2020年7月13日月曜日

球磨川に架かる人吉市内の橋。堤防より高い位置にあるが激流に襲われ、欄干には漂着物が絡みついていた=熊本大くまもと水循環・減災研究教育センターの報告資料より

© 毎日新聞 提供 球磨川に架かる人吉市内の橋。堤防より高い位置にあるが激流に襲われ、欄干には漂着物が絡みついていた=熊本大くまもと水循環・減災研究教育センターの報告資料より






 記録的豪雨による1級河川・球磨川の氾濫などで熊本県南部を中心に甚大な被害が広がった九州豪雨で、球磨川流域の同県人吉市などを現地調査した熊本大くまもと水循環・減災研究教育センター(熊本市)は、今回の氾濫による浸水深が戦後最大とされてきた「昭和40年7月洪水」(1965年)を上回り、記録に残る球磨川水害では最大級だったとの見方を示した。
 同センターの減災型社会システム部門長、松村政秀教授(橋梁=きょうりょう=工学)らが発生翌日の5日から人吉市や同県芦北町、津奈木町の被災現場を調査した。国土地理院の浸水推定図などによると、人吉市内は球磨川右岸の市街地を中心に川沿いの東西約5キロ、南北約1キロに浸水被害が広がっていた。
 日本三大急流の一つで「暴れ川」の異名を持つ球磨川は過去にも度々氾濫して水害をもたらしてきた。昭和40年7月洪水では家屋の損壊・流失が1281戸、浸水は床上と床下で計1万2825戸。国土交通省八代河川国道事務所によると、その後も「平成23年6月洪水」(2011年)まで少なくとも9回の洪水被害が起きている。
 松村教授らは現地の建物などに残った浸水の跡の高さを計測して過去の洪水や堤防の高さと比較した。
 今回の水害で国宝指定の5棟のうち拝殿や幣殿(へいでん)などが床上浸水した人吉市上青井町の青井阿蘇神社。神社の横の電柱には昭和40年7月洪水の時の浸水深が2・3メートル、1971年の「昭和46年8月洪水」の時の浸水深が1・1メートルと記録されているが、今回の浸水の跡は3メートルの高さに達していた。
 神社の数百メートル下流で、より球磨川に近い同市下青井町の電柱は昭和46年水害が1・1メートル、昭和40年水害が2・1メートル、今回は4・3メートルの高さに浸水痕があった。
 球磨川や支流の山田川に近い建物には、堤防より2メートルほど高い位置まで浸水した跡があった。市中心部の人吉橋は堤防より高い位置に架けられているが、それでも水位は橋を超え、欄干には流木などが絡みついていた。橋の北側の浸水深は3・5メートルほどだった。
 人吉市はハザードマップの策定に当たって昭和40年7月洪水の時の雨の降り方を想定。降水量は80年に1回程度起こる規模として、人吉地点上流域の2日間総雨量を440ミリと想定してきた。しかし、球磨川上流の同県湯前町では雨が強くなった3日夕以降、18時間で470ミリを超える雨量を観測。中流域の人吉市内では場所によって想定の倍以上の浸水が起こっていたことが分かった。
 「記録が残っている過去の洪水を上回り、想定以上の浸水が起きていたことは間違いない」と松村教授。同センターは調査結果をホームページで公開し、随時更新している。【

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