11月29日 編集手帳
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その児童養護施設の子供らは、園長のルロイ修道士とは〈うっかり握手をすべからず〉と言い交わしていた。万力より握力が強く、勢いよく腕を上下させる。しばらく鉛筆が握れなくなるよと◆これは井上ひさしさんの小説「握手」の話。読み進めると、戦中戦後、自ら畑を耕し、施設の子を愛し抜いた人ゆえとわかるが、むろん握手は舶来のもの。西洋でも意外に歴史は浅く、近代以降に定着したものらしい◆日本では文明開化期の1879年、米国のグラント前大統領の来日に際し、明治天皇が〈握手の礼〉で迎えたとされる。庶民もぎこちなさを覚えながら、マナーとして習得に努めてきた◆ところが最近、にわかに“肘タッチ”が採用されつつある。じかに手を握ることなどご法度の、コロナ時代の礼法だ。対面外交が再開し、モリソン豪首相と菅首相が笑顔で肘を合わせる写真をご覧になった方もあろう◆どうも正直、なじめる気がしない。ちなみに英語の〈エルボー〉でネットを検索すると、プロレス技の画像が続々と出てくる。井上さんの名編のごとく、いつかは思いの丈を託せる挨拶になるだろうか。
11月28日 よみうり寸評
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フロリダ州にある米航空宇宙局(NASA)ケネディ宇宙センターでは宇宙飛行士は「アストロバン」と呼ばれる車に乗ってロケット発射台へ向かう。銀色の車体の古めかしいバンでアポロ計画の時代から続く伝統だった◆今月、スペースX社の新宇宙船に搭乗した野口聡一さんは、このアストロバンではなく、テスラ社の電気自動車で発射台まで移動した◆スペースXを率いる実業家イーロン・マスク氏は、テスラの経営者でもある。当然と言えば当然の新旧交代だろう◆かつてのだぼだぼの宇宙服とは対照的に、スペースXの宇宙服は黒と白で統一された未来的なデザインだ。2011年に退役したスペースシャトルのコックピットがボタンや計器だらけだったのに比べ、新宇宙船はモニター画面だけで、操作はタッチパネル方式だ◆野口さんは、こうした変化を「黒電話がスマホに変わったよう」と例える。新しい宇宙船は、新しい時代の到来を告げている。一般人が宇宙に行ける日も、そう遠くないと思わせてくれる。