2020年9月17日木曜日

編集手帳・

9月17日 編集手帳

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 例えば落語の「芝浜」は大筋は同じでも、流派によって細部がずいぶん異なる。また一言一句が同じでも演者により味わいが変わり、ちがった面白さに気づくことがある◆といった鑑賞の仕方は落語通の方にはおなじみだろう。新政権への国民の関心に似ていなくもない。喫緊の“演目”は新型コロナウイルスへの対策と社会経済活動の両立にほかならない。前政権とどんなちがいを出せるのか。国難のなかで、菅内閣が発足した◆コロナ禍は春に始まって、夏が過ぎ、もう秋になった。長く苦しみ、痛めつけられた人々が新政権に求めるのは何らかの成果だろう◆「国民のために働く」。菅首相は記者会見で口にしたこの言葉を大事にしてほしいものである。本紙に働く者として日課を紹介する記事に少々驚いた。毎朝欠かさず新聞各紙につぶさに目を通し、たのしみにするのが読売くらし面の「人生案内」だという。この春からは、さるビジネス誌の人生相談コーナーで自ら回答者を務めている◆第99代の首相となったきのうから、1億2000万の人生により重くかかわることは自覚されていよう。よき回答を。

 

 20代の女性会社員・Aさんはオンライン飲み会に慣れた今、忘年会を開催するにしても、「もうリアルには戻れない」という。

「オンライン飲み会では、終電時間を気にしなくていい。お金についても、自分が飲食するぶんだけ買えばよく、不平等感がない。取り分けやお酌をする気遣いもいらないし、気楽です」

 Aさんにとって、忘年会で憂鬱なのは「お酌」だという。

「いまだに、うちの会社では女性社員が男性上司たちに、お酌する慣例があるんです。女性社員をコンパニオン扱いして、酔っぱらいたちの相手をさせられる忘年会なんて、早く廃止してほしかった。下ネタを言われても笑顔で対応しなきゃいけないのも苦痛。もうこの機会に、そういった慣習がすべてなくなればいいのにと思っています」(Aさん)

少人数で何回もやるしかない?

 20代の男性会社員・Bさんも、「願わくばこのまま忘年会の文化が滅んでいくのを願っている」と明かす。

「僕の会社は、年内は在宅勤務。なので、今年は職場の忘年会がないと思うと嬉しい限りです。お酒も大して好きじゃないし、そのうえ親しくもない上司と役員のおじさんと一体何を話せばいいのかと、ずっと思っていました」

 Bさんは、忘年会そのものだけでなく、その後のカラオケなどの2次会も含めて、「セットで嫌い」だと話す。

「新人や若手は、余興や無茶ぶりをさせられがち。タダならまだしも5000円くらい金を払って嫌な思いをしなきゃいけないのかと思うと、憂鬱で仕方がありません。忘年会後のカラオケも苦痛でした。さすがに今年は大勢での集まりは中止になるのではと予想しています」(Bさん)

 一方30代の男性会社員・Cさんは、なんとかして忘年会をやりたい派だ。

「忘年会は、職場でもなかなか話ができていない人に挨拶ができる貴重なチャンス。なくなると、1年が終わる気がしなさそうです……。でも確かに、今年は大勢で居酒屋に集まり、忘年会をやるぞ!っていう空気でもない。コロナ感染拡大の状況にもよると思いますが、チームごとなど、少人数で何回もやるしかないのかなあとか、宅飲みとか、オンラインとか、方法は考えたいところです」(Cさん)

 今年の忘年会はどのようなかたちになるのか、頭を悩ませている人は少なくないようだ。

 

 「巨人7-6阪神」(16日、東京ドーム)

 出番を待ち、集中力を切らさなかった。スタメン落ちの悔しさを胸に秘めて打席に立った阪神・木浪。与えられたチャンスは逃さない。意地をバットで示した。

 5点を追う八回1死二、三塁の場面だ。反撃の流れに乗った。2点を返したところで巨人先発の田口が降板し、2番手・田中豊が登場。すると、阪神ベンチも代打・江越に代打・木浪を告げた。

 「ベンチにいる時からずっと準備をしていましたし、初球から積極的にスイングしていけた結果がタイムリーにつながったと思うので、打つことができてよかったです」

 初球の150キロ直球を空振りしたが、積極的なフルスイングを見せた。その後、ボールとファウルを挟んだ4球目、低めのフォークに反応。完璧に捉えた打球で右中間を破った。2点適時二塁打。執念の一打で指揮官の起用に応えた。

