2020年7月18日土曜日

水害から2週間。家屋が倒壊した渡地区で後片付けに追われる人たち=2020年7月18日午後1時35分、熊本県球磨村、吉本美奈子撮影© 朝日新聞社 水害から2週間。家屋が倒壊した渡地区で後片付けに追われる人たち=2020年7月18日午後1時35分、熊本県球磨村、吉本美奈子撮影  熊本県南部を中心とした記録的豪雨により、甚大な被害がもたらされてから18日で2週間がたった。その後も停滞する梅雨前線のため各地で雨の被害が相次ぎ、死者は全国で計77人となった。熊本県を中心に現在も2千人以上が避難所生活を強いられるなか、異例の長雨や新型コロナウイルスの感染拡大が早期の復興に影を落としている。
 4日から豪雨に見舞われた熊本県の死者は計65人。このうち65歳以上の高齢者が85%(55人)を占めた。
 九州では他に福岡、長崎、大分、鹿児島各県でも計6人が死亡。熊本、大分両県でなお計6人が行方不明となっている。総務省消防庁によると、長野、静岡、広島、愛媛の各県でも計6人が死亡し、富山県で1人が行方不明。
 消防庁によると、家屋の被害は全国25県で1万5725棟。熊本県が8256棟と半数以上を占める。熊本県によると、18日正午時点でも5集落の孤立が解消されておらず、被害の全容は把握されていない。
 内閣府によると、避難所で避難生活を続ける人も、18日正午の時点で熊本県を中心に6府県で計2277人となっている。
 18日は熊本県の被災地で多くのボランティアが復旧作業を手伝ったが、新型コロナの影響で県外の人は募集の対象外で、人手不足が深刻になっている。

節約の第1歩は、ムダな支出を減らすことです。
便利な節約グッズに飛びついてしまう人もいますが、節約グッズを購入する前に、まずはどうしたらムダな支出が減らせるのか考えてみましょう。
節約に大切な心がけを知ることで、節約グッズの効果を高められます。
今回は「節約に大切な3つの心がけ」と「必要かどうか判断するコツ」について紹介します。
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節約に大切な3つの心がけとは

家計管理に役立つ節約術は、買い物法から生活の知恵までさまざまです。これらの節約術の効果を高めるためには、節約に大切な3つの心がけ、「やめる」、「手放す」、「断る」を意識することです。

1. やめる

まず単純に、「買う」をやめれば浮いたお金は別のことに使えます
必需品を除いた買い物では、本当に必要かどうか考えることが大切です。
「他の物で代用できない?」
「得られるメリットは?」
など、よく考えて安易に買うことを避けましょう。
また、定期購読の雑誌やサブスクサービスなど、契約当時に比べて利用が減っているようなら、やめることで支出をカットできます。

2. 手放す

使う予定がないのに持ち続けているものは、処分または売却して手放すことが大切です。
手放すことなく物が増え続けると、本当に必要かどうか判断するのがむずかしくなります。
とくに、服・バッグ・本などは、
・ 潔く処分する
・ またはメルカリで売却して循環
させましょう。
また、車検代・ガソリン代・保険料・修理代など維持費がかかるマイカーは、ライフスタイルの変化や使用頻度に応じて手放すという選択肢もあります。
とくに公共交通機関が充実していて、
・ 通勤に車を使っていない
・ 車が趣味というわけではない
・ 送迎やまとめ買いの必要がない
という人であれば、まとまった支出を減らせます。
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3. 断る

街中やお店で配っているサンプル商品や、身内や友人が「使わないから」とくれる日用品や雑貨類などを、なんとなくもらってしまうという人も多いのではないでしょうか。
しかし、タダでもらえるものがすべてお得とは限りません。
使わなければ手放す際に処分料がかかったり、お返しのほうが高くつくこともあるでしょう。
わが家では、いただいたゴルフ用品を処分した経験があります。
売れる状態ではなかったため、粗大ごみ処分料として400円かかりました。
もちろん、使える・好みに合う・売れるなら問題ありません。
そうでなければ、ムダな支出を減らすためにも、断る勇気を持つことが大切です。

