幼い頃に育てたからだろう。朝顔は夏の記憶を呼び覚ます。「私などの世代の者には、どうしてもラジオ体操が思い出されてしまう」とは、澁澤龍彦の随想集『フローラ逍遥』の一節である◆異端を好んだ仏文学者は、ラジオ体操の草創期に育った。生年の1928年、体操は創案された。避暑に行けない子らのため、東京の一隅で広場に集める方式が生まれると、一気に全国へ広がり、国民的行事となった◆澁澤少年、皆勤などしなかったという。それでも懐かしみ、当時のテーマ曲を掲げている。〈おどる朝日の光を浴びて/曲げよ伸ばせよ われらが腕/ラジオは叫ぶ イチ、ニ、サン〉◆さて、そのラジオはどんな風だったろう。朝顔型のスピーカーもあったかな…と考えかけ、不意に連想が横滑りした。防災無線である。列島を襲った豪雨の爪痕は深い。ポールの上の拡声機は役立ってくれただろうか◆朝顔ならぬコロナも最多、最多と絡みつく。体操に集まるのさえ、今年の夏は気を使う。同じ本に「罌粟」の古句があった。〈けしを見て外出ごころをしづめけり〉(大島完来)。せめて心はしずめたい
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