2020年12月13日日曜日

 読売新聞オンライン

12月13日 編集手帳

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 100年前の寺田寅彦の日記を読み、ヒメイチ?と首をかしげた。幾多の名随筆を残す物理学者は1920年、胃病で療養中だった。日々食べたものをメモしている◆12月12日の夕飯は〈ヒメイチ 竹輪ちくわと新菊 栗きんとん 菜漬なづけ〉。翌13日にも〈ヒメイチ〉とある。寅彦の郷里、高知の方はご存じかもしれない。辞書を引くと、赤い小魚ヒメジの異名だという。ほかにも方言が多く、当欄の田舎では〈金太郎〉だ◆面白いことに辞書の用例は寅彦の師、夏目漱石の『三四郎』だった。同郷の先輩、野々宮さんのもとへ三四郎の母が送ってくる。「赤い魚の粕漬かすづけなんですがね」と話す野々宮さん。「じゃひめいちでしょう」と三四郎◆江戸っ子の漱石にヒメイチを教えたのは、地方出身の誰かのはず。あるいは寅彦ではなかったか。ふるさとの味と呼び名には分かちがたいものがある。方言でないと、懐かしさも出ない◆そう言えば、4月、島根県庁の出した新聞広告が話題になった。〈早く会いたいけん、今は帰らんでいいけんね〉。依然、コロナで里帰りもままならないが、方言の力だろう。急がば回れがに落ちる。

12月12日 よみうり寸評



 株式会社に移行して今年で10年になった第一生命保険は、明治期に日本初の相互会社として設立された◆創業者の矢野恒太は「利益は保険契約者の所得なり」「主人公は保険契約者なり」と説いたらしい。社史で知った。営利よりも助け合いを追求したのだろう◆創業の志がないがしろにされたと言えようか。山口県周南市で営業職員だった女性(89)が顧客に架空取引を持ちかけ、24人から19億円超をだまし取った疑いが浮上している。不正は18年にも及ぶという。第一生命が今月中の結果公表に向けて調査している◆女性は50年以上勤め、地元政財界に顔が利いた。全国トップクラスの成績で「特別調査役」の肩書を与えられた。顧客に代わって主人公になってしまったのか◆知人らは取材に「私生活はごく普通」と証言しているというから動機も使途もなぞである。3年前に情報が寄せられたのに第一生命が不正を把握できなかったのも、入念な検証が必要だろう。「最大たるより最良たれ」。矢野の箴言しんげんが投げかけられている。

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