2020年8月15日土曜日

感想戦で対局を振り返る渡辺明新名人=大阪市福島区の関西将棋会館で2020年8月15日午後5時58分、加古信志撮影© 毎日新聞 提供 感想戦で対局を振り返る渡辺明新名人=大阪市福島区の関西将棋会館で2020年8月15日午後5時58分、加古信志撮影  プロデビューから20年、風貌が似ている超能力を持つ漫画の主人公から転じた「魔王」の異名で呼ばれる実力者がついに頂点に立った。関西将棋会館(大阪市福島区)で14、15日に指された第78期名人戦七番勝負第6局は、挑戦者の渡辺明王将(36)が豊島将之名人(30)を降し、世襲から実力制に移行後、15人目の名人となった。就任年齢は4番目の年長で、獲得までの年数も4番目に長い。既にベテランの域にある新名人は、これからどんな戦いを見せるか。藤井聡太棋聖(18)を筆頭に、世代交代をめぐる戦いもますます激しくなりそうだ。
 渡辺は中学3年時の3月にプロ入りを決め、将来を期待された。六段時代の2004年に20歳で初タイトルの竜王を獲得して以降、無冠になったことがない。
 しかし、名人戦・順位戦では苦労した。一番下のC級2組から名人戦の挑戦者を決めるA級にたどりつくまで10年を要し、そのA級でも、挑戦権を得ることもないまま8期目でB級1組に陥落した。渡辺と付き合いが深い村山慈明七段(36)は「順位戦は持ち時間が6時間と長く、手番も事前に決まっている。先手番が研究を生かしやすく、渡辺さんは後手番の将棋で苦労していた印象だ」と話す。
 16年には佐藤天彦九段(32)が28歳で、昨年は豊島が29歳で名人位をつかんだ。渡辺は「最初にA級に上がったときは、メンバーの中でも断然若かったので、名人戦に出るチャンスはあるかなと思っていた。しかし、後輩が名人戦に出るようになり、名人戦への意識が遠のいていった」と当時を振り返った。
 それでも名人位はすべての棋士が憧れる特別なタイトル。名人位を奪取した直後の記者会見では「普段通りには決断できないなど、一手一手の重みは感じた。力みみたいなものは当然あった」と抱えたプレッシャーの大きさを明かした。
 今期の名人戦は新型コロナウイルスの感染拡大で日程が大きく変更され、渡辺、豊島ともに、二つのタイトル戦を並行して戦うハードスケジュールになった。渡辺は7月に藤井七段に棋聖を奪われたが、直後の名人戦第4局に勝ってスコアをタイに戻した。第5局では苦しい展開をはね返し、第6局は得意の矢倉で退けた。
 一方、名人位の防衛に失敗した豊島。最後は渡辺の指し手に19分考えた末、次の手を指さずに投了した。終局後、「さえない内容の将棋が多かった」と肩を落とした。永瀬拓矢叡王(27)に挑戦中の叡王戦七番勝負でもカド番に追い込まれており、正念場の戦いが続く。【新土居仁昌】
前原誠司氏(2019年12月撮影)© 京都新聞社 前原誠司氏(2019年12月撮影)  国民民主党の前原誠司元外相(衆院京都2区)は15日、同党が立憲民主党(立民)との合流組と残留組に「分党」する見通しになったことを巡り、「国民民主党に残る」と残留を表明した。京都新聞社の取材に答えた。
 前原氏は理由について「これまで非自民非共産で(政治活動を)続けてきた。共産党と選挙協力する立民に身を置くことはできない。憲法を議論するリベラル保守の旗を掲げ、他の議員も巻き込んでやっていきたい」と述べた。
 一方、立民との合流組に対しては「敵は自民党であり、同じ党で活動していたので協力しないといけない」とも述べた。
 前原氏はこの日、京都市東山区で後援会の会合を開催。国民に残留する意向を諮ったといい、「満場一致で認めてもらった」と明かした。
