2020年7月6日月曜日

敗れし者のいない夏に


社会部デスク 足立大
甲子園では、各校の個性豊かな応援が試合を盛り上げる。智弁和歌山の応援をする吹奏楽部員ら。(2019年8月)
甲子園では、各校の個性豊かな応援が試合を盛り上げる。智弁和歌山の応援をする吹奏楽部員ら。(2019年8月)
 新型コロナウイルスによって出演者が密になる収録ができないからだろうか、テレビで昔の歌謡曲の再放送を目にする。昭和生まれには懐かしいような温かいような心地よさがあるが、たまにザワザワする不穏な心もちにもさいなまれる。ピンク・レディーの「サウスポー」、山本リンダの「狙いうち」、「宇宙戦艦ヤマト」……。それは、たいがい高校野球の定番応援ソングを耳にした時だった。
 身内のような話で恐縮だが、高校野球は、多くの新聞記者にとっても特別な存在である。読売新聞社でいえば、入社して研修を終えると地方の支局に配属され、記者の一歩を踏み出す。そこで最初にぶち当たる壁は高校野球の地方大会と決まっている。
 地方大会では球場ごとに連日2、3試合が行われ、新人記者は1人1球場を任せられる。試合経過をスコアブックに落とし、打撃や守備の迫力あるベストショットをカメラで狙い、合間に戦評を書き、見せ場を得た球児を試合後に取材してその瞬間の思いを記事に仕立て、応援スタンドから保護者やOBたちチームゆかりの人物を見つけ出して試合とは別の切り口のニュースを考え、支局に戻って記事やゲラを確認し、デスクやキャップに叱られ……という生活を朝から晩まで2週間ほど繰り返す。スタンドは、暑い。日陰もない。みるみるやせ細る。
 野球に興味がない記者もいる。でも、泥だらけの笑顔と涙顔にひかれ、球児を守り育んだ保護者や地域社会を好きになり、地方大会の終盤には古里のような愛着を抱くようになる。高校野球は球児たちを一回り二回りも成長させるだろう。が、記者も高校野球の取材を乗り越えて記者になる。記者は球場という養成学校に通い、球児たちから学ぶ。
夏の甲子園大会中止決定の知らせに、涙を流す佐賀北高校(佐賀県)の野球部員(5月20日)
夏の甲子園大会中止決定の知らせに、涙を流す佐賀北高校(佐賀県)の野球部員(5月20日)
 新型コロナウイルスの影響で、夏の甲子園大会(第102回全国高校野球選手権大会)と、全49代表(北海道、東京各2校)を決める全国の地方大会が中止となった。1918年(米騒動)、41年(戦局の深刻化)も中止されたが、戦後は初めての事態である。新聞には全身を震わせて泣きじゃくる球児たちの姿が載った。代替大会の実現も定かではないのに、練習を再開した球児もいる。その真摯しんしさにはもらい泣きしかできない。
 冒頭の「狙いうち」等の楽曲はどれも作詞家・作家の阿久悠さんによる作詞である。野球を愛した阿久さんは、1979年夏から、亡くなる2007年の前年までスポーツニッポン紙に「甲子園のうた」を連載した。日々、テレビで夏の甲子園大会をすべて観戦しながら、球児たちへの賛歌を紙面に連ねていった。
甲子園球場への熱い思いを語る阿久悠さん。兵庫県の洲本高校在学中に、同校が選抜大会で全国優勝した。小説「瀬戸内少年野球団」など、野球好きで知られた。(2003年)
甲子園球場への熱い思いを語る阿久悠さん。兵庫県の洲本高校在学中に、同校が選抜大会で全国優勝した。小説「瀬戸内少年野球団」など、野球好きで知られた。(2003年)
 2003年8月10日、都立ながら東東京代表に立ち、初めて甲子園の土を踏んだ雪谷高校が強豪のPL学園に1-13で惨敗した。この時、阿久さんは「敗れざる夏」と題する詩を詠んでいる。
 <敗れし者よ されど 敗れざる夏よ 刻んで 刻んで 心に焼き付けて 未来へ運ぶ 敗れし者の 敗れざる夏の記憶>(あんでぱんだん 阿久悠オフィシャル・ウェブサイト
 少なくとも、今年の甲子園に敗れし者はいない。そして、最後の夏に全身全霊をささげてきた球児たちの誰もが、いつの日か、敗れざる夏の記憶をたぐり寄せてほしい。
 阿久さんは、こんな言葉も残している。
 <誠実は、損することはあっても負けることはない

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