安倍首相が辞意を表明した。
もちろん体調が思わしくないという情報は以前からあった。最初の報道は8月4日発売の「FLASH」が伝えた、安倍首相の吐血説だ。内容は、7月6日に首相執務室で吐血した、というものだったが、この段階ではまだ確定的な情報とは言えなかった。
誰もが首相の異変を確信したのは、8月14日のテレビ東京の報道だろう。それは7月15日の首相の官邸入りの映像と、8月12日のそれとが比較されたものだった。8月12日の映像では、明らかに首相の足取りは重かった。囲み取材の受け答えにも疲労感がにじみ出ている。体調が悪化しているのは誰の目にも明らかだった。ちなみに内閣記者会の総理番記者は、首相が官邸正面から執務室に向かうエレベーター前まで何歩で歩いているかをカウントしている。8月12日は通常よりも4歩も多かった。それが足取りが重く見える原因だったのだ。
こうして「安倍首相、早期辞任もあり得る」という見方は一気に永田町に広がっていった。
保秘が徹底された首相の辞意
だが8月17日に慶應大学病院で検査・治療を受けた後、元気を取り戻したような首相の様子が報じられると、「早期辞任説」も若干トーンダウンしていく。実を言えば私も、早期辞任があるとしても9月に入ってからではないかと見ていた。8月24日に大叔父である佐藤栄作元首相の連続在任日数を上回り、通算でも連続でも、首相在任の歴代最長記録をつくる。その直後に辞任するのはあまりに露骨と批判を浴びる可能性がある。だから少なくとも8月中にはないだろうと考えていたのだ。そのため8月28日の辞意表明は全く予想していなかった。安倍首相は、辞意を固めたことについて保秘を徹底していた。盟友の麻生太郎・副総理兼財務相にも、女房役である菅義偉・官房長官にも、意中の人とされた岸田文雄政調会長にも、そして二階俊博・自民党幹事長にも辞意表明の28日以前には伝えていない。知っていたのはおそらく、官邸の今井尚哉首相補佐官兼政務担当秘書官や事務担当秘書官である佐伯耕三秘書官らごく数名だろう。その他で、首相から伝えられていた可能性があるのは、母親の洋子さんと昭恵夫人くらいだ。
首相の辞任説が流れはじめたころから、麻生副総理・財務相が首相臨時代理に指名され、同氏のイニシアティブの下で、なるべく早く総裁選を行い、新体制が発足するというシナリオも想定されていた。
しかし、「麻生首相臨時代理」は実現しなかった。28日午前10時22分、まだ安倍首相の辞任の意向が報じられる前の時間帯に、首相は麻生氏、財務省の太田充事務次官、矢野康治主計局長と官邸で会っている。これはその日の午後に新型コロナウイルス感染症対策本部がまとめ、夕方4時には閣議決定する予定になっているコロナ対策の財源について調整するためだ。
だがその後、太田次官と矢野主計局長は退出、10時36分からは安倍首相と麻生副総理が30分間余りサシで会っていた。ここで安倍首相から辞意と同時に、おそらく首相臨時代理を置かない方針を伝えられたのではないか。自らの登板に意欲があったとされる麻生氏だが、首相が辞意表明をした後、同日夜に次期総裁選には出馬しないことを明らかにしたのには、こんな伏線があったものと思われる。
派閥力学の中で存在感示す「菅グループ」
では、辞任する安倍首相の後継は誰になるのか。次期総裁選出の方式については、党総裁である安倍首相から二階幹事長に一任された。正式には9月1日の党の最高意思決定機関である総務会で決定される。
総裁選の方法には、国会議員394票と地方党員394票とによる通常の総裁選方式と、任期途中に総裁が退任した緊急時に限り国会議員394票と都道府県代表141票によって両院議員総会で後任を選ぶ方式とがある。現時点では、後者の両院議員総会での選挙による方式になりそうだ。「緊急事態なので両院議員総会で」というのがその理由ともっともらしく説明されているが、それは建前に過ぎない。実際には、地方党員からの人気が高い石破茂元幹事長だけは後継者にしたくないという安倍首相の強い思いを忖度している。
ただ、党員投票をしない総裁選については若手を中心に異論もある。最終的にはどうなるか断定はできないのだが、ここでは両院議員総会で後継総裁が選出される前提で話を進めたいと思う。
両院議員総会方式だと、国会議員票の重みが格段に増す。そこでものを言うのが各派閥が抱える議員数だ。
現在自民党の衆参院議員は394人だ。無派閥の約50人を除けば、みな派閥に属している。
最大派閥は細田派だ。国会便覧などには97人と書かれているが、98人である。同じく第二派閥の麻生派は55人、二階派は48人だ。その他は竹下派が54人、岸田派が47人、石破派19人、谷垣グループ16人、石原派11人と続く。
さらにウォッチしなければならないのは、菅官房長官に近い議員の集団だ。新聞社によっては社内資料の中で、そのうち9人を「菅派」と記述しているところもある。