 7月30日のヤクルト戦(神宮)以来、41試合ぶりにスタメンから外れた。試合前までの直近5試合は17打数2安打で打率・118。打撃不振に陥っていたが、託された打席で底力を発揮した。

 遊撃の位置を譲る気持ちは一切ない。再びスタメンで出場し続けるために、バットで結果を刻む。

 

最高裁も河井克行被告の保釈認めず 4回目の請求で© 産経新聞社 最高裁も河井克行被告の保釈認めず 4回目の請求で

 最高裁第3小法廷(宮崎裕子裁判長)は、昨年7月の参院選広島選挙区をめぐる買収事件で、公選法違反の罪に問われた元法相で衆院議員、河井克行被告(57)の保釈を認めないことを不服とする被告側の特別抗告を棄却する決定をした。15日付。4回目の保釈請求を退けた東京地裁決定が確定した。5裁判官全員一致の結論。

 地裁は10日に4回目の保釈請求を却下。克行被告側は抗告したが翌11日に東京高裁に棄却され、最高裁に特別抗告していた。

 妻の参院議員、案里被告(46)側もこれまで保釈請求を3回しているが、いずれも退けられている。

 

© ハフポスト日本版

自分の人生を否定することはできない

「お母さんとお父さんは仲が悪いかもしれないけど、あなたを産んだことは後悔していないからね。これは、本当だから」と言われたとき、私はそんなの絶対に嘘だと思った。

そんなことを言われても、私が喜んだりするはずなんてないのに、そんなドラマみたいな薄っぺらい台詞、本当に口に出す人なんているんだ。そりゃあ、後悔はしないだろう。3人の子を産み、育てたことは母にとっての自分の人生の重要な一部だ。長子である私を否定することは、自分の生活や人生すらも否定することとなる。後悔なんてできるはずがない。

父と出会っていなかったら、父と結婚していなかったら、私が生まれる前に離婚をしていたら、生まれてくる子どもが私ではなかったら。たくさんの「もしも」のなかで、別の選択肢を選んでいたとしても、きっと同じことを言うんだろうな。誰だって、できれば自分の築き上げてきた生活を肯定したいのは同じだ。


今では、遠い存在の人となってしまった母

私は、父に対して明確な恨みの気持ちを持っている。私と母に対して日常的に暴力を振るっていたこと、長い間ずっと不倫をしていたこと、家族の保険を勝手に解約し自分で使っていたこと、株に失敗して借金をしたこと、そして最終的に生活費を一切家に入れなくなったこと。ひとつひとつは些細なことかもしれないが、積み重なるうちに私たち家族という形を壊していった原因は父にあったと思う。例え今後父にどんなことがあろうと、今のところ許す気はない。

では、母はどうなのだろう。3年前に実家を出て、現在は別々に暮らし、会いに行くこともない。連絡を取ることも稀だ。母は私を近くで見ていた、最もよく知る人であるはずなのに、今では話の通じない遠い存在の人になってしまった。

何か注意をすれば「あんたは母親に注意できるくらいできた人間なの?」と言われ、喧嘩をすれば大声で嫌味を言われ続ける。そして、「やめて」と言えば、「聞こえるように言ってるんだけど?」と言われてしまう。口論になればいつもまったく関係のない話を持ち出し、私が謝らない限り話の軸がブレ続ける。

要は、母のなかでは自分が常に正しい存在であり、私は自我の確立していない子どものままなのだ。自分の欠点を認め、謝ってもらった記憶がない。私は、母のことを好きなんだろうか。それとも、嫌いなんだろうか。それすらも、よくわからない。でも、今はただ少し距離を置いていたい。

私を「ブス」を言う母。嫌われていると思っていた

家庭に入り、出産し、家族を作ることが女の幸せだと多くの人が信じていた時代を生きた母は、23歳で父と結婚をした。結婚したら当たり前のように寿退社をするものだとされていたのに倣って、母も仕事を辞め専業主婦になり、7歳離れた妹が小学校に入るまでパートに出ることもなく、家事や育児に精を出していた。

「家に誰もいない」という環境とはほとんど無縁で、学校から帰るといつも母がいて私を出迎えてくれた。その時に少しの嬉しさを覚えた記憶がいまだにある。

その一方で、私はずっと母に嫌われているのだと思っていた。「ブス」と言われることが常だったし、しつけという名のもとに毎日叩かれていた。そのため、いつも母の顔色を伺いながら、怒られないよう、叩かれないよう、細心の注意を払って生活していたことを覚えている。

