2020年11月22日日曜日

 読売新聞オンライン


11月22日 編集手帳

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 栃木県の日光東照宮は古来、〈日光を見ないうちは結構と言うな〉とたたえられてきた。語呂のよさからか、この成句、明治の訪日外国人にもウケたようである◆英国の女性旅行家、イザベラ・バードは1878年(明治11年)、日光に滞在し、自分には〈「結構ケッコー!」という言葉を使う資格がある〉と記す(『日本奥地紀行』)。便もよくなり、日光はニッポン観光の定番となる◆1885年秋に訪ねた仏海軍士官、ピエール・ロチも、自著『日本秋景』に成句を掲げている。皮肉屋だった人だが、荘厳な東照宮はもとより、実は日光街道にも賛辞を惜しんでいない◆宇都宮から急ぐうちに日が暮れる。金色の光に杉並木が照らされ、〈太古の神殿での祭儀〉のよう。さらに側道のこけや落葉には幼少期の記憶がよみがえり、〈一瞬、私は自分がフランスにいるような気がした〉という◆秋色に染まる人里の美しさは、万国共通なのだろう。さる都道府県ランキングで最近、栃木県は魅力度最下位に沈んだ。地元からすれば「結構!」どころではないが、慕わしい風景に暮らす幸福度はむろん余所よそと比べるものでもない。

11月21日 編集手帳

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 正岡子規らを生んだ松山市は俳句の都と名乗り、五七五文学の振興に力を注ぐ。投稿サイトまで運営しており、時々のぞかせてもらっている◆以前そこに見かけ、今年何度となく思い出した一句がある。<一斉に野球部虹へ飛び出せり>(あつちやん)。雨があがり、空に虹がかかり、待ちかねていたようにグラウンドに駆け出す野球少年の姿が浮かんでくる◆歳時記の七十二候のうち、虹に触れる候は二つある。<虹始見・にじはじめてあらわる>(4月15日頃)と、<虹蔵不見・にじかくれてみえず>(11月22日頃)である◆暦の上では、この3連休の間に虹の季節が終わりを告げる。来年はどうなっているだろう? 野球部員が一斉にグラウンドに駆け出すとき、人との距離を気にせず、大声を掛け合う景色が戻っていることを夢のように思い描いてしまう◆松山市のサイトでは、冬を前に「嚔(くしゃみ)」を季題として投稿を募った。その中から、ふしぎと元気をもらえる句を一つ。<嚔して満天の星散りにけり>(田中一升)。何におびえることなく、痛快にハクションのできる生活にいずれは帰りたい。

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