そしてなにより、無派閥の50人の中に、「菅グループ」と呼ぶべき議員が40人近くもいるのだ。他派閥所属の議員にしても、河野太郎防衛相(麻生派)は実質、菅グループであり、同じ麻生派の甘利明・党税調会長も、片足は菅グループに突っ込んでいるとされる。無派閥の小泉進次郎・環境相はもちろん菅グループだ。
現在、次期総裁候補として、岸田政調会長、石破元幹事長らと並んで、菅官房長官の名前も取りざたされているが、こうした「派閥の力学」に加えて、総裁選を取り仕切る二階氏が菅氏に肩入れしている事実からも、名目的には無派閥の菅氏が有力視されているのが分かるはずだ。
最有力はやはり菅官房長官か
では、現実には誰が次期総裁になるのか。私はやはり菅官房長官が最有力だと思う。次期総裁の任期は安倍総裁の残余任期で、1年余しかない。つまり誰がなっても、次期総理・総裁は暫定政権的な性格を帯びることになる。
これを本格的な政権にするためには、選挙の洗礼を受けるのが近道だ。そこで浮上してくるのが早期の「衆院解散・総選挙」だ。これを手掛けられるのは誰か。経験則と知見、そして力量を持っているのは、いま挙がっている中では菅氏である。
従来、次の衆院選で自民党は議席を減らすと見られてきた。有権者には「モリカケ」の印象が残っている。さらに2017年衆院選が勝ち過ぎたので、次は確実に議席減(現有284)という見方だ。そこで、自民・公明を合わせて安定多数をとれれば「負け」とはならないという見方が政治の玄人の中でもなされてきた。
しかし、誕生して間髪おかずに解散総選挙をしたら、自民・公明両党で絶対安定多数(261議席)が取れる可能性ある。
私がそう考える理由を説明しよう。まず日本的慣習だが、新政権には支持率の「ご祝儀相場」がある。新内閣が立ち上がった時に、支持率が低かったのは、近年では唯一、小渕恵三内閣だけだ。それ以外は、前政権末期の支持率より上昇しているのだ。つまり、まず首相の顔が安倍氏から菅氏に変わるだけで内閣支持率が上昇することが考えられる。
そして暫定政権的性格があるとはいえ、新内閣は菅氏が自身の手で組閣できる。内閣と党執行部のラインナップが世間から好感されるようなものであれば、支持率はより高くなるだろう。菅官房長官との関係から予測するなら、菅内閣の官房長官は河野太郎防衛相の抜擢ではないか。さらに官房副長官は小泉進次郎環境相だ。進次郎氏にとって、形の上では閣僚から準閣僚級への降格になるが、将来を考えて官邸入りすることのメリットは大きい。官房長官と副官房長官に河野太郎、小泉進次郎という自民党切っての人気者を持ってくる。このコンビは地味で発信力が弱い菅氏を十分カバーしてくれることになるだろう。
ちなみに発信力が弱いとされる菅官房長官も、いま変貌を遂げようとしている。最近は「文春オンライン」のインタビューを受け、なぜGoToトラベルを断行したのかについて語っている。批判が少なくないGoToトラベルの意義について、自分が前面に出て説明しているのだ。自らリスクをとっている。そのこと自体がやる気の表れと言えよう。これまで言葉の上では自らが安倍首相の後継者になることを否定してきたが、もちろんそれは本心ではないのだ。
10月25日投開票で総選挙か
さて菅内閣の顔ぶれだが、主要閣僚には名の通った女性セレブ議員も起用されるだろう。野田聖子氏、稲田朋美氏、小渕優子氏らだ。このうち2人は入閣するのではないか。新政権は遅くとも9月中旬には発足すると思うが、こうした陣容が組めれば、最初の世論調査でかなりの内閣支持率が見込める。おそらく自民党政権に厳しい朝日新聞でも確実に50%は超えるだろう。読売だったら60%にいくレベルだ。
そうなれば後は本格政権化を目指して、早期の衆議院解散に踏み切るだけだ。10月の総選挙が濃厚だ。10月13日公示・25日投開票の可能性が高い。
なぜこうしたスケジュールになるかというと、野党の立憲民主党と国民民主党の合流である。9月16日に立憲民主党と国民民主党、その他無所属グループが大団円して新・立憲民主党が誕生する。新総裁体制発足はその直前にするのが一番効果的だ。
また新党は、合流後しばらくは人とカネの問題でもめるだろう。国民民主党にはこれまでの政党助成金が50億円ほど残っているが、立憲民主党のほうには10億円前後しかない。その残余金を巡って、現在も双方で激しい綱引きが行われている。
また各所属議員の選挙区の候補者調整もまだ終わっていない。旧立民と旧国民は前回の参院選挙で戦ったのである。この調整はそう簡単には決着しない。
つまり大きな野党は出来ても、選挙準備は十分整えられない状況にある。自民党としてはそのタイミングで解散・総選挙に持っていくのが常道だ。
そこまでの仕事を一気呵成にやってのけられるのは、やはり「腕力」がある菅官房長官だけだろう。自らの後継者については何も語らなかった安倍首相も、そのことは百も承知のはずだ。9月の声とともに、永田町は「菅首相」の誕生を軸に動いていくものと思われる。
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