今でも、ふとした瞬間に、人の手が頭の位置に振りかざされると身構えてしまう。具体的にどんなことで怒られたのか、どうして私は毎日のように叩かれたのか、ほとんど覚えていないのに、身体にははっきりと記憶が染みついている。皮肉なもんだなと思う。

風邪をひいても家事を休むことが許されなかった母

私の容姿が醜いから、母は私に対してずっと怒っていたのだと思っていた。(今思い返せば、子どもなのだから当然ではあるのだが)言われたことがすぐにできず、他の子や弟・妹と比較してどん臭くて何の取り柄もないから、叩かれて当然なのかもしれないと、幼い私は考えていた。

当時の母が、実際にどう思っていたのかはわからない。けれど、私も大人になり、子どもがいてもおかしくない年齢になった。まあ、実際は結婚にも出産にもまったく縁のない生活をしているのだが、年を重ねた今振り返ってみると、母は私が憎かったわけでも、怒りたくて怒っていたわけではないのではないか、と思うのだ。

実家から離れ、親族や友達、誰も知り合いのいない地で、たったひとりで子育てと家事をしなくてはならなかった母。毎日必ず手料理を食卓に並べ、幼稚園や学校で使うトートバッグや防災頭巾、巾着には手の込んだ刺繍が入れられ、必ず手づくりであった。父は、典型的な亭主関白で、家事をしている姿をほとんど見たことがない。子どものおむつすら替え方のわからない人だ。父の意にそぐわなければ拳が飛び、気分転換に子どもを置いてどこかへ出かけることも、風邪を引いたときに家事を休むことすら許されなかった。

今、思い返しても、母には子育てに紐づかない趣味がなかったし、友達もママ友やご近所さんくらいしかいなかったように思う。

毎日、ひとりで何を考えて生きていたんだろう

© ハフポスト日本版

振り返ってみると、母はどこで気分転換をしていたのだろう。毎日、ひとりで何を考えて生きていたんだろう。母には、母親として妻としてではなく、ひとりの人間として振る舞える瞬間が、少しでもあったのだろうか。

当時、幼い私を憎く思っていたのか、子どもを叩くときの心境はどのようなものだったのか、私には理解できないし、尋ねようとも思わない。けれど、息抜きができる瞬間がなく、逃げ場もないまま、誰にも本音で相談できずにたったひとりで子ども3人を育てなければならないとしたら、少しずつ感覚がおかしくなっていったとしても無理はないのではないか。

それでも「子どもを産んだことは後悔していない」と母は言う。けれど、彼女の人生を壊したのは私なのかもしれないとふと思うことがある。専業主婦になり、子どもがいるからこそ、父とは離婚ができなかったし、自分の好きなように生きていけなかったんじゃないか。もし、私が母に何か気づかせてあげることができていたら、誰かに助けを求めることができたのであれば、当時の母も私ももっと息のしやすい生活ができたのかもしれない。そんな風に思うことがある。

母への罪悪感と後悔

大人になってから母に抱く印象は、子どもの頃見ていた姿とは異なる。時代や性別、社会、自分を取り巻くさまざまな価値観や環境に少しずつ押しつぶされてしまった人。誰と結婚しようが、子どもがいよういまいが、周りなんて関係なく自分らしく生きてもよかったはずなのに、色々な「普通」や「常識」に振り回されていた人なのではないだろうか。

「もしも」なんて存在しない。過去を振り返り、後悔したって意味がない。でも、子どもとして、母に自由を与えてあげられなかったことは私の大きな後悔であり、娘として母に対して罪悪感を持つ理由のひとつでもある。

(編集:榊原すずみ)

 

© KYODONEWS 記者会見する小此木八郎国家公安委員長=17日午前0時51分、首相官邸

 小此木八郎国家公安委員長は17日の就任記者会見で、運転免許証のデジタル化を推進すると表明した。「菅義偉首相から強い指示があった」としている。政府は6月、マイナンバー制度を活用して行政デジタル化を進める作業部会の初会合を開き、運転免許証などのデジタル化の検討を始めている。警察庁は年内に、運用開始時期を含めた工程表をまとめるという。

