2020年8月16日日曜日

    健康ウォッチを1年間使ってみた


編集委員 東一真
 「チャージ3」という健康ウォッチ(ウェアラブル活動量計)を購入したのは昨年の3月でした。フィットビット(Fitbit)という米国メーカーの製品です。
 早速、使い始めました。この健康ウォッチは、歩数、心拍数、消費カロリーなどが記録されます。また、1日の目標歩数を8000歩と設定しておくと、8000歩に達した瞬間に、ウォッチがブルッと震え、小さな画面ではミラーボールがきらきら光ったり、テープが飛んだりして、祝福してくれるのです。心拍数から、脂肪燃焼した時間、有酸素運動の時間、睡眠の深さなども測定して表示されます。
 使い始めて1年以上がたちますが、こうした健康ウォッチが健康のために役に立つかどうか、気がついたことがいくつかあります。

<気づき1> 記録すると運動する

 使い始めた当初は、「今日は何歩歩いたかな?」「消費カロリーは?」「有酸素運動の時間は?」と気になって気になって、駅から自転車で自宅まで帰るのにわざわざ遠回りをしたり、2駅前で電車を降りて5キロ近くを歩いて帰ったりと、数字を伸ばすために色々な努力をするようになりました。
 食べたものを記録する「レコーディング・ダイエット」と同じ原理ですね。人は記録をし始めると、良い記録を残そうと努力するものなのでしょう。チャージ3で計測したデータは、近距離無線通信ブルートゥースでスマホに伝えられ、蓄積されます。スマホのアプリを見ると、「今日はこれまでで一番運動したな」「昨日より歩かなかったな」と、すぐにわかるわけです。
 今、アプリを見返すと、昨年3月4日から記録が始まります。例えば歩数を調べてみると、その週の合計歩数は5万1631歩でした。その翌週からの週合計歩数は6万5894歩→8万6743歩→8万479歩→9万481歩と急激に伸びます。

<気づき2> でもだんだん飽きてくる

 その後は週9万歩に到達することはなく、それでも昨年の秋口くらいまでは週6万~8万歩のペースを維持している感じですが、徐々に歩数は減っていき、そして記録ナシの日が出てきます。休みの日などはウォッチをつけない日が増えたのです。はい、そうです。飽きてきたのです。
 記録による運動の増加は、半年程度の持続力しかありませんでした(私の場合です。粘り強い性格の人はもっと続くでしょう)。その後、チャージ3をつけていたとしても、普通の時計として使うばかりで、歩数とか心拍とか活動時間とか、全く気にしなくなってしまったのでした。

<気づき3> 出社して仕事をするだけで運動になる

 さて、健康ウォッチをつけていても、記録を残すためにことさら運動をしなくなりました。そうすると逆に、日常のなかの運動量が「素の状態」で記録されていくわけです。そこで小さな発見がありました。「出社して仕事をするだけで相当運動している」という事実です。
 例えば普通のウィークデー。駅まで自転車や徒歩で行き、階段を上ってホームを目指します。乗り換えの度に、階段の上り下りで運動します。会社のなかでも階段でフロアを移動したりするので結構歩きます。さらに、記者会見や取材のアポ、シンポジウムやイベントなどで外出する(コロナ以前の話です)と、当たり前ですが、ますます歩くし、階段も上ります。
 朝出社して、いろいろ仕事して、夜家に帰る――。これだけで8000歩以上歩く日が多いのです。逆に休みの日に家でダラダラしていて、夕方の散歩で一気に歩数を稼ごうとしても8000歩を歩くのは、結構難しいものです。
 最近は「コロナ太り」が話題になっていますが、「さもありなん」と思います。会社に行かなければ必然的に運動量は落ちます。テレワークには必ず運動の時間を意識的に組み込まないことには、維持可能な「新しい生活様式」にはならないでしょう。この1年の健康ウォッチ体験から、そう感じている次第です。