2006年の甲子園を盛り上げた八重山商工のナイン (c)朝日新聞社© AERA dot. 提供 2006年の甲子園を盛り上げた八重山商工のナイン (c)朝日新聞社  夏の風物詩・高校野球は、これまでにも数多くの名勝負や名場面が演じられてきたが、これらの印象深いシーンとともに、ファンの間で熱く語り継がれているのが、甲子園大会のテレビ中継で、アナウンサーが口にした名セリフの数々だ。球史に残る熱戦には、名実況あり。そんな思い出に残る“珠玉の言葉”を集めてみた。
「甲子園は清原のためにあるのか!」
 1985年、桑田真澄、清原和博の“KKコンビ”を擁するPL学園は、2年ぶりの全国制覇をかけて決勝で宇部商と対戦したが、3回まで無得点に抑えられ、1点リードを許す苦しい展開。そんな劣勢を救ったのが、4番・清原のバットだった。4回に左翼ラッキーゾーンに同点ソロを放つと、2対3と再びリードを許した6回にも、古谷友宏の内角高め直球をフルスイング。金属バット特有の快音とともに、バックスクリーン左に大会新記録(当時)となる5号同点ソロを叩き込んだ。
「ホームランか?ホームランだあ!」と絶叫したのは、朝日放送の植草貞夫アナ。笑顔でダイヤモンドを1周する清原がアップで映し出されるなか、なおも独特の語り口で実況を続ける。「恐ろしい!両手を上げた!甲子園は清原のためにあるのか!」。
 PLは3対3の9回に3番・松山秀明の右中間へのタイムリーで劇的なサヨナラV。バットを高々と頭上に掲げながら歓喜の輪の中央に立つ清原の姿も、まさに「甲子園は清原のためにあるのか」だった。
「空を見上げました。沖縄の空にももちろんつながっています」
 06年の3回戦、八重山商工のエース・大嶺祐太(現・ロッテ)は、智弁和歌山の強力打線を6回まで3安打、3ランによる3失点に抑えたが、3対3の7回、三塁線へのボテボテの打球が内野安打になる不運で、2死一、三塁のピンチを招く。次打者は4番・橋本良平。ここで八重山商工は守備のタイムを取り、マウンドに内野手が集まった。
 そして、伝令がベンチに引き揚げたあと、再び一人になった大嶺は、マウンドで気持ちを落ち着かせようと、空を見上げた。冒頭の実況は、この場面を見た朝日放送・中邨雄二アナの口をついて出たものだ。
 約1200キロ離れた甲子園と八重山商工の所在地・石垣島を、「空」をキーワードに瞬時にして結びつけた言葉は、郷里の人々の大声援を力に変えて、強敵相手に真っ向勝負を挑もうとする離島のエースの心中を代弁しているかのようだった。
 だが、勝利の女神は微笑まなかった。カウント3-1から橋本に投じた運命の5球目は、右翼フェンスを直撃する2点タイムリー三塁打となり、大嶺は8回途中7失点でマウンドを降りた。
「あり得る最も可能性の小さい、そんなシーンが現実です」
 07年の決勝戦、7回を終わって4対0とリードし、勝利を目前にしていた広陵だったが、8回に悪夢とも言うべき大どんでん返しが待ち受けていた。
 7回までわずか1安打に抑えられていた佐賀北はこの回、1死から連打と四球で満塁と反撃。マウンドの野村祐輔(現・広島)は2番・井手和馬にもカウント3-1と苦闘するなか、5球目は渾身の直球が外角低め一杯に決まったかに見えたが、判定は無情にも「ボール!」。捕手・小林誠司(現・巨人)がミットを3度も地面に叩きつけて悔しがるほど微妙なコースだった。
 そして、皮肉にもこの押し出し四球で、流れは一気に佐賀北へ。次打者・副島浩史は、野村のスライダーが甘く入るところを見逃さず、左翼席に起死回生の逆転満塁本塁打。思わず「まさか!」と目を疑いたくなるような奇跡の大逆転劇を、冒頭の言葉で表現したのが、NHKの小野塚康之アナだ。
 さらに、一発のショックから野村の投球が乱れはじめると、「野村頑張れ、頑張れ!」。公正中立がモットーのはずの実況アナが一方のチームのエースを応援していると受け取られかねない珍しい場面だったが、悲運のエースの苦しい心中に思いを馳せていたファンは、「よくぞ自分の気持ちを言ってくれた」と共感したはずだ。