生活の見直しで支出が激減

「やめる・手放す・断る」を意識することで、当たり前だと思っていた支出を減らせます
何となく続けている習い事の月謝やサブスク料金、付き合いで参加しているだけの飲み会やランチ会など、本当に必要かどうか見直してみることがおすすめです。
1か月あたり・1回あたりのコスパをイメージして、ムダにつながらない思考と行動を心がけることで、節約効果が後からついてきます。

本当に必要か判断するコツ

筆者は、安くて便利な商品や、安くておしゃれな洋服などについ手が伸びてしまうことがあります。
しかしいざ購入する前に、本当に必要かどうか冷静に考えるようにしています。
ムダな支出をカットするためには、以下の3点について考えてみましょう。
1. 使い道を具体的にイメージできるか
2.「楽しい」、「うれしい」、「好き」という気持ちがわくか
3. 時短や快適さなど、明確なメリットがあるか
さらに、処分することも考えた上で、商品の購入やサービスの利用を検討することがポイントです。
もし他の方からのいただき物を断る場合は、はじめに相手の気持ちに感謝していることを伝えた上で、
「使いこなせない」
「食べきれない」
「置く場所がない」
など、受け取れない事情を正直に伝えることで角が立ちにくくなります。
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自分にとっての「大切」を見つめ直して節約上手

ムダな支出につながる行動を改善できれば、自然と節約体質になれます。
便利な節約グッズやおすすめの節約術を試しても、なかなか効果が得られないという人は、自分にとっての「大切・必要」を見直してみることが大切です。
身の回りの物やサービスと向き合って、「やめる」、「手放す」、「断る」をできることから始めてみましょう。(執筆者:成田 ミキ)
<メモリアル・トーナメント 2日目◇17日◇ミュアフィールド・ビレッジGC(オハイオ州)◇7456ヤード・パー72>
2月の「ジェネシス招待」以来のツアー出場となったタイガー・ウッズ(米国)は、3バーディ・5ボギー・1ダブルボギー。スコアを4つ落とす「76」」でトータル3オーバー・64位タイに終わり、かろうじて予選通過を果たした。