 小此木氏は「デジタル化の推進は、この内閣の重要政策だ」と強調した。

 今後、交通取り締まり現場で、有効期限などを確認するための読み取り端末を整備する必要がある。免許証とマイナンバーのシステムをどう連結するのかも課題となる。

 

新型コロナウイルスの影響で、6月に営業を再開したカラオケ店「ビッグエコー渋谷センター街本店」=東京都渋谷区、林敏行撮影© 朝日新聞社 新型コロナウイルスの影響で、6月に営業を再開したカラオケ店「ビッグエコー渋谷センター街本店」=東京都渋谷区、林敏行撮影

 新型コロナウイルス流行のあおりを受け、カラオケボックスが苦境に陥っている。カラオケは飛沫(ひまつ)感染しやすいとされ、売り上げは減少。全国で1割ほどの店舗が閉店を余儀なくされたという。東京都が23区内の店舗に出していた営業短縮要請は15日で解除されたが、客足が戻るかどうかは不透明で、店主らからは「もう限界だ」との声が上がる。

 「1970年代にカラオケの歴史が始まって以来、最大のピンチです」。都内でカラオケボックスを経営する男性は、ため息交じりにこう語る。

 カラオケボックスにとって、8月は年間を通して12月に次ぐかき入れ時だった。夏休みの学生が遊びに来たり、お盆で集まった親戚らが訪れたりするためだ。だが今年は、例年の3、4割ほどの売り上げに落ち込んだという。都が感染防止対策として、8月3日から出した時短営業要請も追い打ちをかけた。

 日本カラオケボックス協会連合会によると、全国に約6千店舗あるカラオケボックスのうち、コロナ禍の影響で閉店したとみられる店は500店を超える。緊急事態宣言が発出された4、5月はほとんどのカラオケボックスが都内で閉店していたが、都心では家賃が月100万円以上になる場所もあるためだ。

2020年9月16日水曜日



9月16日 編集手帳

   先日、書店で当欄の「書き写しノート」を持ってレジに向かう女子高校生を見て恐縮した。昔話をするにしても、若い人にわかる書き方をしなければと思ってから、そう時がたっていない◆こう言えば少しは古き時代に近づくだろうか。おばあちゃん世代の話です。コンサートで熱狂したあまり、失神する人が続出していたのを知ってた? 音楽シーンの場外に昔あって今はない景色だろう◆「ザ・タイガース」のメンバー岸部四郎さんが71歳で亡くなった。きのう流れた訃報ふほうに、グループサウンズの絶頂期を思い出された方は多かろう◆京都市で育った。兄の俳優、岸部一徳さんがいたタイガースに加入したのは人気の爆発したあとだったが、気さくなトークでファンをひきつけた。解散後は俳優やテレビの司会者として活躍した。当たり役は「西遊記」の沙悟浄だろう。中国の妖怪がなぜか、とぼけた感じの京都弁で話をしていたのが懐かしい◆コピーライターの吉竹純さんに短歌がある。<GSはグループサウンズ息子よ角のガソリンスタンドじゃない>。悲報なのに、柔らかなコーラスが耳朶じだに響いてくる。

9月16日 よみうり寸評

[読者会員限定]

 「牛」という詩の冒頭で高村光太郎はその特徴を挙げた。〈のろのろと歩く〉と。だが意思は強い。〈牛はあとへはかへらない/足が地面へめり込んでもかへらない〉◆政界でまず連想されるのは鈍牛と呼ばれた大平正芳元首相だが、この人の経歴も牛の歩みに重なろう。午後の国会で首相に指名される運びの菅義偉氏である。47歳で国政に進出するまでの半生はすっかり知れ渡った◆牛は力も強い。詩人はいう。〈弾機ばねではない/ねぢだ/坂に車を引き上げるねぢの力だ〉。バネが跳ねるようだった前政権の手並みを思う。アベノミクスで景気を一気に回復軌道に乗せたが、近頃はバネの伸びも案じられた◆先の連想から菅氏の身上はネジの力にあるとも考えられよう。地方創生、財政再建等々、粘り強さを生かすにはあつらえ向きの中長期的課題が待ち受ける。ただしコロナ禍という眼前の関門を越すにはバネの力が欠かせない◆新政権の本領はネジかバネか。その船出にあたり、両方の力を併せ持つに違いないと願望を記す。

 

