10月13日 よみうり寸評
大学時代、ジャズバンドで鳴らした筒美京平さんは歌謡曲を嫌っていたらしい。レコード会社への就職に際しても「洋楽部以外はできません」と言明したとの逸話が残る◆ディレクターとなってひたすら洋楽を聞き込み、どんな曲がヒットするかを探りつづけた。大学の先輩でもある作詞家の誘いもあって作曲の世界に転じてから、その素養が生きたという(『筒美京平の世界』)◆確かに『ブルー・ライト・ヨコハマ』も『真夏の出来事』も『また逢う日まで』も洋楽の薫りを漂わせつつ、哀愁を帯びて心に残る◆ポップスという欧米からの風を吹き込んで歌謡曲の様相を変えていったのだろう。7560万枚という日本の作曲家で歴代最多のシングル曲総売上枚数が、時代を映した楽曲の力を物語る◆〈ヒット曲を作り出すことは、夢を追いかけるのに似ている。はかなくも、神秘的かつロマンチックなものだ〉。そう述懐している希代の作曲家が80年の生涯を閉じた。追いかける夢にあふれた昭和の時代がいまはまぶしい。
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