初日は無難に1アンダーにまとめる上々の滑り出しから、2日目は一気にスコアを崩した。2日間を通してアイアンショット以外はいいところなし。「良くなかった。序盤で2度の3パット。あれで勢いをなくしてしまって、一日それと戦うことになってしまった」と波に乗れない1日を振り返った。
ティショットはフェアウェイを捉えられず、アプローチ、パッティングにも精細を欠いた。これについては、「自分の思ったように体を動かせなかった。今朝のウォーミングアップからそんな感じだった」と久しぶりの試合に対して、コンディション維持の難しさを語る。
それでも「上がりがバーディ、バーディ、パー。これは明日に向けて前向きに捉えられる」と自身を鼓舞し決勝ラウンドに入るが、幾度の手術を繰り返し試合数を絞る44歳のウッズにとっては、毎日が勝負。日替わりの好不調のなかでは計算が立たない部分もあり、もどかしさも隠せない。
「僕には以前と同じようなスタミナはもうない。トレーニング、ランニングをしているとよく分かる。今は年を重ねてきて、いろいろなことが変わった。その中でベストを考えるしかない」。まずは残りの2日間で最善を尽くし、上位進出を目指す。
タイガー・ウッズはかろうじて予選突破(撮影:GettyImages)© Cross Planet, Inc. タイガー・ウッズはかろうじて予選突破(撮影:GettyImages) 
【コロナ下での祇園祭】稚児いなくても神社に稚児餅お供え© 産経新聞社 【コロナ下での祇園祭】稚児いなくても神社に稚児餅お供え  八坂神社(京都市東山区)境内に店を構える京料理の老舗「二軒茶屋中村楼」は13日、祇園祭恒例の「稚児餅」を同神社に奉納した。今年は新型コロナウイルス感染拡大防止のため同祭のハイライトの山鉾(やまほこ)巡行と最重要神事の神輿(みこし)渡御が中止になったため、稚児餅の一般販売は中止するという。
 前祭(さきまつり)巡行で先頭を進む長刀(なぎなた)鉾の稚児と、神輿渡御で神輿を先導する久世(くぜ)駒形稚児は例年7月13日に八坂神社に詣で、高い位を授かり正式に神の使いとなる。儀式を終えた稚児は、同店で稚児餅を振る舞われるのが慣例となっている。今年は稚児はいないが、同店では例年通り13日朝、稚児餅を作り、火打石で潔斎して同神社本殿に奉納した。
【コロナ下での祇園祭】稚児いなくても神社に稚児餅お供え© 産経新聞社 【コロナ下での祇園祭】稚児いなくても神社に稚児餅お供え  稚児餅は、疫病を除けると伝えられており、細長い形にして竹串で刺した米の餅の表面に白みそを付けて焼いたもの。竹皮で包みササの葉を添える。
 中村楼の辻雅光社長(68)は「疫病が鎮まれ収まれという気持ちを込めて作った」と話した。例年14日から31日まで販売されるが、今年は販売を中止した。
かつて盛況だった熱海サンビーチの様子(C)朝日新聞社© AERA dot. 提供 かつて盛況だった熱海サンビーチの様子(C)朝日新聞社  千葉、神奈川、茨城の3県が相次いで海開きを見送る中、静岡県・伊豆半島の各自治体が、続々と海開きの決定を下している。性質上、マスクの着用も難しい海水浴。首都圏から人が殺到し、感染の火種となることも懸念される。観光客を呼び戻したい本音の一方で、自治体の担当者は“不安”も口にす
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 最も混雑が予想されるのは、伊豆の「玄関口」にあたる熱海市のビーチだ。新幹線の停車駅でもある熱海駅周辺は首都圏からのアクセスがよく、毎年夏になると多くの観光客でにぎわう。
 熱海市は6月25日の市長会見で、7月23日から海開きをすることを発表。例年の開放期間は51日ほどだが、今年は32日間に短縮する。
 すでに千葉、神奈川、茨城の3県では、すべての海水浴場の開設を見送ることが決まっている。「市民やライフセーバーの安全と健康の確保を最優先に、開設は断念した」(千葉県・山武市の松下浩明市長)、「砂浜でソーシャルディスタンスを確保するための対策を講じるのが難しい」(片瀬西浜・鵠沼海水浴場組合の森井裕幸理事長)など、コロナへの安全対策が十分に取れないからだという。
 そんな中、熱海市はどういった理由で海開きを決めたのか。
「一時は海開きを断念する議論もありましたが、当市は観光産業で成り立っているので、やはり海を閉じるわけにはいかない。海を目当てにした宿泊の観光客も多いので、海開きを中止すれば、市内経済の大きな打撃になってしまう」(熱海市公園緑地課の担当者)
 だが、観光事業へのダメージはどの自治体にもある。他県の自治体が「難しい」と語った安全対策はどのようにするつもりなのか。
 担当者によると、今年は「3密」回避のため、屋内に設けていた更衣室やコインロッカーを廃止にするという。ビーチの利用者を絞る狙いで、海岸沿いの駐車場の駐車可能な台数を制限する。また、全国的にも珍しい試みとして、メインの浜となる「熱海サンビーチ」には、人の流れを把握できる「AIカメラ」を設置。カメラがビーチ内に立ち入っている人の数を把握し、リアルタイムで「密な状況」を同市のホームページ上で閲覧できるようにするという。
 だが、どの程度の人出になるかは予測できていない。
「関東の海水浴場が閉じてしまうので、まったく読めない状況です。7月の4連休で、状況を見極めたい」(同前)