税金の申告をする際には白色申告よりも青色申告をしたほうがメリットが大きいということは、多くの方がご存じのことでしょう。

事業を営んでいる方が毎年している確定申告の他にも、相続した後にする税金の申告でも青色申告を利用できる場合があります。

ただし、今まで青色申告をしていなかった方の場合には、決められた期限内に青色申告承認申請書を納税地の税務署へ提出しなければなりません。

今回は、相続した後の税金の申告で青色申告を利用できるのはどのような場合か、いつまでに青色申告承認申請書を提出すればよいのかについて説明します。


青色申告のメリットとは

青色申告には、主に次のようなメリットがあります。

・ 最大65万円の青色申告特別控除が受けられる

・ 専従者に支払った給料を全額経費にできる

・ 赤字の全額を3年間にわたって繰り越せる

・ 30万円未満の取得資産を一括で経費に計上できる

・ 貸倒引当金を一括評価で計上できる

青色申告をするには手間がかかりますが、白色申告よりも税制上のメリットが格段に大きいので、所得税の確定申告をする際には青色申告の利用を検討するとよいことでしょう。

青色申告を利用できる3つの場合とは

青色申告を利用できるのは、次の3つの所得のいずれかがある人が所得税の確定申告を行う場合です。

・ 事業所得

・ 不動産所得

・ 山林所得

したがって、相続後の税金の申告で青色申告を利用できるのは、

・ 相続によって故人から事業を承継した ・ アパートなどの収益不動産や山林を取得した

場合ということになります。

継承、取得した後にご自身の所得税を確定申告する際に青色申告を利用できます。

相続税の申告には青色申告の制度はない

相続制を申告する際には、残念ながら青色申告のような特典付きの制度はありません。

上記のとおり、青色申告は所得税の確定申告を行う際に利用できる制度だからです。

相続後に青色申告承認申請が必要な場合とは

今までに確定申告をしたことがない方や、確定申告をしたことはあっても青色申告の承認を受けずに白色申告をしていた方の場合には、青色申告承認申請をしなければ青色申告の利用はできません。

たとえば、会社員の方が相続によって親が所有していたアパートを取得すると、不動産所得が発生し翌年から確定申告が必要となる場合があります。

その場合、一定の期限までに青色申告承認申請書を納税地の税務署に提出しておかないと、少なくとも翌年の確定申告は白色申告でしなければなりません。

たとえ故人が青色申告を利用していたとしても、青色申告者の地位まで相続できるわけではありません。

相続後のご自身の所得税の確定申告を青色でするためには、青色申告の承認申請が必要です。

一方、既に青色申告の承認を受けている方は、相続によって事業を承継したり、収益不動産を取得したりしても、改めて青色申告承認申請書を提出する必要はありません。

相続後の青色申告承認申請の期限


色申告承認申請の期限は、故人がどのように申告していたかで異なります。

故人が白色で申告していた場合

故人が白色で申告していた場合には、

亡くなった日から2か月以内、またはその年の3月15日のどちらか遅いほうの日までに青色申告承認申請を提出

しなければなりません。

故人が青色で申告していた場合

一方、故人が青色で申告していた場合は、相続人(承継者)の申請期限についても特典があり、原則として亡くなった日から4か月以内とされています。

ただし、亡くなったのが9月以降の場合にはその年の残り期間が4か月を切っているため、次のように調整されています。

・ 9月1日~10月31日の間に亡くなった場合:その年の12月31日まで

・ 11月1日~12月31日の間に亡くなった場合:翌年の2月15日まで

青色申告承認申請書はできる限り早く提出する

相続が発生した場合に相続税の申告を気にする方はいても、その後のご自身の所得税の確定申告にまでは関心の及ばない方が多いのではないでしょうか。

事業を承継した場合には、もともと税理士が関与していることが多いので問題となるケースは少ないようです。

しかし、アパートなどの収益不動産を相続した場合には、確定申告の時期が近づくまで所得税のことを気にしない方が多いようです。

また、故人が白色で申告していた場合には、亡くなってからわずか2か月で青色申告の承認申請期限が過ぎてしまいます

青色申告承認申請書は、できる限り早く提出するようにしましょう。(執筆者:元弁護士 川端 克成)

 

 行政改革に関し「複数の省庁に分かれている(デジタル化)政策を強力に進めるデジタル庁を新設する」と明言。「規制改革をこの政権のど真ん中に置く」と述べ、河野太郎行政改革担当相に「縦割り110番」の新設を検討するよう指示したと語った。衆院解散については「コロナをコントロールし、経済の回復を目指すことにまずは専念したい。1年以内に総選挙がある。時間の制約も視野に入れながら考えていきたい」と述べるにとどめた。

