事務所内のストック置き場© ESSE-online 事務所内のストック置き場 キッチンタオルのストックもたくさんあって、バラしてしまうとかえって収納しにくいので、あえてビニールに入れたままにしています。
●来客が困らない「1つだけ出しっぱなし収納」
だれかのお宅に伺ったとき、トイレットペーパーを使いきってしまって、補充した方がいいとは思うけれど、よそのお宅の収納をあけてまで補充するのはちょっと…と思った経験はありませんか?
ロール1つは出しっぱなし© ESSE-online ロール1つは出しっぱなし わが家はロール1つは出しっぱなしにしています。
見た目はすてきではないかもしれないのだけど、こうしておけばお客様もすぐにわかりますし、トイレの中でペーパーがない! となっても困りません。
●ペーパー類は最低1か月分の備蓄習慣を
「最後の1つになったら買う」というストックを持たない考え方もありますが、防災備蓄の観点からもやはり多少のストックは必要です。 ペーパー類は1か月分が目安とのこと。今回のトイレットペーパーの品薄もそれくらいで解消しましたよね。 あらかじめ収納予算を確保しておくことで「片づく備蓄」が実現します。
●教えてくれた人 【下村志保美さん】
ライフオーガナイザー、ファイナンシャルプランナー、家計アドバイザー。「空間・お金・心」の3つを整えることで、忙しい女性をサポートする「PRECIOUS DAYS」を主宰。著書に『片づけのプロが教える心地いい暮らしの整え方』(三笠書房刊)がある
© MONEY PLUS 暑い夏です。夏が暑いとビールや清涼飲料水が売れるため関連株が上昇しますし、経済全体で見てもエアコンが売れたり、夏物関連の消費が良くなることから株式市場全体もそれを反映して上昇します。
しかし、それにはちょっと注意が必要だというお話を2018年の7月20日の記事「『夏が“特に”暑いと株価が高い』って本当?」で取り上げました。過去のデータからの分析では極度に暑いと8月の株価にはマイナスとの結果が見られました。あまりに暑いと、むしろ外出を控えて消費が減ることが背景にあると考えます。猛暑と8月の株価は意外に単純な関係ではないようです。
では9月の株価はどうなるのでしょうか。実は、残暑と9月の株価にはとても単純な関係があります。このところの気象予報では残暑が厳しくなるとの見込みがあるようですが、今回は残暑と株価の関係を紹介します。
まず、分析結果からお話ししましょう。
気象庁のウェブサイトから、1970年から2019年まで50年分の9月の気温データが取得できます。そこで真夏日と言われる30度以上になった日が9月の東京で何日あったかに着目します。9月は30日までありますが、3分の1となる「10日以上」が真夏日を記録したのは50年分のうち17年ありました。その17年分の9月相場を対象に日経平均株価の騰落率を平均してみると▲1.82%と下落しています。
つまり残暑が厳しい9月は相場が下落する傾向があるようです。
© MONEY PLUS 一方、真夏日が「3日以下」と涼しい9月は12回ありましたが、それらの月間の日経平均株価の騰落率を平均すると0.07%と上昇しました。
過ごしやすい9月相場は上昇する傾向が見られます。
では何故、“残暑が厳しい9月相場は株安となり、涼しい9月は株高”となるのでしょうか。
理由として考えられるのは秋物消費が盛り上がらないからでしょう。衣料品を例にあげると、暑さが続くと薄着で過ごしてしまい、秋物を買わずに冬物に移行してしまいがちです。
また秋と言えば「食欲の秋」「スポーツの秋」とも言われます。涼しくなってきて食欲も盛り上がってきたり、運動を始めたりと人間の行動が活発化しやすい時期ですが、暑いままだとなかなか、そういった気持ちに向かいにくいことも消費停滞につながるでしょう。
確認のために、もう1つの結果も紹介しましょう。9月の平均気温別に分類した日経平均株価の騰落率を集計しましたが、同じような結果になりました。
© MONEY PLUS 平均気温が「25度超」となった残暑が厳しい9月相場は▲1.30%と下落しています。一方、平均気温が「22度以下」の涼しい9月相場は1.02%の上昇でした。やはり残暑が厳しい9月は株安傾向となっています。
気象庁は9月からの3ヵ月予測を8月25日頃に発表予定です。
今のところ残暑が厳しいと言われてはいますが、9月相場を見る上でチェックしておきたい情報です。
渋野日向子の全英女子オープンは2日で幕を閉じた。しかし、それとて長いキャリアの1戦でしかないのだ。© Number Web 提供 渋野日向子の全英女子オープンは2日で幕を閉じた。しかし、それとて長いキャリアの1戦でしかないのだ。  全英女子オープンで渋野日向子が予選落ちしたことは、日本のファンにとっても、もちろん渋野自身にとっても、残念な結果だった。
 5オーバー、76で回った初日は、71位タイとはいえ、1打戻せば予選カットラインをクリアできる位置で、決勝進出の可能性はまだまだ残されていた。
 しかし、2日目は7オーバー、78を叩き、通算12オーバー。カットラインに3打も及ばぬ惨敗に終わってしまった。
 ディフェンディング・チャンピオンの重圧。スコットランドのリンクスの洗礼。海外経験の不足。実戦経験の不足。渋野が予選落ちとなった原因は「いろいろ」挙げられている。
 ロイヤル・トゥルーン一帯に接近していたストーム・エレンによる強風は、選手たちのゴルフを翻弄し、もちろん渋野もその風に煽られていた。
 スコットランドのリンクスの風は、エレンのごとき嵐が押し寄せていない日ごろでも、向きや強さが目まぐるしく変わり、吹き付ける強さは、日本的感覚で言えば「台風みたい」だ。そこに降雨が加われば、ほとんど嵐。
 これまで全英オープンや全英女子オープンを取材した際、用意していった傘を何本も何本もダメにした。軽いからと思って持って行った折り畳み傘などはまったくの論外で、一見頑丈そうな長い傘でも、ほんの1、2ホールでお釈迦になった。