 4連休で想定を上回るほど混雑した場合は、運用を変えて対応するという。ただ、
「首都圏では感染者が右肩上がりに増えているので、緊急事態宣言の発出などがあれば、海を閉じざるを得ない」(同前)
 伊豆地方でも海開きを見送った自治体はある。河津町には2つの浜があるが、うち1つの「河津浜」の開設を見送った。同町産業振興課の担当者は「今年は十分な数のライフセーバーを集められなかったため、見送った」と理由を話す。
 例年、ライフセーバーの多くは首都圏の学生から集めているが、コロナ禍の今年は「越境」してまで住み込みで働くことをためらう学生も多い。そのため、「(ライフセーバーが減った分)期間と場所を絞って開催することで、安全を確保することにした」(同前)という。
 市内に2カ所のビーチがある伊豆市は、例年よりも1カ月以上遅い8月1日から海開きを行うことにしたが、その理由も「ライフセーバー不足」だという。市の担当者によると、例年は550人前後のライフセーバーを集められるところ、今年は150人ほどに激減。その人数でも安全を担保できるよう、足の着く範囲に遊泳エリアを狭めるという。
 感染対策については「砂浜が広いため、利用者間で十分な距離を保てると見込んでいる」(担当者)として、これまで通りの設備で開設するという。
 ソーシャルディスタンスとされる「2メートル」四方の空間は、4平方メートル。同市が有する「土肥海水浴場」の浜の面積は約3万2千平方メートルで、ピーク時の利用者数の約5千人で割ると、1人当たりの面積は6.4平方メートルとなる。4平方メートル以上のため、十分な距離を確保できるという理屈だ。
 ただ、担当者はこう本音を漏らす。
「感染リスクをゼロにすることはできません。それに当市はまだ感染者がゼロなので、もし海で感染者が出たら、市民の不安が大きくなるのではないかと心配です」
 それでも海開きをする理由については、苦しい胸の内をこう語る。
「夏が一番の書き入れ時で、経済面を考えると、やはり中止にはしづらい。それに、伊豆半島の他の自治体が開いている中、土肥地区だけが開かないというのは、ネガティブキャンペーンになってしまう」
 海水浴客は昨年の何割を見込んでいるのか。
「正直、現時点では何とも言えない。神奈川県が海開きを見送った分、流れてくるかもしれませんし、GoToキャンペーンが予想以上に盛り上がるかもしれない。はたまた外出自粛で人が少なくなるのか。予測は立てづらいです」
 別の担当者も、「ふたを開けてみないと、どのくらい来るのかわからない」と漏らす。
「もしかしたら伊豆に利用者が殺到することにもなりかねない。もしクラスターが発生したら、風評被害も避けられないですし、それこそ壊滅的な痛手になる。コロナは“結果”で判断されます。何がベストな選択なのか、明確な結論が出ていないのが実際のところです。もちろん命を守ることが最優先ですが、休業すれば相当な打撃になる。夏の1カ月の売り上げで、ほぼ1年分を稼ぐような民宿もあります。『今は自粛』と口で言うのは簡単ですが、収束を待っていたら、経済が動かずつぶれてしまう。つぶれてしまっては、復活も何もないですから」(同前)
 自治体も悩みながらの決断だったようだ。
 この判断を専門家はどうみるのか。兵庫医科大学の竹末芳生主任教授(感染制御学)はこう語る。
「密接、密集の状況になれば、屋外でも感染は起こります。地元の人しか来ない浜など、密にならない場所ならいいですが、伊豆の場合は、東京方面からも多くの人が来るはずなので、混雑を避けるのは難しいでしょう」
 浜辺が広ければ、感染リスクは避けられるのだろうか。
「多くの人は、砂浜でじっとしているわけではない。波打ち際まで歩く際や、シャワーを浴びるために列に並んだ時などに、感染リスクが生じます。浜辺で日光浴をする人も、熱中症の心配があるのでマスクをしない人は多いでしょう。浜辺で食事をとる人や、お酒を飲む人もいる。海という非日常の空間では、新しい生活様式の習慣がなくなってしまうので、クラスター発生の懸念はあります。また、海では手で口や目などを触る機会も増えるので、飛沫感染だけでなく、接触感染のリスクも高まります。本来なら、今年は海水浴は控えていただきたいですね」
 コロナ禍という特殊な環境下での海開きには、「予想外」の事態も起こりうる。特に伊豆の各自治体は、市民の高齢者の割合が、全国平均と比べても高い傾向にある。感染リスクの高い市民の安全を確保しつつ、経済を回すことは可能なのか。「海」を観光資源とする各自治体は、難しいかじ取りを迫られている。(AERAdot.編集部・飯塚大和)
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土砂をかき出す作業の手を休め、腰をおろす尾方広海さん=熊本県人吉市で2020年7月15日午後4時49分、徳野仁子撮影© 毎日新聞 提供 土砂をかき出す作業の手を休め、腰をおろす尾方広海さん=熊本県人吉市で2020年7月15日午後4時49分、徳野仁子撮影  「まだ夢なんじゃないかと思っています。また元に戻れるんじゃないかと……」。自宅の敷地にたまった泥をかき出しながら、尾方広海さん(48)はつぶやいた。4日に熊本県南部を襲った記録的な豪雨。球磨川が氾濫し、人吉市中神町では2カ所の堤防が決壊した。大柿地区にある両親と妻、2人の子供と暮らしていた自宅は2階まで浸水した。流れ込んだ泥は、発生から2週間がたってもあたり一面を茶色に染めたままだ
