2020年10月1日木曜日

読売新聞オンライン


10月1日 編集手帳

 本紙のデータベースで、訪日外国人客を意味する「インバウンド」を検索したところ、初出は2000年の12月で、経済面ではなく鹿児島県版だった◆政府系銀行の支店が海外で調査を行い、観光客増をはかるリポートを公表したと伝える記事中にあった。それから各地の県版を中心にこのカタカナ語は頻出していく。地方経済の希望とともに20年かけて熟成した言葉なのだろう◆新しいカタカナ語の使用を避けるきらいのある小欄はいささか反省し、経済を支えるこの語句についてはためらいをなくそうと意を強くしている◆とはいえ、インバウンドが以前のように戻る見通しはまだない。きょうから政府の旅行キャンペーンに「東京発着」が加わる。首都と地方の観光業の相互に救いとなってほしいものである。天上影は替らねど/枯栄は移る世の姿――。土井晩翠『荒城の月』の詞に1か所いたずらをし、「栄枯」の順を逆にさせてもらった。こうすれば悠久不変の月のもと、次は栄えが訪れる番と受けとれる◆今宵こよい、中秋の名月。まん丸のお月様が列島の隅々を照らし、踏ん張る人々を励ましてくれることを。


9月30日 編集手帳

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 先週末の本紙夕刊に、ある飲食店の貼り紙の写真が載った。苦学生に向けた手書きの文字は一言一句を眺めるだけで、どこか満たされた心持ちになる◆京都市の「餃子ギョーザの王将」出町店にこんな掲示がある。<めし代のない人/お腹いっぱいただで食べさせてあげます/但し仕送りが遅れているか/昨日から御飯を食べていない人に限ります>。貼り紙には2年前まで「皿洗いをしたらタダ」とあった◆厚情を受けた学生は40年近くで約3万人に上る。惜しまれつつ、店主の井上定博さん(70)は古希を迎えたのを機に来月末での閉店を決めたという◆京都ということもあり、最澄の言葉「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」を浮かべた。誰に言われずとも宝になった方ではないかと。感謝を伝えにくる“元学生”で、お店はにぎわうことだろう。ここでしか食べられない特別な餃子を味わえるのも、残りひと月である◆最澄でもう一つ。天台宗では、心に仏さまを念ずる修行の一つを<常行三昧(じょうぎょうざんまい)>と呼ぶ。平仮名を眺め回しているとき、まさかと思った。なかほどに「ぎょうざ」とある。

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