騒動のきっかけは、安倍晋三首相の「盟友」のこんな一言だった。
「ちょっと休んでもらいたい。(安倍首相は)責任感が強く、自分が休むことは罪だとの意識まで持っている」
8月16日、フジテレビの番組に出演した自民党の甘利明税調会長はこう発言し、かねて噂されていた安倍首相の体調問題に自ら言及した。テレビ局関係者の間では、安倍首相の健康に関する質問はタブーというのが不文律だったという。永田町に激震が走ったのは、この数時間後のことだった。
「明日、安倍首相が慶応義塾大学病院に検査に行き、そのまま入院する」
そんな情報が流れたこの日はお盆休みの最終日。総理官邸は出入りする官僚の姿もなくひっそりとしていたという。ベテランの政治記者はこの一報を聞いた時、ある「政変」が頭をよぎったと話す。それは13年前の夏、8月に体調を崩した安倍首相が9月に退陣を表明、その後総選挙で自民党が大敗し民主党政権が誕生した出来事だ。
「これまでも体調不安説はあったので、いよいよ来たなと思いました。しかし一方で、本当に容体が悪く、緊急を要するのであれば極秘入院するはずで、首相サイドがわざわざマスコミにリークするはずがない。『これは何か思惑があるな』というのが第一印象でした」
翌17日朝、東京・信濃町にある慶応大学病院前にはメディアが押しかけた。同病院には安倍首相の主治医がいて、入院を要する緊急の事態であれば、この病院だというのは以前から認識されていた。
30台近いカメラが居並ぶ中、安倍首相を乗せた車は3台の車列をなして予定されていた10時28分に到着。マスク姿で表情こそ確認できなかったが、安倍首相は自分の足で病院に入っていった。
結局、安倍首相は約7時間滞在したが入院はせず、自宅へ戻った。その際、集まったマスコミに「お疲れ様」と一言だけ口を開いた。自らの健康については何一つ語らなかったが、その後、病院側が「6月13日に受けた人間ドックの追加の検査」と検診理由を発表。あくまで検査に過ぎないことを強調したが、首相の「健康不安説」はむしろ強まる結果となった。
マスコミに情報を流し、病院に出入りする姿を「撮らせて」まで演出された、この騒動の政治的な目的は何だったのか。永田町を取材すると聞こえてくるのは、コロナ終息に向けて全く道筋が立たない安倍政権の相当ないらだちだ。
決定打は景気の指標となる4~6月期のGDPが戦後最大の落ち込みを見せ、各社の内閣支持率がNHKの34%など、相次いで過去最低になったことだった。ある自民党幹部はこう分析する。
「感染対策と経済の両立を全く舵取りできない責任は、間違いなく安倍首相にある。野党は国会を開けと息巻いているが、国民感情としても、なぜ責任者が何の説明もしないのか、という声は多い。しかし、当の本人は体調面でも、精神面でもそれに応える余裕はなく、そのことを正当化するには首相はがんばっている、という世論の形成しかない。そうすることで感染終息までの時間稼ぎをしようという、安倍首相をおもんばかる周囲の作戦でしょう」
実はこのシナリオは、安倍首相の最側近3人で演出された。今井尚哉総理補佐官と前出の甘利氏。そして、安倍首相に万が一のことがあれば代行として采配をふるう立場の麻生太郎副総理だ。安倍首相は12日に甘利氏、15日に麻生氏と相次いで二人きりで会談している。
安倍首相は17日に病院を経て自宅に帰り、19日午後、再び官邸に姿を見せた。安倍首相が病院に入った日、その健康状態について記者からコメントを求められた麻生氏は、首相をかばうようにこうぶちまけた。
「あなたも147日間休まず働いてみたことありますか? ないだろうね、だったら意味分かるじゃない。140日休まないで働いたことないだろう。140日働いたこともない人が、働いた人のこと言ったって分かんないわけですよ」
麻生氏の言う147日とは、1月26日~6月20日の期間。確かにこの間、朝日新聞の首相動静によると「公務なし」の休日がなかった。
だが足もとの状況はかなり違う。首相動静によると、7月1日~8月19日の間、安倍首相が終日自宅で過ごした日が6日あり、午前中を自宅で過ごした日も16日あった。特に7月下旬からは帰宅時刻が目立って早くなり、ほぼ毎日のように午後6時台に首相公邸ではなく東京・富ケ谷の自宅に戻っていることが読み取れる。
帰宅後に家で仕事をすることがあったとしても、「午前は自宅、午後は散髪」(8月2日)や「午前は自宅、午後はジム」(10日)という日もあり、さすがに「首相は不休で働きづめだ」というイメージを付けるのは「盛りすぎ」だろう。
「国難突破」と気勢を上げ、危機をあおって「緊急事態条項」を持ち出すなど強権的な発言を続けてきた安倍首相。だが別の自民党幹部は「コロナへの対応でもわかるとおり、本当の危機には体力面でも精神面でも強くない」と指摘する。
「健康が理由で一度は政権を投げ出してしまっているので、『安倍さんは弱いな』と言われることを必死に避けようと強気に振る舞う。だから本音を言える人は限られていて、前出の3人がまさにそう。甘利さんの『休んでもらいたい』という発言は本心で、決してうわべだけの物言いではなかったと思います」
(編集部・中原一歩)
※AERA 2020年8月31日号より抜粋
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