渋野はリンクスに不慣れだった。

リンクスコースでは、プレーではなく取材や観戦で歩くときでさえ、ゴルフ用あるいは強風用に設計された特別な「風対応アンブレラ」以外は、ほとんど使いものにならない。
 取材陣もギャラリーも、手持ちの傘をすべて失ったところで冷たい風雨にさらされて困り果てたという苦い経験を味わって、リンクスの猛威を肌で感じさせられる。
 プレーヤーにも、それと似たこと、いやそれ以上のことが当てはまるわけで、その意味では、渋野は本場リンクスにあまりにも不慣れであり、経験不足であったことは誰の目にも明らかだった。

敗因は本当に「風」だろうか。

しかし、彼女の最大の敗因は、本場リンクスの風ではなかったと私は思う。
「風どうこうより、自分の問題です」
 そう、彼女の惨敗の根本原因は、悔しさを噛み締めながら渋野自身が発したこの言葉に尽きるのではないだろうか。
 初日。渋野はスタートホールのパーパットを決められず、ボギー発進となった。2番でもボギーを喫し、そして迎えた4番のパー5でポットバンカーからの脱出に2度失敗し、トリプルボギーの8を叩いた。続く5番もボギー。出だしの5ホールで6打を落とした。
 しかし、難関のパー3の8番で見事にバーディーを奪うと、後半はパーパットをスルスルとカップに沈め始め、2バーディー、2ボギーのパープレーを披露した。
 後半のみとはいえ、あの強風の中でのパープレーは、お世辞抜きにディフェンディング・チャンピオンらしいプレーぶりだった。よく耐え、よく持ち直したと思う。
 バンカー脱出を失敗した4番のプレーを含めて、渋野自身は「初心者に戻ったみたいだった」と振り返っていたが、初心者ならば、その後に持ち直すことはできなかっただろうし、ましてや難コンディションのロイヤル・トゥルーンのバック9でパープレーを披露することなど、できようはずがない。