「日本文理の夏はまだ終わらない!」
 09年、新潟県勢初の全国制覇の夢を乗せて決勝進出をはたした日本文理は、中京大中京に4対10と大きくリードされて最終回の攻撃を迎えた。
 8番・若林尚希が三振、9番・中村大地が遊ゴロで、あっという間に2死。だが、ここから球史に残る怒涛の猛攻が始まる。
 1番・切手孝太がフルカウントから四球を選ぶと、2番・高橋隼之介の左中間二塁打で、まず1点。3番・武石光司も右翼線を破り、もう1点を返すと、4番・吉田雅俊も、三邪飛を三塁手が見失い、捕球に失敗する幸運で命拾いした直後、死球で一、三塁とチャンスを広げる。
 ここで中京大中京は、エース・堂林翔太(現・広島)に代えて、森本隼平をリリーフに送ったが、5番・高橋義人もファウルで粘り、四球で満塁。そして、6番のエース・伊藤直輝の三遊間タイムリーで、2人目の走者も本塁クロスプレーの末、セーフとなり、8対10。
「つないだ!つないだ!日本文理の夏はまだ終わらない!」という朝日放送・小縣裕介アナの名実況が飛び出したのは、このシーンの直後だった。
 日本文理はさらに代打・石塚雅俊の左前タイムリーで1点差まで迫るが、若林のあわや同点タイムリーを思わせる三塁への猛ライナーが、河合完治のグラブに収まった瞬間、彼らの劇的な夏は、ついに幕を閉じた。(文・久保田龍雄)
●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2019」(野球文明叢書)。
 ◇セ・リーグ 阪神10―2広島(2020年8月15日 京セラD)
 阪神の西勇輝投手(29)が広島戦で8回4安打2失点と好投し、今季3勝目(3敗)。オリックス時代の本拠、京セラドームで移籍後初勝利を挙げるとともに2013年6月2日以来7年ぶりとなる広島戦勝利をマークした。
 前回登板した8日の広島戦(マツダ)と同じ相手エース大瀬良との投げ合い。前回は6回4安打1失点好投も白星は大瀬良に譲っていただけに「本当に素晴らしいピッチャーなので、先取点取られないように丁寧に投げていきました」と振り返った西勇は「キャッチャーの梅野に本当にいいリードしてもらって投げやすいリズムで投げれましたし、本当に野手のプレーというのは本当に見てて安心できました。なので、長いイニングを投げることができました」と女房役の梅野や14安打10得点と爆発した打線に感謝。「本当に打線の援護で自分が投げやすい環境だったので本当に助かりました。ありがとうございます」と重ねて感謝を口にした。
 最後に次回登板へ向けて抱負を聞かれると「本当にこうやって勝てましたし、何とか次の試合も長いイニング投げれるように頑張りたいです」とした西勇。続けて「きょう小川がね、ノーヒットノーランしましたんで何とか僕も負けないように頑張っていきます」とこの日のDeNA戦(横浜)でノーヒットノーランを達成した同じ1990年生まれで同学年のヤクルト・小川泰弘投手(30)にライバル心をむき出しにしていた。
 東京都の新規感染者は385人で、2日連続で300人を上回った。重症者は前日から1人減の23人、入院患者数は同19人減の1541人となった。直近1週間の平均陽性率は5・9%で、7月15日(5・8%)以来、1か月ぶりに6%を下回った。感染経路が判明している136人のうち、家庭内での感染が64人と半数近くを占めた。
 神奈川県は136人で、3日連続の3桁。1日あたりの新規感染者は今月8日の128人を上回り、最多となった。横浜市青葉区の日本体育大横浜・健志台キャンパスでは、レスリング部の部員ら18人の感染が判明し、クラスター(感染集団)となった。高知県でも、過去最多となる14人が確認された。高知市の障害者支援施設で入所者と職員計12人の感染が判明したという