 菅氏は16日朝、東京・赤坂の議員宿舎周辺で日課の散歩をし、ホテルで秘書官と打ち合わせ。安倍内閣総辞職の臨時閣議に官房長官として出席した後、党本部で広報用の写真撮影をした。午後1時前、官邸から去る安倍晋三前首相を見送ってから衆院本会議場に向かった。

 首相指名選挙は衆院(投票総数462票)が菅氏314票▽立憲民主党の枝野幸男氏134票▽日本維新の会の片山虎之助氏11票▽無所属の中山成彬氏2票▽自民党の小泉進次郎氏1票。参院(同240票)は菅氏142票▽枝野氏78票▽片山氏16票▽国民民主党の伊藤孝恵氏1票▽白票3票の結果だった。いずれも菅氏が過半数を得た。菅氏は官邸で公明党の山口那津男代表と党首会談を行い組閣本部を設置。加藤勝信官房長官(64)=竹下派=が会見で閣僚名簿を発表した。

 初入閣は5人で、閣僚経験者4人を再登用。2025年の大阪・関西万博に関する特別措置法に基づく万博担当相が新設され、閣僚ポストは1増の20となった。第4次安倍再改造内閣からの残留は11人。麻生太郎副総理兼財務相(79)=麻生派=ら8人が再任され、3人が横滑りで担当を変わった。

 トランプ米大統領周辺に人脈を持つ阿達雅志・元党外交部会長(60)を新たに首相補佐官に起用した。

 菅氏は秋田県出身者で初の首相。派閥に所属せず、国会議員の親族を持つ世襲でもない「無派閥・非世襲」議員が自民党から首相となるのは異例だ。【笈田直樹】

 

新内閣発足後、初の記者会見をする菅義偉首相=16日午後、首相官邸(代表撮影)© 時事通信 提供 新内閣発足後、初の記者会見をする菅義偉首相=16日午後、首相官邸(代表撮影)

 菅義偉首相は16日の記者会見で、今春の開催が見送られた首相主催「桜を見る会」に関し、「私が首相に就任したのを機に来年以降、今後は中止したい」と明言した。菅首相は「安倍政権が長くなる中で招待客が多くなり、会の在り方についてもいろいろな批判がある」と指摘した。

 桜を見る会をめぐっては昨年、安倍晋三前首相の後援会関係者が多数招かれていたことが「税金の私物化」と批判された。これを踏まえ官房長官だった菅氏が今春の開催中止を発表。2021年度予算案の概算要求までに開催方法などを見直す方針を示していた。

 菅首相は会見で、来年以降も中止する理由について「今はコロナ対策に集中したいという強い思いの中で、予算要求しないことを決めた」と説明した。一方、森友学園への国有地売却をめぐる公文書改ざん問題に関しては「既に財務省で調査、処分を行っている。検察の捜査も行われて結論も出ている話だ」と述べ、再調査に否定的な立場を重ねて示した。 

 

宮中での認証式を終え、記念撮影に並ぶ菅義偉首相(手前中央)と閣僚ら=2020年9月16日午後8時14分、皇居・宮殿「北車寄」、代表撮影© 朝日新聞社 宮中での認証式を終え、記念撮影に並ぶ菅義偉首相(手前中央)と閣僚ら=2020年9月16日午後8時14分、皇居・宮殿「北車寄」、代表撮影

 菅義偉内閣が16日夜、発足した。菅義偉首相は首相官邸で、就任後初の記者会見に臨み、冒頭、安倍晋三前首相の辞任について「病気のため道半ばで退かれることになった。無念の思いを推察する」と述べた。

 その上で、「この国難に当たって政治の空白は決して許されない。この危機を乗り越え、全国民のみなさまが安心して生活を取り戻すためには、安倍政権が進めてきた取り組みを、しっかり継承して前に進めていく、そのことが私に課された使命だ」と決意を語った

 

 「巨人6-3阪神」(15日、東京ドーム)

 阪神は勝てる試合を落とした。大きなポイントは四回の阪神・ボーアの打撃だと思う。あそこで来るはずの流れを手放してしまった。

 大山の振り逃げで1死一、三塁と好機が転がり込んできた場面で、初球を遊飛は痛い。最低でも犠飛と思い、打球を上げようとしていたが、菅野のようにキレのある球にこういう打撃をするとポップフライになりがちだ。バットを上から出してヒットを狙う方が、こういう場面ではいい。

