2020年7月18日土曜日

部屋に飾られた甲子園の土(写真:森田裕貴さん提供)© AERA dot. 提供 部屋に飾られた甲子園の土(写真:森田裕貴さん提供)  プロ野球・阪神タイガースが阪神甲子園球場とともに、全国の高校3年生の球児に“甲子園の土”を入れたキーホルダーを贈ると発表したのは6月8日のこと。新型コロナウイルスの感染拡大により、夏の「全国高校野球選手権大会」の地方大会と全国大会が中止となったことを受け、矢野燿大監督を始めチーム内から「高校球児のためにできることはないか」という声があがり、実現したという。キーホルダーは8月下旬ごろから、対象となる各校に直接配送される予定だ。
 今回の阪神の取り組みに対しては、「よいアイディアだ」「私も欲しい」と好意的な意見が大半だが、一部では、「土は甲子園に出場したことの証であって、土だけもらっても喜べない人もいるのでは」という声もある。2ちゃんねるの創設者であるひろゆき(43)は先月、TBSの情報番組「グッとラック!」に出演した際、「そんな土もらってうれしいのかな?」と疑問を投げかけていた。
 甲子園の名物として定着している「土拾い」。そのルーツとされる1人が、「打撃の神様」と呼ばれ読売ジャイアンツで活躍した川上哲治だ。1937年夏の甲子園に熊本工の選手として出場し、土を持ち帰ったとされる。これが最初の土拾いではないか(諸説あり)と言われている。
 それだけ土拾いには長い歴史があるわけだが、球児たちはどのように土を持ち帰り、その後どうしているのだろうか。
 2009年夏の甲子園に横浜隼人(神奈川県)の中堅手として出場した與那覇(よなは)明さん(28)は「お世話になった方々に配りました」と話す。
「甲子園で敗れたあと、学校に帰ってから全員が拾った土を一つにまとめました。それを3年生全員に均等に振り分けて、500ミリリットルのペットボトル1本分の土をもらいました。親戚やお世話になった方々に感謝の気持ちとして配り、自分の手元に残っているのはごくわずか。母校の中学では、私の土を飾ってくれています」
 今回の取材では十数人の甲子園出場経験者に話を聞いた。與那覇さんと同じように、周囲に土を配るというのが、最も多いケースだった。
 そして與那覇さんはこうも話した。
「1,2年生は土をもらえていませんでした。『まだ来年以降にチャンスがあるのだから、自分たちで取りに行け』ということでしょう」
 與那覇さんが言うように、3年生以外が甲子園で土を拾うことを禁じたり、拾いづらい雰囲気があるという学校は多い。下級生が土を拾うということは、「もう一度甲子園に来るつもりがない」と捉えられてしまうからだ。
 しかし、甲子園に出場することが容易ではないことは言うまでもない。地方予選は一発勝負のトーナメントであり、甲子園常連校であっても、翌年に再び甲子園に出場できる保証などないのである。
 そのため、土を拾うチャンスを逃すまいと、涙ぐましい努力をする人もいる。柏陵(千葉県)の二塁手として1999年夏の甲子園の舞台に2年生で立った三上宏太さん(37)は、「仲の良い先輩に、あらかじめ土を多めに拾ってもらうように根回しをしました」と打ち明けてくれた。
「やっぱり、もらえるときにもらっておきたいというのが正直なところでした。しかし、当時の監督はとにかく厳しい人で、土を拾えば『お前、来年にリベンジする気がないのか』と言われることがわかっていた。そのため前もって先輩に『多めに土を拾っておいてください』とお願いしました。ベンチ入りしていた他の2年生は自分で土を拾っていたのですが、予想通り監督にひどく怒られていましたね(笑)」
 大会後、夏休みが明けてから、三上さんは先輩から土を譲り受けた。その土はいまも実家で保管しているという。
 また3年生であっても、少しでも多くの土を持ち帰ろうと工夫(?)をこなす人もいた。2005年の夏、前橋商(群馬県)の一塁手として甲子園に出場した森田裕貴さん(33)はこう話す。
「試合の前日、監督が『負けたときは、みんなのために多めに土を取ってくれ』と話していました。部員は100人ほどいたので、ベンチ入りできない3年生がたくさんいたのです。しかし、試合に敗れたあとの時間だけでは、土を多くは拾えない。一方で決められた時間外に土を拾うと、グラウンドの管理員に注意されてしまいます。そのためか、大会前に甲子園で練習できる『公開練習』のとき、必要のないところでヘッドスライディングをして、ベルトに挟まった土をこっそり持ち帰っている選手もいました(笑)」
 それほどまでに、甲子園の土は選手たちにとっては価値のあるもののようだ。だが、持ち帰った土が思わぬ騒動を巻き起こしたこともある。
 1958年夏の甲子園で、戦後初の沖縄県代表として出場した首里が土を持ち帰ろうとしたときだ。当時、沖縄県はまだ日本に返還されておらず、アメリカの統治下にあった。甲子園の土は沖縄では「外国の土」という扱いになり、植物防疫法によって持ち込みが許されなかったのだ。結局、土は那覇港で海に廃棄されてしまったという。
 土が廃棄されたことを知った日本航空の客室乗務員が、土の代わりとして甲子園周辺の小石を集めて、同校に贈った。その小石は、今も同校にある「甲子園出場記念碑」にはめ込まれている。
 「たかが土」と侮ってはいけない。甲子園の土だけでもこれだけのドラマがあるのだ。だが、なかにはあっけない結末を迎える土もあるようだ。96年夏の甲子園に熊本工(熊本)から出場した星子崇さん(41)は「おそらく、親に捨てられたと思います」と話す。
「さだかではないのですが、おそらく実家が引っ越した時に捨てられてしまったと思います。私自身、土にそこまでの思い入れはありません。甲子園の土拾いは、伝統というか、『演出』みたいなところがあると思っていて。私もその流れに従って拾っただけです。もともと、そこまで土を欲しいとも思っていませんでした」
 星子さんだけではない。意外にも、「土を紛失した」という人は一定数いるようだ。横浜(神奈川県)で松坂大輔(現・埼玉西武ライオンズ)ともバッテリーを組んだタレントの上地雄輔(41)は、TBSの情報番組「グッとラック!」に出演した際、甲子園の土について聞かれると、「どっかいっちゃった」と話した。
 なかには、甲子園の土を転売するというあるまじきケースもある。ある大手フリマアプリで「甲子園の土」と検索すると、小さなビンに入った土が数千円で売られているケースがいくつも確認できた。
 これらが果たして本物なのかはわからないが、そもそも甲子園の土を選手たち自らが売ろうと思うことはあるのだろうか。2016年夏に甲子園に出場した盛岡大付(岩手県)の石橋泰成さん(21)は「売ろうと思ったことはない」と話す。土はいまでも他の甲子園の出場記念の品と一緒に家に飾っているという。そして最近、その土が思わぬ形で役に立ったそうだ。
「就職活動をしていたのですが、第一志望の企業の役員面接で、『人生で自慢できるものを1分間でプレゼンテーション』という課題がありました。土が入ったビンを持って、高校時代に野球に必死に取り組んだことをアピールしました。面接を担当された方々が興味を持ってくださったようで、その後内定をいただくことができました。土のおかげですね」
 はたして今年、阪神が全国の球児たちに贈る土は、どのようなドラマを描くのだろうか。(AERA dot.編集部/井上啓太)

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