初日の渋野はチャンピオンらしかった。

そう、初日の渋野は確かに大きく出遅れたが、まだまだチャンピオンらしさを感じさせるゴルフが少なくとも後半はできていた。
 言い換えれば、何が起こるかわからないリンクスコースで開催される全英女子オープンにおいては、バンカー脱出に2度失敗した程度では、死なないし、終わらない。
 そのことを渋野自身がどこまでどんなふうに認識できていたのか――。そこが運命の分れ目だったのだろうと、今は思う。

「仕方ない」ことを悔やんでしまう罠。

2日目。同じ疑問を抱きながら渋野のプレーを眺めた。
 3番でバーディ―を先行させ、好発進。しかし、5番でボギーを叩き、パー4の7番ではグリーン右サイドの傾斜地から空振りしてダブルボギーを喫した。
 以後、彼女は初日のような持ち直しを見せることなく、崩れて終わった。
「バーディーで始まって、よく耐えていた。7番のダボは仕方ないと切り替えていたけど、8番で右に曲げしまって……」
 そう、序盤の渋野は、よく耐えていた。7番の空振りもダブルボギーも「仕方ない」と切り替えようと努めた。
 しかし、前日は好打を放ってバーディーを奪った8番のパー3で、2日目は「右に曲げてしまった」。それを悔やんだことが、彼女のゴルフの流れ、いや彼女の心の流れを変えてしまった。

最大の敗因は焦ってしまったこと。

「後半は、ティショットはいいのに、グリーンにも乗っけられなかった……」
 渋野は情けなさそうな表情で、そう振り返っていたが、あの8番で右に曲げたときも、その後、後半でグリーンを外し続けたときも、もしも彼女が「リンクスなら、そのぐらい当たり前」と割り切ることができていたら、彼女の2日目は異なる展開になっていたのではないだろうか。
 初日はトリプルボギーから持ち直して後半は見事なパープレーをやってのけ、2日目も空振りやダブルボギーを「仕方ない」と割り切ることができた。少なくとも割り切ろう、切り替えようと思うことができていた。
 それなのに8番のティショットは「曲げてしまった」と悔やんだ。後半は「グリーンにも乗っけられない」と焦った。
「頭の中はパニックでした」
 最大の敗因は、そこにあった。

メンタルは、強いか弱いかではない。

「悔いを残してしまうゴルフをしてしまった。悔いの残る初めてのディフェンディングの試合だった」
 客観的に眺めれば、渋野が崩れた主原因は明らかにメンタルにある。とはいえ、単にメンタルが「強いか、弱いか」ではない。
 大自然の猛威や脅威に翻弄されるスコットランドのリンクスでは、たとえ日本では大失敗とみなされることでも「全然OK」の許容範囲。ダブルボギーもトリプルボギーも、バンカー2連続失敗も傾斜地からの空振りも「想定内だし、許容範囲。その程度では死なないし、終わらない」。
 そういう異空間ならではの等式を、彼女は見抜くことができず、頷くことができなかった。
 リンクスでの全英挑戦は初めてゆえに、わからなかったのだろうから、敗因に経験不足が含まれることは言うまでもない。しかし、内陸コースだったとはいえ、昨年大会を彼女は初挑戦で制覇したのだから、「経験不足」は究極の敗因にはなりえない。

