2020年10月11日日曜日


10月10日 よみうり寸評


 『五木の子守唄』は赤ん坊を寝かしつけるための歌ではない。貧しい家庭から子守奉公に出された少女たちが不遇を嘆く歌詞が並ぶ◆〈おどんがお父っつあんは あん山おらす おらすともえば いこごたる〉。私のお父さんは遠くに見えるあの山にいるんだと思うと、早く帰りたくなる。そんな郷愁にかられたのだろう◆山村の悲哀が歌い継がれた熊本県五木村の村民たちも住み慣れた地を離れざるを得ない不遇をかこってきた。たび重なる球磨川の洪水で、1966年に村を流れる支流の川辺川でダムが計画された。水没予定地の500世帯が移転し、このうち7割は村を去ったが、11年前に計画は中止になった。ダムに翻弄ほんろうされた半世紀というほかない◆川辺川ダムの議論が再燃しているという。球磨川が氾濫した九州豪雨から3か月がたち、治水対策の選択肢に浮上している。むろん反対の声もある◆良策のため熟慮を重ねたいが、災害は待ってくれないのがもどかしい。被災地では今週も台風に気をもんだことだろう。

10月11日 編集手帳


 古本で買った『川柳漫画全集』明治の巻に、こんな句があった。〈図書館に入りぬ眠りぬ出て行きぬ〉。語調は〈来た、見た、勝った〉に似て、とぼけた味がある◆かと思えば、きまじめな人もいる。昭和の作家、中野重治は中高生の頃、試験勉強をする者がたくさんいて〈図書館をけがす仕方のように思った〉と書いている(「司書の死」)。それが本来の利用法ではあるまいと◆いつぞや調べ物に寄った際、当欄も考えさせられた。年配の方がカウンターで、とある月刊誌がないのかと尋ねていた。館員は定期購入の対象ではない、どうしてもご希望なら次年度、検討しますと説明に努めたが、気まずい雰囲気が伝わってきた◆昨今は雑誌も安くはない。生活費の都合だってあるだろう。図書館にしても幅広い層に読書機会を提供するのが使命ではある。とはいえ何でも買って、タダ読みさせるスポットでは困る◆閲覧後、やっぱり欲しくて〈来た、見た、買った〉となればいいが、さもなければ出版社は傾き、早晩、雑誌自体が出なくなる。さてどうしたものか、読書の秋、図書館にも思いをはせたい気がする。

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