 大柿地区は球磨川と山に囲まれたのどかな田園地帯。日中でも球磨川のせせらぎが聞こえ、この時期は夕方になるとヒグラシの鳴き声が響いた。虫がたくさん捕れ、子供たちも気に入っていた。
 そんな光景は一変した。4日朝、夜勤明けだった尾方さんは職場にいた。増える雨量に家族が心配で、仮眠も取らず情報を集めた。上流の市房ダムが緊急放水の予定と聞いて午前7時過ぎに妻に避難するように連絡。緊急放水は見合わせとなったが、約2時間後に自宅は濁流にのまれた。午後4時ごろ、避難先の施設で家族と再会できたときは涙が止まらなかった。
 大柿地区では犠牲者は出なかったが、爪痕は大きかった。会社勤めの傍ら、父を手伝って米やショウガ、トマトなどを作っていた1・5ヘクタールの田畑は全滅。自宅に隣接する畑には近くの建設会社の倉庫が建物ごと流れてきて、家5軒分の木材が山を作っていた。
 「前は『こんな田舎』と思っていました」と尾方さんは打ち明ける。仕事の関係で20代を大阪で過ごし、家を継ぐために30代前半で人吉に戻ったが、趣味のスポーツ観戦もままならず、市内には映画館もない。「ずっと大阪に戻ることばかり考えていました」
 だが変わり果てたふるさとを見て「何もないのがよかった」と思うようになった。「家族と過ごす平穏な日々がどんなに幸せなことか。こんなことになって、ああここが好きだったんだと気づかされました」
 日常は戻ってくるのか。「もうここに住むことは考えられん」。氾濫から10日たってもなお、ふくらはぎまで泥がたまる農機具小屋で父の和敏さん(72)は肩を落とした。戦後最大とされた「昭和40年7月洪水」(1965年)も経験したが、自宅にはくるぶしの高さまでしか水が来なかった。先祖代々受け継いできた土地は和敏さんで16代目となるが、それでも「それよりも命が大事」と断言する。家は取り壊し、農機具小屋だけを残すつもりだ。
 一方、尾方さんの心は揺れる。「できれば僕はここに住み続けたい。けど、またいつ水害が起こるかわからない」。今は近くの別の地区にアパートを借りて家族で移り、そこから片付けに通っている。「離れるにしても、原付きバイクで来られるくらいの距離がいい。もう人吉から離れるつもりはないです」。泥がかき出されて少しずつ広くなっていく敷地を見ながら、「ここ」への思いを強くしている。【徳野仁子】
<メモリアル・トーナメント 2日目◇17日◇ミュアフィールド・ビレッジGC(オハイオ州)◇7456ヤード・パー72>
ティショットがフェアウェイを捉えたのはわずかに2回。松山英樹は得意コースで「79」を叩き、トータル10オーバー・115位タイでまさかの予選落ちとなってしまった。
音が違う、松山英樹の1Wからアイアンまで スイングを集めました【動画】
出だしの1番からティショットが右バンカーにつかまり、セカンドも距離を出せずに3打目でようやくピン奥23メートルに3オン。そこから3パットのダブルボギーと出鼻をくじかれた。その後も3番でボギーを叩き、7番ではチップインイーグルを奪ったが、見せ場はこの1ホールだけだった。
前日のホールアウト後は居残り練習を敢行。この日のスタート前には手応えも感じたような様子も見せたが「そんな感じはあったけど、ラウンドに出て思うように行かなくなってきて、うーん…、頭の中がフリーズしているような感じですね」と思わぬ結果に肩を落とした。
ラフからグリーンを狙うショットばかりのなか、パーオンも8回にとどまった。微妙なパーパットが残る場面が続き、これらを決めきれずに後退。1イーグルは奪ったもののバーディはなし。後半の15番では右の林から木に当てるなどこの日2つめのダブルボギー。「次の試合に向けてやらなければならないことはたくさんあると思う」と、課題を残す2日間となってしまった。
米ツアー初優勝を同地で飾ってから6年。毎年、結果を残してきた相性のいいコースだけに、思わぬ結果には反省の言葉しか出てこない。3月の「アーノルド・パーマー招待」3日目の「80」に次ぐ今季ワーストスコアには、「まず考えて…、練習したいと思います」と言葉少なに思いを語るにとどめた。
次週はエントリーせず、拠点のフロリダに戻り2週後の世界ゴルフ選手権「WGC-フェデックス・セントジュード招待」、その翌週の「全米プロゴルフ選手権」に向けて準備を進める。3年ぶりのツアー優勝へ。まずは今回の結果をリセットし、自信を深めてビッグイベントに臨みたい。
© Cross Planet, Inc. 思わぬ大叩き 松山英樹はビッグイベントに向け「考えたい」(撮影:GettyImages)
自炊生活ではなかなか避けて通れない「残り物」たち。作りすぎたおかず、少し時間がたった常備菜、ちょっと多かったみそ汁。冷蔵庫の中から「いつ食べてくれるんですか〜」とささやかれているような気がしてなりません。でも「残り物だな…」と思いながら食べると、なんだかサミシイ気持ちになるのは私だけでしょうか。
どうせ食べるなら、おいしく、楽しく食べたい。誰にでもそういう気持ちはあると思います。私は毎食違うものを食べたいわがままな人間なので、ちょっと手を加えて新鮮な気持ちで食べるのが好きです。残り物をお題だと思って、どうやって楽しく食べられるかを考えたアレンジ方法をご紹介したいと思います。

