2020年9月6日日曜日

ジョン・R・ボルトン氏(前アメリカ大統領補佐官)「日本の次期首相に対する助言は、ただ一言に尽きる。『一生懸命やれ』、だ。米政府が、日本の立場をいつも理解して同意してくれるなどと期待しないように」
 これは、ドナルド・トランプ米政権で国家安全保障問題担当大統領補佐官を務めたジョン・ボルトン氏から日本の次期首相へのアドバイスである。非常にシンプルな助言に聞こえるが、その実行にはとてつもない努力と労力が要求される。
 この度、辞任を表明した安倍晋三首相は、トランプ大統領が最も信頼する外国首脳と言われる。トランプ氏に最も親しい人物の一人と言われる安倍首相。その秘訣は何か? ボルトン氏に尋ねてみたところ、意外な答えが返ってきた。
「安倍首相はトランプ大統領就任前の段階から彼と意思疎通を図るべく大変尽力していた」からだというものだ。
© 文春オンライン ジョン・R・ボルトン氏(前アメリカ大統領補佐官)  あまりにも当たり前すぎる理由で、物足りなさを感じるかもしれない。しかし、ボルトン氏の新著『ジョン・ボルトン回顧録』を読むと、この「努力」がいかに絶え間なく求められ大変なものか、実感させられる。

安倍政権の懸命な努力があってこそ

安倍首相とトランプ大統領の個人的関係が親密な理由は、たまたま二人のウマがあったから、という単純なものではない。日本政府はトランプ氏の好みを徹底して調べ上げ、トランプ氏をはじめ、様々なレベルでトランプ政権にたゆまずアプローチしてきた。例えば、韓国の文在寅大統領が北朝鮮政策についてトランプ氏に電話すると、安倍氏はいつもすぐその後にトランプ氏に電話して、あるべき北朝鮮政策について進言する。安倍首相は対北朝鮮政策でこれを繰り返してきた。
 ボルトン氏はこう証言する。
「日本政府は国益を守るため、トランプという未知の大統領を相手に一生懸命働き続けてきた」
 日米首脳間の親密な個人的関係は、その努力の積み重ねの帰結なのである。
 その安倍首相ですら、トランプ氏を相手にするのは容易ではなかったはずだ。例えば、2018年4月に米国フロリダ州で開催された日米首脳会談は、日米同盟の強靭ぶりを示す成功例として評価されてきたが、その舞台裏は決して平坦ではなかったという。

日米首脳会談「成功」の舞台裏

トランプ氏は、いつまでたっても日本の対米貿易黒字を問題視し、これに固執している。ボルトン氏は自身の回顧録の中で、首脳会談に向けた準備段階で、トランプ大統領を相手にいかに苦労したか、一例として次のエピソードを紹介している(以下、筆者による英語原文の日本語訳)。
「トランプ大統領に安倍首相の訪米に向けて準備してもらうという、本来、シンプルなはずの業務ですら困難を極めた。この過程で、今後、表面化するだろう問題の兆候がすでに出ていた。私たちは首脳会談に向けて、大統領に事前の状況説明会を2回、準備した。
 1回目の議題は北朝鮮と安全保障問題について、2回目の議題は貿易と経済問題についてだった。日米首脳会談の議題もこの順番だった。第1回目の説明会では本来、政治的課題に関して議論するはずだったが、状況説明会を聞きつけた貿易政策の関係者が会場を埋め尽くしていた。そこで、トランプ氏が遅れて到着した後、私から、『まず手短に貿易問題について議論したうえで、次に北朝鮮について議論する』と話したのだが、これが間違いだった。
 トランプ氏はまず、『日本ほど良い同盟国はない』と前置きしたうえで話し始めると、1941年の日本軍による真珠湾攻撃について、不快感をもよおすほどの不平を語り始めた。説明会の雰囲気はどんどん悪くなっていった」
 貿易黒字「問題」に固執するトランプ氏を、強固な日米同盟の路線に向かうよう御していたのが、安倍首相をはじめとする日本政府であり、ボルトン氏を含む米ホワイトハウスの政府高官らであった。日米間の協力・連携こそが、トランプ氏を導くうえで不可欠だった。
 しかし、今やボルトン氏はもう政権を去った。彼の後継者は、ボルトン氏ほどトランプ氏に対して影響力があるわけではない。今やトランプ氏の周辺には「イエスマン」ばかりが目立つ。安倍首相も近く政権の座を去る。今後、トランプ氏を御せる人物がもはや見当たらないのである。