全国戦没者追悼式で式辞を述べる安倍晋三首相=2020年8月15日午前11時54分、東京都千代田区の日本武道館、迫和義撮影© 朝日新聞社 全国戦没者追悼式で式辞を述べる安倍晋三首相=2020年8月15日午前11時54分、東京都千代田区の日本武道館、迫和義撮影  安倍晋三首相は15日、政府主催の全国戦没者追悼式に参列し、式辞を述べた。今年の式辞では、昨年まで繰り返し用いてきた「歴史」という文言が消えた。一方で、首相が外交・安全保障戦略を語る時に使う「積極的平和主義」が初めて盛り込まれた。アジアの近隣諸国への加害責任には今年も言及せず、戦後75年の節目のメッセージは「安倍色」が強くにじんだ。
 首相は天皇陛下の「おことば」に先立ち、式辞を述べた。式辞の構成や内容は、少なくとも過去数年、ほぼ同じだ。2019年に「歴史の教訓を深く胸に刻み」としていたくだりは今年、「世界をより良い場とするため」と変わった。12年末に発足した第2次安倍政権では昨年まで「歴史」が式辞に入り、「謙虚に向き合う」「教訓を深く胸に刻み」などと組み合わせて表現していた。
 また、近隣諸国への加害責任については8年連続で触れなかった。1993年に細川護熙氏がアジア諸国への「哀悼の意」を表明し、94年には村山富市氏が「深い反省」を加えた。その後の自民党の首相も踏襲し、安倍首相も第1次政権時の07年には使っていたが、第2次政権では一貫して式辞で言及していない。
 積極的平和主義は13年秋、首相が集団的自衛権行使容認の憲法解釈変更に意欲を示し、国家安全保障戦略(NSS)を議論した有識者会議の中で浮上した用語だ。直後の臨時国会の所信表明で首相は「我が国が背負うべき21世紀の看板」と演説した。
 13年12月に閣議決定したNSSの基本理念に据え、「国際社会の平和と安定及び繁栄の確保にこれまで以上に積極的に寄与していく」ものと説明。貧困削減や国際保健といった分野での取り組みの強化なども含むとしている。14年以降の通常国会の施政方針演説にも盛り込まれている。
 積極的平和主義を掲げる政府は現在、首相の今年6月の提起に基づき、NSSの改定を議論している。配備を断念した陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の代替策や、敵のミサイル基地などを直接攻撃する「敵基地攻撃能力」の保有などを検討中だ。
 ある省庁の幹部は「(21年9月の自民党総裁の)任期満了まで約1年で、政治信条を表現したかったのではないか」とみる。
 立憲民主党の枝野幸男代表は終戦の日に合わせ、「安倍・自公政権は戦後のわが国が育んできた立憲主義、平和主義を脅かす動きを強めており、こうした動きは断じて容認できません」などとする談話を出した。共産党の小池晃書記局長も「軍拡競争の悪循環を生み、北東アジアの緊張をさらに激化させるのは明らか」と政権を批判した。(菅原普)
       
    パソコン故障のためブログ発信不能・・でした
  
 分譲の皆さん、今日はお元気でしょうか? 相変わらずコロナが猛威を奮っていますがこの近隣ではなんとか小康を保っていますが、何時何時感染者が現れるとも限りません。どうか三密を避けて充分ご注意の程を。

さて、15日の土曜日は私のパソコンが終日トラブルをおこしブログが使用できませんでしたので発信不能になったことをここにお詫び致します。夕方には可能になりましたのでこれより開始致しますので宜しく閲覧下さい。

尚、16日より2,3日投稿が出来ないのでご了承下さい
全国戦没者追悼式で黙とうされる天皇、皇后両陛下=15日正午、東京都千代田区の日本武道館(代表撮影)© 時事通信 提供 全国戦没者追悼式で黙とうされる天皇、皇后両陛下=15日正午、東京都千代田区の日本武道館(代表撮影)  天皇陛下は全国戦没者追悼式のお言葉で、昨年の表現をほぼ踏襲する一方、現在直面している「新たな苦難」として新型コロナウイルスの感染拡大に触れられた。