汁物はどんな残り物も受け入れる

© ハフポスト日本版 変な形に切ってしまった冷凍庫サラミと、シワシワになりつつある人参をなんとかせんとと思い、ポトフにしました。ストウブ鍋に大ぶりに切った野菜とサラミをそのまま入れて、ひたひたまで水を注いで火にかける。沸いたらコンソメと塩を入れて弱火で30分。
© ハフポスト日本版 食べてしまいたいけど味に飽きたキムチ。塩麹に漬けておいた鶏もも肉を2つほど小さく刻んで、キムチチゲ的なスープ。味は塩だけ。
© ハフポスト日本版 インスタントラーメンの汁がおいしかったので残しておき、キャベツと試作用の中途半端に残ったひき肉を入れてさっと煮ました。ちゃんこ鍋みたいな味!
© ハフポスト日本版 えのきのサンラータンは、黒酢でさっと煮たえのきがちょぴっと残っていたので、水を加えて小エビで出汁を足し、とろみをつけて溶き卵を入れました。多分二度と会えないスープ。

煮込む・チャーハンにする・あんかけ丼にする

© ハフポスト日本版 冷凍庫に眠っていた2本の鶏手羽先と豚バラちょっとを解凍して、大根と一緒に炊きました。少量残っていためんつゆ、使い切りたい黒酢、塩、みりんで味付け。手羽先と豚バラの組み合わせ、わざわざやるわけじゃないけど全然アリ。半額になってたカットねぎをのせました。
© ハフポスト日本版 残ってた鶏そぼろをチャーハンに入れました。卵はそぼろのタッパーで溶いて、うまみをかっさらってもらいました。ごま油と塩で味付け。そぼろの甘辛味があるから、味付けは控えめに。
© ハフポスト日本版 昨日の残り「トマト卵炒め」を濃い鶏ガラスープのあんかけをかけて「天津飯」的なアレンジ。一晩経ってでたトマトの汁はあんかけにイン。