日本の最重要課題はアメリカ対策

日本の外交・安全保障政策上、中国や北朝鮮がもたらす脅威は深刻な問題だ。これらの国々への対応は、日本政府にとって実に悩ましい問題である。だが、それら以上に重要な課題がある。それはアメリカだ。この国こそ、日本にとって最も重要な関与すべき相手国である。
 日本では、ややもすればこの当たり前の事実が忘れられがちではないか。今日の日米同盟の基盤を、当然の所与と考えるべきではない。それは日本政府が今後も一丸となって、必死に守り続けるべきものである。
 ボルトン氏は、もしトランプ大統領が再選すれば、トランプ氏が日本に在日米軍駐留経費の大幅増額を求めてくる可能性を警告する。そして、もし日本がこれを真剣に受け止めなければ、トランプ大統領が在日米軍の削減や撤収の検討に進むリスクも指摘する。事実、2020年8月、米国の次期駐日大使に指名されたワインスタイン氏は、米連邦議会上院の公聴会で、「日本にはこれまで以上の責任を負ってもらうことを促す」と述べ、日本に安全保障面でより一層の貢献を求める意向をすでに表明している。
 もしトランプ氏が大統領選で敗北して、ジョセフ・バイデン大統領が誕生しても、日本により一層の安全保障政策面での役割と責任を求めてくる可能性が十分高い。米国の国力が相対的に低下してゆく中、戦略的競合相手国である中国の覇権主義的な台頭に対して、米国だけでは対抗しきれない現実がある。米国の同盟国がより重要な役割を果たすことが米国の安保戦略にとって不可欠とされている。

日本に求められる強烈な覚悟

ボルトン氏の回顧録を読めば、彼が日本の政策や立場について正確に理解し、日本を深く信頼していたことがわかる。かつて元米政府高官が自身の回顧録の中で、これほど日本について肯定的に記述した著作の前例は数少ないだろう。
 ただしその前提として、彼は、米軍が軍事攻撃を行う際には日本もこれに参加するものと理解していた点を踏まえておく必要がある。
 2017年末時点、朝鮮半島で軍事紛争が再発する確率は、これまでになく高まっていたようだ。ボルトン氏は、同年9月に安倍首相が、米国が武力行使を含む「あらゆる選択肢」を追求する立場に支持表明したことを高く評価する。だが、ボルトン氏にとって武力行使は単なる威嚇の手段ではない。彼が推奨する北朝鮮核問題の解決方法は、同国の核・ミサイル関連施設等に対する先制攻撃である。1990年代以降、ボルトン氏のこの立場は一貫している。
 ボルトン氏が日本に期待する役割は、決して生易しいものではない。今後、米国が中国や北朝鮮等との間で軍事的に衝突する可能性が高まるシナリオを想定すれば、このようなボルトン氏の日本に対する期待は、米国の中では必ずしも極端で例外的な考え方ではなくなる可能性を真剣に想定しておくべきであろう。
 安全保障環境の変化とともに、日本には強烈な覚悟が求められている。
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 古川氏によるボルトン氏インタビューの詳細は「文藝春秋」9月号および「文藝春秋digital」掲載の「 ジョン・ボルトン『私が見たトランプの正体』 」をご覧ください。
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(古川 勝久/文藝春秋 2020年9月号)

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