発端は、許せなかったこと。

渋野自身は「自分の問題」として、アイアンショットの精度や不安をしきりに口にしていた。
「(練習は)いろいろやってきました。でも、この2週間は1つも成果を出せなかった。アイアンショットはポンコツでした。それに加えて風もあって、思ってもいないところへ飛んでいく。気持ち的に苦しかったです」
 なるほど、選手は往々にして「技術先行」。技術があれば心も落ちつき、いいゴルフができると考える。一方で、サポートする周囲は「メンタル先行」を指摘する。心が乱れるからゴルフが乱れるのだ、と。
 どちらが先か。それはニワトリとタマゴのようなもので、どちらか1つが答えにはなりえない。
 しかし今回の渋野の惨敗は、まず心が切れた。だから技術を発揮することができなくなった。「ポンコツだった」のは、アイアンショットではない。心が切れたのは、メンタルが弱いのではなく、許容しても構わないはずのものを彼女の心が許せなかったことが発端だった。
 初日の渋野は8番パー3で持ち直し、2日目の渋野は8番パー3で心を切らし、崩れていった。リンクスゴルフにおいて、それは致命的なミスだった。
 しかし、ちょっと考え方を変えれば、「それだけのこと」。
 しぶ子よ、そのぐらいの割り切りで、この悔しさを吹き飛ばせ。世界を渡り歩くつもりなら、もっともっと図々しくなっていい。
健康不安が取りざたされる安倍首相。コロナ禍の拡大、支持率とGDPの急落、そして自身の体調という「四重苦」に直面しているようだ/首相官邸 (c)朝日新聞社© AERA dot. 提供 健康不安が取りざたされる安倍首相。コロナ禍の拡大、支持率とGDPの急落、そして自身の体調という「四重苦」に直面しているようだ/首相官邸 (c)朝日新聞社  体調不良が噂される安倍首相に対し、盟友らが「不休」とかばい休養を勧める だが実際には、かなりの時間を自宅で過ごす日々。体調も政権の命運も危険水域だ。AERA 2020年8月31日号で掲載された記事から。