二度と会えない料理

ご紹介したアレンジ以外にも、残り物を大掃除したいときにはこんな料理も生まれます。どちらもめちゃおいしかったけど、同じ残り物の組み合わせは二度とないので、一期一会の料理になります。これが家庭料理の真骨頂。
© ハフポスト日本版 冷凍してたトマトソース、冷凍してたふにふにブロッコリー、中途半端なご飯とハム、ネギダレ、塩胡椒オリーブオイル=いい感じのトマトリゾット
© ハフポスト日本版 微妙な量のマッシュポテト、3本のウインナー、炒めたエリンギのおかず、微妙な量のトマトソース、ちょっとずつ使い切りたいチーズとパン粉
を全部重ねてオーブンに入れただけ。
みなさんの残り物の使い方もぜひ教えてください!
残り物の楽しみ方はTwitterの#自炊大喜利 でこれからも発信していきます。
(2020年7月13日、山口祐加さんのnote掲載記事「冷蔵庫の残り物の楽しみ方」より転載。)
部屋に飾られた甲子園の土(写真:森田裕貴さん提供)© AERA dot. 提供 部屋に飾られた甲子園の土(写真:森田裕貴さん提供)  プロ野球・阪神タイガースが阪神甲子園球場とともに、全国の高校3年生の球児に“甲子園の土”を入れたキーホルダーを贈ると発表したのは6月8日のこと。新型コロナウイルスの感染拡大により、夏の「全国高校野球選手権大会」の地方大会と全国大会が中止となったことを受け、矢野燿大監督を始めチーム内から「高校球児のためにできることはないか」という声があがり、実現したという。キーホルダーは8月下旬ごろから、対象となる各校に直接配送される予定だ。
 今回の阪神の取り組みに対しては、「よいアイディアだ」「私も欲しい」と好意的な意見が大半だが、一部では、「土は甲子園に出場したことの証であって、土だけもらっても喜べない人もいるのでは」という声もある。2ちゃんねるの創設者であるひろゆき(43)は先月、TBSの情報番組「グッとラック!」に出演した際、「そんな土もらってうれしいのかな?」と疑問を投げかけていた。
 甲子園の名物として定着している「土拾い」。そのルーツとされる1人が、「打撃の神様」と呼ばれ読売ジャイアンツで活躍した川上哲治だ。1937年夏の甲子園に熊本工の選手として出場し、土を持ち帰ったとされる。これが最初の土拾いではないか(諸説あり)と言われている。
 それだけ土拾いには長い歴史があるわけだが、球児たちはどのように土を持ち帰り、その後どうしているのだろうか。
 2009年夏の甲子園に横浜隼人(神奈川県)の中堅手として出場した與那覇(よなは)明さん(28)は「お世話になった方々に配りました」と話す。
「甲子園で敗れたあと、学校に帰ってから全員が拾った土を一つにまとめました。それを3年生全員に均等に振り分けて、500ミリリットルのペットボトル1本分の土をもらいました。親戚やお世話になった方々に感謝の気持ちとして配り、自分の手元に残っているのはごくわずか。母校の中学では、私の土を飾ってくれています」
 今回の取材では十数人の甲子園出場経験者に話を聞いた。與那覇さんと同じように、周囲に土を配るというのが、最も多いケースだった。
 そして與那覇さんはこうも話した。
「1,2年生は土をもらえていませんでした。『まだ来年以降にチャンスがあるのだから、自分たちで取りに行け』ということでしょう」
 與那覇さんが言うように、3年生以外が甲子園で土を拾うことを禁じたり、拾いづらい雰囲気があるという学校は多い。下級生が土を拾うということは、「もう一度甲子園に来るつもりがない」と捉えられてしまうからだ。
 しかし、甲子園に出場することが容易ではないことは言うまでもない。地方予選は一発勝負のトーナメントであり、甲子園常連校であっても、翌年に再び甲子園に出場できる保証などないのである。
 そのため、土を拾うチャンスを逃すまいと、涙ぐましい努力をする人もいる。柏陵(千葉県)の二塁手として1999年夏の甲子園の舞台に2年生で立った三上宏太さん(37)は、「仲の良い先輩に、あらかじめ土を多めに拾ってもらうように根回しをしました」と打ち明けてくれた。
「やっぱり、もらえるときにもらっておきたいというのが正直なところでした。しかし、当時の監督はとにかく厳しい人で、土を拾えば『お前、来年にリベンジする気がないのか』と言われることがわかっていた。そのため前もって先輩に『多めに土を拾っておいてください』とお願いしました。ベンチ入りしていた他の2年生は自分で土を拾っていたのですが、予想通り監督にひどく怒られていましたね(笑)」
 大会後、夏休みが明けてから、三上さんは先輩から土を譲り受けた。その土はいまも実家で保管しているという。
 また3年生であっても、少しでも多くの土を持ち帰ろうと工夫(?)をこなす人もいた。2005年の夏、前橋商(群馬県)の一塁手として甲子園に出場した森田裕貴さん(33)はこう話す。
