2020年10月26日月曜日


 編集手帳

 今の時代に、「タブレット」といえばタブレット端末を連想する人がほとんどだろうが、もともとは歴史との関わりも深い言葉だ◆今月、「古代メソポタミア全史」(中公新書)をじょうした歴史学者の小林登志子さんによると、この分野の研究者の間でタブレットは、楔形くさびがた文字などを記した「粘土板」を指すことが多いそうだ◆識字率の低かった当時、文字を書くことを仕事とする「書記」たちが様々な出来事を記した粘土板が、古代社会の営みを今に伝えてくれている。書記は行政機関や神殿に就職して活躍したが、一人前になるまでの道のりは険しかった◆<ぼくを朝には(早く)起こしてください。遅刻できないのです。ぼくの先生にむちたたかれます>。紀元前2000年頃のシュメール語文学作品「学校時代」に出てくる話という。先生の厳しい指導を受け、粘土板に文字を刻む生徒の姿が目に浮かぶ◆現代のタブレットも教育利用が広がり、コロナ禍がそれを加速させている。書記の卵が見たら、あまりの高機能に驚くに違いないが、大切なのは文字を書くこと、学ぶことだ。それは、昔も今も変わらない。

10月26日 よみうり寸評


 新型コロナの国内の感染者数に増加の兆しがあるという。再拡大は防げるか。日曜の本紙スキャナー欄は〈岐路〉の見出しで現状を伝えていた◆この秋の岐路はそれだけではない。海外では米大統領選、国内でも大阪都構想の住民投票が迫る。超大国と西日本最大都市のありようがそれぞれの結果次第で大きく違ってくる◆岐路に立つことを英語でstand at the crossroadsと言うと気象エッセイスト倉嶋厚さんの随筆に教わった。crossroadsは文字通り二つの道が交差する所、日本語でつじとも言う◆〈辻でよく起こるのが辻風。(略)方向のちがう風がぶつかりあうので、ぐるぐると渦を巻きやすい〉(『日本の名随筆37 風』)。もうひと吹きが決着前にあるだろうか◆二者択一の岐路と違い、コロナに再拡大の選択肢はありえない。感染抑止と経済活性化の両立を図るなか、この〈方向のちがう風〉がぶつかると話は厄介になる。そうならぬよう細心の注意を払って眼前の辻を横切ろう。