*  *  *
 騒動のきっかけは、安倍晋三首相の「盟友」のこんな一言だった。
「ちょっと休んでもらいたい。(安倍首相は)責任感が強く、自分が休むことは罪だとの意識まで持っている」
 8月16日、フジテレビの番組に出演した自民党の甘利明税調会長はこう発言し、かねて噂されていた安倍首相の体調問題に自ら言及した。テレビ局関係者の間では、安倍首相の健康に関する質問はタブーというのが不文律だったという。永田町に激震が走ったのは、この数時間後のことだった。
「明日、安倍首相が慶応義塾大学病院に検査に行き、そのまま入院する」
 そんな情報が流れたこの日はお盆休みの最終日。総理官邸は出入りする官僚の姿もなくひっそりとしていたという。ベテランの政治記者はこの一報を聞いた時、ある「政変」が頭をよぎったと話す。それは13年前の夏、8月に体調を崩した安倍首相が9月に退陣を表明、その後総選挙で自民党が大敗し民主党政権が誕生した出来事だ。
「これまでも体調不安説はあったので、いよいよ来たなと思いました。しかし一方で、本当に容体が悪く、緊急を要するのであれば極秘入院するはずで、首相サイドがわざわざマスコミにリークするはずがない。『これは何か思惑があるな』というのが第一印象でした」
 翌17日朝、東京・信濃町にある慶応大学病院前にはメディアが押しかけた。同病院には安倍首相の主治医がいて、入院を要する緊急の事態であれば、この病院だというのは以前から認識されていた。
 30台近いカメラが居並ぶ中、安倍首相を乗せた車は3台の車列をなして予定されていた10時28分に到着。マスク姿で表情こそ確認できなかったが、安倍首相は自分の足で病院に入っていった。
 結局、安倍首相は約7時間滞在したが入院はせず、自宅へ戻った。その際、集まったマスコミに「お疲れ様」と一言だけ口を開いた。自らの健康については何一つ語らなかったが、その後、病院側が「6月13日に受けた人間ドックの追加の検査」と検診理由を発表。あくまで検査に過ぎないことを強調したが、首相の「健康不安説」はむしろ強まる結果となった。
 マスコミに情報を流し、病院に出入りする姿を「撮らせて」まで演出された、この騒動の政治的な目的は何だったのか。永田町を取材すると聞こえてくるのは、コロナ終息に向けて全く道筋が立たない安倍政権の相当ないらだちだ。
 決定打は景気の指標となる4~6月期のGDPが戦後最大の落ち込みを見せ、各社の内閣支持率がNHKの34%など、相次いで過去最低になったことだった。ある自民党幹部はこう分析する。
「感染対策と経済の両立を全く舵取りできない責任は、間違いなく安倍首相にある。野党は国会を開けと息巻いているが、国民感情としても、なぜ責任者が何の説明もしないのか、という声は多い。しかし、当の本人は体調面でも、精神面でもそれに応える余裕はなく、そのことを正当化するには首相はがんばっている、という世論の形成しかない。そうすることで感染終息までの時間稼ぎをしようという、安倍首相をおもんばかる周囲の作戦でしょう」
 実はこのシナリオは、安倍首相の最側近3人で演出された。今井尚哉総理補佐官と前出の甘利氏。そして、安倍首相に万が一のことがあれば代行として采配をふるう立場の麻生太郎副総理だ。安倍首相は12日に甘利氏、15日に麻生氏と相次いで二人きりで会談している。
 安倍首相は17日に病院を経て自宅に帰り、19日午後、再び官邸に姿を見せた。安倍首相が病院に入った日、その健康状態について記者からコメントを求められた麻生氏は、首相をかばうようにこうぶちまけた。
「あなたも147日間休まず働いてみたことありますか? ないだろうね、だったら意味分かるじゃない。140日休まないで働いたことないだろう。140日働いたこともない人が、働いた人のこと言ったって分かんないわけですよ」
 麻生氏の言う147日とは、1月26日~6月20日の期間。確かにこの間、朝日新聞の首相動静によると「公務なし」の休日がなかった。
 だが足もとの状況はかなり違う。首相動静によると、7月1日~8月19日の間、安倍首相が終日自宅で過ごした日が6日あり、午前中を自宅で過ごした日も16日あった。特に7月下旬からは帰宅時刻が目立って早くなり、ほぼ毎日のように午後6時台に首相公邸ではなく東京・富ケ谷の自宅に戻っていることが読み取れる。
 帰宅後に家で仕事をすることがあったとしても、「午前は自宅、午後は散髪」(8月2日)や「午前は自宅、午後はジム」(10日)という日もあり、さすがに「首相は不休で働きづめだ」というイメージを付けるのは「盛りすぎ」だろう。
「国難突破」と気勢を上げ、危機をあおって「緊急事態条項」を持ち出すなど強権的な発言を続けてきた安倍首相。だが別の自民党幹部は「コロナへの対応でもわかるとおり、本当の危機には体力面でも精神面でも強くない」と指摘する。
「健康が理由で一度は政権を投げ出してしまっているので、『安倍さんは弱いな』と言われることを必死に避けようと強気に振る舞う。だから本音を言える人は限られていて、前出の3人がまさにそう。甘利さんの『休んでもらいたい』という発言は本心で、決してうわべだけの物言いではなかったと思います」
(編集部・中原一歩)
※AERA 2020年8月31日号より抜粋
後を託すのは誰なのか(写真/共同通信社)© NEWSポストセブン 提供 後を託すのは誰なのか(写真/共同通信社)  安倍晋三首相(65)は8月17日に慶応病院で検診を受け、当日のうちに退院した。首相の体調悪化説に火をつけたのは8月4日発売の写真週刊誌『FLASH』の“吐血”報道だった。7月6日の首相動静に5時間の空白があり、永田町ではこの間に吐血したのではないかという情報がめぐっているという内容だ。

