ずいぶんと意地の悪い神様だったらしい。神奈川県のJAXA宇宙科学研究所には「神の間」と呼ばれる一室があったという◆小惑星探査機「はやぶさ2」の訓練装置が置かれていた。神様役の職員が機器を操り、深刻なトラブルを起こした。機械を故障させたり、通信を途切れさせたり…あまりの過酷さに、訓練中のメンバーが「神」を冒涜する場面もあったとか。プロジェクトマネージャの津田雄一氏が近著で明かしている◆小惑星リュウグウまで3億キロ。探査には東京スカイツリーから富士山頂のミジンコの位置を特定できるほどの技術が用いられた。神業のごとき精度を得るには必要な試練だったのだろう◆6日未明、はやぶさ2が帰還する。既に人工クレーターをはじめ七つの世界初を達成した。カプセルに入っているであろう砂を分析すれば、生命の起源に迫る糸口が得られると期待される◆カプセルの大気圏突入は6年にわたる旅の最終関門だ。どうか、無事に届きますように。天におわすはずの優しい神様に祈る。
サハラ砂漠やアンデスの高地など、辺境の文化を半世紀、追い続けてきた写真家の野町和嘉さんはこの10年、眼前の光景の変容をひしと感じるようになった。『月刊みんぱく』に綴っている◆内戦下の南スーダン、荒廃した極貧の村で充電のため蓄電機につながれた、おびただしい数の携帯電話を見た。標高4000メートル、極限高地の僧院にはスマホ中毒で生気のない疲れ眼の少年僧がいた。尼さんとのチャットに入れ込む僧の存在も聞いた◆今更ながらであるけれど、その小さな機器が秘める底なしの力を思う。いかにつきあうか。本紙大阪版に小中学生がつくった「スマホの誓い五カ条」が載っていた◆知らない人とやりとりしない、夜10時~朝7時は使わない、悪口を書き込まない…。誓いを立ててまで守るべき規則の文言に驚きつつ自ら考え、議論し、条文にまとめ上げた生徒たちにたくましさを覚える◆肝心なのはスマホに使われない、そのことだろう。世界中、どこに行っても、ほぼ観てしまった光景、同一情報の共有で<思考パターンの回路に大差は無くなってしまった>。野町さんの憂いをかみしめる。
日米開戦直後の1942年1月、作家の太宰治がとぼけた随筆を残している。題は「食通」。普通は口の肥えた人のことだが、〈食通といふのは、大食ひの事をいふのだと聞いてゐる〉と始まる◆この定義を仲間の檀一雄に教え、際限なくおでんを食べてみせた。〈檀君は眼を丸くして、君は余程の食通だねえ、と言つて感服したものであつた〉。別の友達もうれしそうに〈ことによると、僕も食通かも知れぬ〉◆お上品なマナーで、舌先に博識を載せる手合いに倦んでいたらしい。安くておいしいものを、たくさん食べる。これぞ〈食通の奥義〉とも述べるのだが、折しも食糧統制が強まっていた頃だ。庶民は窮乏し、太宰流の「食通」など成り立たなくなる◆この暮れはコロナのせいで、やはり「食通」にはなりにくい。例年なら飲み過ぎ、食べ過ぎ用のドリンク剤のCMがさかんに流れる時期だが、忘年会を見送った職場も少なくないだろう◆浮かれた師走のウの字がこぼれ、“枯れた”師走ではある。忘年会がなければ2次会のカラオケもない。耐える冬の先は、ウが戻り、“歌える”春が到来しますように。
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