「試合の前日、監督が『負けたときは、みんなのために多めに土を取ってくれ』と話していました。部員は100人ほどいたので、ベンチ入りできない3年生がたくさんいたのです。しかし、試合に敗れたあとの時間だけでは、土を多くは拾えない。一方で決められた時間外に土を拾うと、グラウンドの管理員に注意されてしまいます。そのためか、大会前に甲子園で練習できる『公開練習』のとき、必要のないところでヘッドスライディングをして、ベルトに挟まった土をこっそり持ち帰っている選手もいました(笑)」
 それほどまでに、甲子園の土は選手たちにとっては価値のあるもののようだ。だが、持ち帰った土が思わぬ騒動を巻き起こしたこともある。
 1958年夏の甲子園で、戦後初の沖縄県代表として出場した首里が土を持ち帰ろうとしたときだ。当時、沖縄県はまだ日本に返還されておらず、アメリカの統治下にあった。甲子園の土は沖縄では「外国の土」という扱いになり、植物防疫法によって持ち込みが許されなかったのだ。結局、土は那覇港で海に廃棄されてしまったという。
 土が廃棄されたことを知った日本航空の客室乗務員が、土の代わりとして甲子園周辺の小石を集めて、同校に贈った。その小石は、今も同校にある「甲子園出場記念碑」にはめ込まれている。
 「たかが土」と侮ってはいけない。甲子園の土だけでもこれだけのドラマがあるのだ。だが、なかにはあっけない結末を迎える土もあるようだ。96年夏の甲子園に熊本工(熊本)から出場した星子崇さん(41)は「おそらく、親に捨てられたと思います」と話す。
「さだかではないのですが、おそらく実家が引っ越した時に捨てられてしまったと思います。私自身、土にそこまでの思い入れはありません。甲子園の土拾いは、伝統というか、『演出』みたいなところがあると思っていて。私もその流れに従って拾っただけです。もともと、そこまで土を欲しいとも思っていませんでした」
 星子さんだけではない。意外にも、「土を紛失した」という人は一定数いるようだ。横浜(神奈川県)で松坂大輔(現・埼玉西武ライオンズ)ともバッテリーを組んだタレントの上地雄輔(41)は、TBSの情報番組「グッとラック!」に出演した際、甲子園の土について聞かれると、「どっかいっちゃった」と話した。
 なかには、甲子園の土を転売するというあるまじきケースもある。ある大手フリマアプリで「甲子園の土」と検索すると、小さなビンに入った土が数千円で売られているケースがいくつも確認できた。
 これらが果たして本物なのかはわからないが、そもそも甲子園の土を選手たち自らが売ろうと思うことはあるのだろうか。2016年夏に甲子園に出場した盛岡大付(岩手県)の石橋泰成さん(21)は「売ろうと思ったことはない」と話す。土はいまでも他の甲子園の出場記念の品と一緒に家に飾っているという。そして最近、その土が思わぬ形で役に立ったそうだ。
「就職活動をしていたのですが、第一志望の企業の役員面接で、『人生で自慢できるものを1分間でプレゼンテーション』という課題がありました。土が入ったビンを持って、高校時代に野球に必死に取り組んだことをアピールしました。面接を担当された方々が興味を持ってくださったようで、その後内定をいただくことができました。土のおかげですね」
 はたして今年、阪神が全国の球児たちに贈る土は、どのようなドラマを描くのだろうか。(AERA dot.編集部/井上啓太)
 日本気象協会は18日までに、九州の豪雨災害の解析結果を発表した。3~11日の9日間に、積乱雲が次々に発達して列をなす「線状降水帯」が13回発生していた。
 このうち継続時間が最も長かったのは、3日午後11時20分から11時間半にわたって熊本県南部付近にかかり続けた線状降水帯で、球磨川の氾濫をもたらした。同協会は異例の長さだったと指摘している。
 大分県日田市などの筑後川上流域では、6日正午からの2日間で線状降水帯が3回発生し、氾濫に至った。
© KYODONEWS トランプ大統領=16日、ワシントン(ゲッティ=共同)  【ワシントン共同】トランプ米大統領は保守系FOXニュースのインタビューで、新型コロナウイルス対策として全米でマスク着用を義務化する考えを否定した。「国民には一定の自由を保ってほしい。全員がマスクを着ければ(問題が)全て消えるという考えには賛成しない」と強調した。インタビューの一部が17日に公開された。
 米国ではマスクを着用するかしないかで政治的な大論争があり、保守派の間では「弱さ」とみなされるとして、否定的な考えが根強い。トランプ氏はインタビューで「マスクを信頼しているし、いい物だと思う」と語ったが、公の場で初めてマスク姿を見せたのは今月11日だった。