いまや自民党内は安倍の体調急変は間違いなさそうだと受け止め、「秋退陣」をにらんで動き出した。
 安倍首相は慶応病院に向かう2日前の8月15日、全国戦没者追悼式に出席した後、東京・渋谷区富ヶ谷の私邸に“盟友”の麻生太郎・副総理を招いて1時間ほど会談した。
「総理は自分に万が一のときを考えて、麻生さんに後を託した」
 自民党ではそんな見方がまことしやかに伝わっている。
 2007年8月の安倍退陣劇(第一次安倍政権)の際にも似た状況があった。インドネシアなどアジア3か国歴訪後に安倍首相の持病の潰瘍性大腸炎が悪化したのだ。あのとき、安倍首相は退陣表明の2日前、当時幹事長だった麻生氏だけに辞任するつもりであることをひそかに伝えた。
 事前に情報を得た麻生派では、「次は麻生さんだ」とフライングで総裁選準備を進めた。そのことは麻生氏自身が記者団に「2日前から聞いていた」と漏らしたことで発覚して党内から批判をあびた。
 現在、麻生氏は閣内での首相臨時代理の序列第1位であり、安倍首相に不測の事態が起きた場合、間違いなく総理の執務を代行することになっている。
 そのため政府は4月から首相と副総理が同時に感染して政府機能が麻痺することを避けるため、麻生氏をコロナ対策本部の会議など重要な会議には出席させずに“温存”するフォーメーションをとってきた。
 安倍首相が入院すれば、いわば“麻生臨時政権”になるのだ。国民にとってこれ以上の悲劇はないだろう。コロナ禍で麻生氏が政府のトップに立てばどんな政治になるか、これまでの言動をみると容易に想像できる。
 まず、生活支援は見込めない。財務相を兼ねる麻生氏はコロナ対策の国民一律10万円の現金給付について、「リーマンショックの時の定額給付金は効果がなかった」「一律支給でやった場合、貯金に回らない保証はあるのか」と反対していた。
 給付決定後も、「手を挙げていただいた方に給付する」と口走り、できるだけ給付を減らすために記入間違いが起きやすい申請方式をとった。 “下々”の生活苦はわからないのだ。
 感染対策も期待できない。第1波の感染者数が減少した6月、麻生氏は日本の死亡率が低いことを「(欧米諸国と)民度のレベルが違う」と誇った。裏を返すと“民度が高ければたいしたことない”と言っているようなもので、この人の発想は「コロナはたいしたことない」と対応が遅れた米国のトランプ大統領やブラジルのボルソナロ大統領とさして違わない。
 その程度の認識の“臨時総理”が指揮を執って第2波の感染拡大を食い止めることができるとは思えない。極めつきは、安倍首相の体調をめぐって記者団に言い放ったこの言葉だろう。
「あなたも147日間休まず働いてみたことありますか? ないだろうね。140日働いたこともない人が、働いた人のこと言ったってわかんないわけですよ」
 体調不良で日帰り検査した安倍首相をかばったつもりかもしれないが、国民の命を預かる総理大臣にはまず自らの体調を維持する責任があり、不休で働くことは、誉められることでも自慢できることでもない。
 総理経験者にもかかわらず、「総理だからこそ休まなければならない」という基本がわからない人物にとうてい政権は任せられない。ところが、である。麻生氏の野心は「首相臨時代理」にとどまらないらしい。政治評論家の有馬晴海氏が語る。
「麻生副総理が首相臨時代理として総理執務を代行しても、安倍首相が退陣となれば、自民党ルールでは総裁選を実施し、後任の総理・総裁を決めることになる。首相臨時代理の役割はそこまでで終わる。しかし、麻生さんは、首相臨時代理になった後、そのまま安倍さんから政権禅譲を受けて残り任期の1年、自ら総理を務めるつもりでしょう」
 麻生側近議員も、「麻生さんの悲願は1日でもいいから総理に再登板し、前回の総理時代に自民党が選挙に大敗して政権を失った汚名を返上することです」と見ている。
 この9月に80歳の誕生日を迎える麻生氏にとっては、安倍首相からの政権禅譲が再登板の「最後のチャンス」に見えているのかもしれないが、首相臨時代理どころか、これから1年間の麻生再登板など国民にはたまったものではない。
※週刊ポスト2020年9月4日号
いわゆる素人は、本物の資産運用を知りません。そして、これは本人のせいではなく、資産運用教育が進んでいないのが原因です。© All About, Inc. いわゆる素人は、本物の資産運用を知りません。そして、これは本人のせいではなく、資産運用教育が進んでいないのが原因です。 いわゆる素人は、本物の資産運用を知りません。そして、これは本人のせいではなく、資産運用教育が進んでいないのが原因です。そのせいで、大事なところに労力をかけず、どうでもよいものに時間やお金を浪費しています。
少々厳しい言い方かもしれませんが、はっきり言って間違った労力のかけ方をしているうちは、成果も出せません。そこで、もっとも成果につながりやすい「資産運用の秘訣」をご紹介しましょう。