 追悼式のお言葉はこれまでも上皇さまや陛下が新たな表現を盛り込むなどして少しずつ変わってきたが、基本的な構成は同じだった。新たに段落を一つ加え、戦没者以外の話題に触れたのは極めて異例で、コロナ禍に苦しむ国民への陛下の思いがうかがえる。
 感染拡大の影響で、天皇、皇后両陛下がお住まいのある赤坂御用地から皇居以外に外出したのは約半年ぶり。「四大行幸啓」と呼ばれる両陛下が出席する地方行事は年内の開催が全て取りやめになり、秋の園遊会も中止が決まった。感染拡大の収束は見通せず、両陛下が以前と同様の活動を再開できるめどは立っていない。
 両陛下は4月に政府専門家会議の副座長だった尾身茂氏から説明を受けたのを皮切りに、学者やNPO関係者など幅広い立場の人を赤坂御所に招き、新型コロナの影響などについて熱心に耳を傾けてきた。
 尾身氏との面会では、陛下が冒頭、「私たちが心を一つにして力を合わせながら、現在の難しい状況を乗り越えていくことを願っています」と発言したことが公表された。5月に日本赤十字社社長らと面会した際には皇后さまの発言も公表され、いずれも宮内庁ホームページに掲載された。活動が大幅に制限される中、両陛下から国民へのメッセージの意味合いがあったとみられる。 
公明・山口代表が演説 コロナ、気候変動「もう1つの脅威が核兵器」© 産経新聞社 公明・山口代表が演説 コロナ、気候変動「もう1つの脅威が核兵器」  公明党の山口那津男代表は終戦の日の15日午前、都内で街頭演説した。新型コロナウイルスと気候変動に触れながら「もう1つの脅威が戦争であり、核兵器だ」と述べ、核廃絶に向け、日本が各国の対話の先頭に立つべきだとの考えを示した。
 山口氏は、戦争経験者の高齢化が進む現状を踏まえ「大事なことは経験者の証言を伝え残し、破壊された戦争の遺構を残すことだ」と指摘。「後世の人々が、二度と戦争を起こしてはならないという誓いを立てられるよう客観的な資料を選別し、整えていくときだ」と強調した。
東京都庁舎© KYODONEWS 東京都庁舎  東京都は15日、新型コロナウイルスの感染者が新たに385人報告されたと明らかにした。8月は都内の感染者数が全て3桁で推移し、300~400人台の日が目立つ。今月10日以降は100人台後半から200人台前半にとどまったが、14日は再び389人に上り、悪化傾向が続いている。
 都は警戒度を4段階の指標で最も深刻な「感染が拡大している」に位置付けている。小池百合子知事は夏休みやお盆の帰省や旅行を控えるよう都民に要請。酒類を提供する飲食店やカラオケ店には今月31日まで午後10時閉店の時短営業を求めている。
msnewslogo ウェブ検索ナビゲーションに移動 コンテンツに移動 フッターに移動 サインイン 時事通信 モーリシャス沖の座礁、事故前に誕生会か=船員が供述と地元報道 2020/08/14 22:51 イチロー、青木ら MLBのマウンドに上がった野手 山下智久は「上級ジャニーズ」か モーリシャス沖で座礁した貨物船=13日(EPA時事)© 時事通信 提供 モーリシャス沖で座礁した貨物船=13日(EPA時事)  【パリ時事】インド洋の島国モーリシャス沖で座礁した貨物船から大量の重油が流出した事故で、複数の船員が地元捜査当局に対し、事故前に船員の誕生日会を開いていたと供述したことが明らかになった。地元紙レクスプレス(電子版)が13日、報じた。  レクスプレスによると、船員らは、無線通信Wi―Fi(ワイファイ)に接続するために島に近づいたとも供述している。報道によれば、貨物船にはフィリピンやインド、スリランカ人の計約20人の船員が乗船していた。