 詩人の石垣りんさんは大手の銀行で事務員をしていた。戦後20年を迎えたとき、戦没者となった行員105人の名を社内の新聞が載せたという◆その折に一編の詩をしたためている。<ここに書かれたひとつの名前から、ひとりの人が立ちあがる…たとえば海老原寿美子さん。長身で陽気な若い女性。一九四五年三月十日の大空襲に、母親と抱き合って、ドブの中で死んでいた、私の仲間/あなたはいま/どのような眠りを/眠っているだろうか>「弔詞」◆戦後20年の夏であれば小欄は2歳にもなっていない。戦争を知らない身で戦争をどうコラムに書けばいいか、そっと教えてくれるようで時々見返している◆まず一つの答えは悼むことだろう。戦没者一人ひとりに海老原さんのような人生があったことを。不戦の誓いを継ぐには、戦争を知らない世代に小さくない責任がありそうである。先の詩はこう結ばれる。<皆さん、どうかここに居て下さい>。犠牲者に呼びかけ、引き留め、今を生きる人に二度と戦争をさせないよう願いをささげている◆きょうの終戦の日、石垣さんに倣い、どうか…とつぶやいてみる。

      8月15日 よみうり寸評



 先頃亡くなった英文学者、外山滋比古さんがふるさとの風習を随筆で紹介している。一升ますにつきたての白餅を入れて男児に食べさせたという◆一生の間に城持ちになれるよう祈願する儀式だったが…。〈悪童連の多くが、城持ちはおろか、家もなさないうちに、戦争で死んで行った〉◆こうした理不尽の集積として犠牲者310万人の数字が残る。では終戦の日が8月15日でなかったら――中公文庫の新しい一冊『新編「終戦日記」を読む』(野坂昭如著)に考えさせられた。野坂さんは6月5日の神戸空襲で養父を失い、疎開先で妹をなくしている。〈六月一日に終わっていれば〉。癒えない苦悶くもんが吐露される◆75回目の終戦の日に思う。この大切な日の前にも幾度か鎮魂の日がある。3月10日(東京大空襲)6月23日(沖縄戦終結)8月6日、9日(広島、長崎への原爆投下)…引く時機を失し、惨禍の連鎖をゆるした結果が先の数字だろう◆なぜ誤ったか。早世した〈悪童連〉から問い続けるべきテーマを投げかけられる。

メキシコ・プエブラのサファリパーク「アフリカン・サファリ」の赤ちゃんゾウ(2020年8月14日撮影)。メキシコ・プエブラのサファリパーク「アフリカン・サファリ」の赤ちゃんゾウ(2020年8月14日撮影)。© JOSE CASTANARES / AFP メキシコ・プエブラのサファリパーク「アフリカン・サファリ」の赤ちゃんゾウ(2020年8月14日撮影)。 【AFP=時事】メキシコのサファリパークで誕生する瞬間をライブストリーミングで生配信されたアフリカゾウの赤ちゃんが、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的な大流行)によって有名になったビデオ会議サービスにちなんで「ズーム( Zoom)」と名付けられた。
 この子ゾウが生まれたのは、首都メキシコ市の南東プエブラ(Puebla)にあるサファリパーク。密猟に脅かされるナミビアで8年前に保護されたゾウの一群に同パークで生まれた6番目の子だ。
 このアフリカン・サファリ(Africam Safari)では14日、お母さんの脚の間で遊ぶ赤ちゃんゾウの姿が見られた。ディレクターのフランク・カルロス・カマチョ(Frank Carlos Camacho)さんは「ゾウの誕生を見ることは難しい」「時間、羊水などの量、その他の要素を計測することは科学的にとても役立つ」とAFPの取材で説明した。
© JOSE CASTANARES / AFP メキシコ・プエブラのサファリパーク「アフリカン・サファリ」の赤ちゃんゾウ(2020年8月14日撮影)。  このサファリパークでは、最終的にゾウたちをアフリカに返すことを目指しているという。
 カマチョさんまた、「ゾウはわれわれのものではない。世界のものだ」と語るとともに、「アフリカにいてほしいが、現在の状況では難しい」「観光業に従事していた人々がパンデミックで職を失い、代わりの仕事を探している。今後の見通しはひどいものだ」と嘆いた。
メキシコ・プエブラのサファリパーク「アフリカン・サファリ」の赤ちゃんゾウ(2020年8月14日撮影)。© JOSE CASTANARES / AFP メキシコ・プエブラのサファリパーク「アフリカン・サファリ」の赤ちゃんゾウ(2020年8月14日撮影)。 【翻訳編集】AFPBB Newsメキシコ・プエブラのサファリパーク「アフリカン・サファリ」の赤ちゃんゾウ(2020年8月14日撮影)。