秘訣1:プラス・サム・ゲームに参加する

「投資=仮想通貨」と勘違いしている方もいるようです。しかし、そもそも通貨は経済活動をしていません。投資と勘違いすると痛い目を見る可能性が高いでしょうから、手を出さないほうがよいと思います。
仮想通貨や外貨取引、商品取引は、基本的には「ゼロ・サム・ゲーム」です。ゼロ・サム・ゲームとは、「全体で見て損益がゼロになるゲーム」のことを指します。これは、「食うか食われるかの世界」と表現すれば分かりやすいでしょう。
よって、これらの取引は実需がある場合や競馬、宝くじなどのギャンブルの代わりとして使うのはよいかもしれません。しかし、確実に資産を増やしたいという方には、不向きという他ありません。
上手に資産を運用している人は、ゼロ・サム・ゲームよりも、「プラス・サム・ゲーム」を好みます。プラス・サム・ゲームとは、「全体で見て損益がプラスになるゲーム」のことです。つまり、「全員で利益を出す!」ことも可能なゲームです。
プラス・サム・ゲームが期待できる資産運用といえば、基本的には「株式」や「債券」(そしてギリギリ不動産)しかないと考えておいてよいでしょう。だから、これら以外の投資商品には手を出さないことが大切です。

秘訣2:「売り買いする」よりも「持ち続ける」

経済評論家の山崎元氏の言葉を借りるならば、資産運用は「売り買いする」というイメージよりも、「持ち続ける」イメージを持ったほうがうまくいきます。
最近はメディアへの露出が増えたこともあり、「資産運用=デイトレード!」といった勘違いをなさっている方も少なくありません。しかし、経済学者らの研究によれば、デイトレードは平均的に見れば利益につながりにくい運用法です。だから、よほどの実力者でもない限りは、近寄らないほうが賢明です。
上智大学の研究でも、「短期売買よりも長期投資のほうがうまく行きやすいのでは?」という結果が得られています。間違ったイメージにとらわれず、むしろ「資産運用=放ったらかしにしておくもの」くらいのイメージを持ったほうがよいといえるでしょう。

秘訣3:資産配分でパフォーマンスの8割~9割が決まる

資産運用においてもっとも重要なのは、資産配分です。Financial Analysts Journalに掲載された論文によれば、「資産配分でパフォーマンスの8割~9割が決まる!」のだとか。ですから、細かい銘柄選びやタイミングに時間を使うことよりも、「どんな資産を持とうか?」を考えることに時間を割きましょう。
また、資産運用で得られるお金は、よほどのお金持ちでない限りは「おまけ」くらいのものです。ですから、資産運用のことを考える以上に、「支出の見直し」や「収入の見直し」といった、家計を見直すことのほうが効果があります。

まとめ

以上が、資産運用を成功に導く3つの秘訣です。
傍から見ると、「地味!」という印象かもしれません。しかし、お金持ちは、これらの秘訣を愚直に守り、着々と資産を運用しています。怪しげな「美味しい話」にダマされることなく、投資の王道を歩みたいものですね。
米メキシコ湾岸に近づく熱帯低気圧「マルコ」の衛星写真。RAMMB/NOAA提供(2020年8月23日提供)。© AFP PHOTO / RAMMB/NOAA 米メキシコ湾岸に近づく熱帯低気圧「マルコ」の衛星写真。RAMMB/NOAA提供(2020年8月23日提供)。 【AFP=時事】(更新)米気象当局の23日の予報によると、米メキシコ湾岸に今週、2つのハリケーンが相次いで襲来する見込みだ。当局は、暴風雨や洪水への警戒を呼び掛けている。
熱帯低気圧「ローラ」が通過したハイチ・ペティオンビルで、冠水した家の中を歩く男性(2020年8月23日撮影)。© Estailove ST-VAL / AFP 熱帯低気圧「ローラ」が通過したハイチ・ペティオンビルで、冠水した家の中を歩く男性(2020年8月23日撮影)。  米メディアによれば、メキシコ湾(Gulf of Mexico)内に2つのハリケーンが同時に襲来するのは、150年間の統計史上初めて。
熱帯低気圧「ローラ」が通過したハイチ・ペティオンビルで、冠水した家の外に置かれたオートバイ(2020年8月23日撮影)。© Estailove ST-VAL / AFP 熱帯低気圧「ローラ」が通過したハイチ・ペティオンビルで、冠水した家の外に置かれたオートバイ(2020年8月23日撮影)。  熱帯低気圧「マルコ(Marco)」は、勢力を強めて風速約33メートルの強風を伴うハリケーンに発達。24日、米ルイジアナ州に上陸する見通しだ。
熱帯低気圧「ローラ」が通過したハイチ・ペティオンビルで、冠水した家の扉を壊して水を外に出そうとする男性(2020年8月23日撮影)。© Estailove ST-VAL / AFP 熱帯低気圧「ローラ」が通過したハイチ・ペティオンビルで、冠水した家の扉を壊して水を外に出そうとする男性(2020年8月23日撮影)。  一方、ハイチとドミニカ共和国に豪雨をもたらし少なくとも死者12人を出している熱帯低気圧「ローラ(Laura)」は、25日にハリケーンとなるとみられ、ルイジアナ州は26日に再びハリケーンに襲われる恐れがある。
熱帯低気圧「ローラ」が通過したハイチ・ペティオンビルで冠水した家の室内(2020年8月23日撮影)。© Estailove ST-VAL / AFP 熱帯低気圧「ローラ」が通過したハイチ・ペティオンビルで冠水した家の室内(2020年8月23日撮影)。  米国立ハリケーンセンター(NHC)によると、「ローラ」はハイチとドミニカ共和国のあるイスパニョーラ(Hispaniola)島を直撃し、「豪雨と命の危険を伴う洪水」をもたらした。現地当局によると、これまでにハイチで9人、ドミニカ共和国で3人の死亡が確認されている。
熱帯低気圧「ローラ」が通過したハイチ・ペティオンビルで、洪水が起きた道路を片付けようとする男性(2020年8月23日撮影)。© Estailove ST-VAL / AFP 熱帯低気圧「ローラ」が通過したハイチ・ペティオンビルで、洪水が起きた道路を片付けようとする男性(2020年8月23日撮影)。 【翻訳編集】AFPBB News
ハリケーン「マルコ」と熱帯低気圧「ローラ」の襲来に備え、米ルイジアナ州ニューオーリンズのフレンチクオーターで窓を板で補強する作業員ら(2020年8月23日撮影)。© Sean Gardner/Getty Images/AFP ハリケーン「マルコ」と熱帯低気圧「ローラ」の襲来に備え、米ルイジアナ州ニューオーリンズのフレンチクオーターで窓を板で補強する作業員ら(2020年8月23日撮影)。 ハリケーン「マルコ」と熱帯低気圧「ローラ」の襲来に備え、米ルイジアナ州のポントチャートレイン湖でボートを縛り付ける人(2020年8月23日撮影)。© Sean Gardner/Getty Images/AFP ハリケーン「マルコ」と熱帯低気圧「ローラ」の襲来に備え、米ルイジアナ州のポントチャートレイン湖でボートを縛り付ける人(2020年8月23日撮影)。