 以前からボーアはポップフライを打つ姿が目立つ。サンズ、大山がいいだけに、ボーアが打てばさらに打線はつながるのだが、今のままの打撃では苦しいだろう。

 七回の梅野のバスターも疑問が残る。終盤に2点差で無死一、二塁ならば、犠打で2点を取りにいくべきだろう。おそらく初球がボールで次はストライクが来るとベンチは読んだのだろうが、その作戦はどうかと感じた。

 巨人にマジックが出たが阪神は勝ち続けるしかない。そのためにも、ボーアにはもう少し頑張ってほしい。

 

 グループサウンズの『ザ・タイガース』のメンバーでタレント、俳優の岸部四郎さんが8月28日、拡張型心筋症による急性心不全のため、千葉県内の病院で死去していたことがわかった。71歳だった。

人気を博すも波乱万丈な人生

 一世を風靡した『ザ・タイガース』。グループ解散後は俳優、テレビ、映画などで活躍し、個性派俳優&司会者として人気を集めていた。年収は2億円といわれた四郎さんだったが、'98年には知人の借金の連帯保証人だったことや浪費癖が重なり自己破産、所属事務所から解雇された。

 '03年には脳出血で倒れ、その後は視野狭窄や歩行に困難を抱えるなど後遺症に悩まされる。'07年には敏腕マネージャーでもあった最愛の妻を突然死で失い、さらにパーキンソン病も患うなど、まさに波乱万丈の人生だった。

 2011年6月、週刊女性は自宅近所の公園で歩行訓練をする四郎さんを取材している。その際、不安神経症と診断されたことを明らかし、

「予見不安なんです。転ぶんじゃないかとか。それで、少しずつ引きこもりがちになってしまって」と胸中を語っていた。

 その姿は、お茶の間を賑わせていたころのふっくらとした外見とはまるで別人のように痩せ細っており、世間に衝撃を与えることに。その5か月後に再び取材した際には、復帰を待ち望むファンの声に対し「こんな状態じゃ、出られるわけないよ」と弱音をポツリ。

 だが、その半年後の1月24日、四郎さんの姿は日本武道館のステージ上にあった。

 沢田研二(ジュリー)のライブツアー『沢田研二LIVE 2011-2012』に四郎さんの兄・一徳(サリー)、森本太郎(タロー)、瞳みのる(ピー)が全公演にゲストとして参加、その最終日に四郎さん(シロー)が駆けつけたのだ。

 '71年1月24日に日本武道館で解散コンサートを行っていた『ザ・タイガース』。なんと41年ぶりの同じ日、同じ場所に5人が揃ったということで、一夜限りの“再結成”となったステージは大きな感動を呼ぶこととなった。

 週刊女性では、当時のコンサートの様子をこう伝えている。

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 不意に一徳がベースを下ろすと、舞台の袖に消えた。そして、四郎と一緒に姿を見せたのだ。

 兄に支えられながら、四郎は自らの足でしっかりと歩いた。ステージの真ん中に用意されたイスに腰かけると、すすり泣く声があちらこちらから聞こえてきた。

 初めは緊張からくぐもった声で「こんなステージに立てるなんて夢のよう。ジュリーありがとう」と話した四郎。だが、次第に得意の話芸が飛び出す。

「1曲とはいわず2曲いきたいところですが、1曲ね」と言って笑いを誘い、女性ファンから「イケてるよ!」と声援が飛ぶと、「どこがイケてんねん」と軽妙に切り返して沸かせた。

 

 イスに座ってザ・ビージーズの『若葉のころ』を懸命に歌い上げると、この日1番の割れんばかりの拍手が。

 

 退場の際、体を支えている一徳に対して「誰?」などと持病の視野狭窄を逆手にとってボケるなど、最後まで四郎らしさを貫き、名残惜しそうにステージを去っていった。

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 四郎さんがステージで歌ったのはなんと30年ぶりだったという。そんな四郎さんの熱唱に客席も涙。そのライブの様子は、翌日のスポーツ紙を賑わせ、ファンにとっても本人たちにとっても“忘れられない夜”になったのだ。

弟を思う、兄・一徳の優しい言葉

 のちに、兄の一徳は週刊女性の独占インタビューでこう振り返っている。

ギリギリまで四郎も自信なかったみたい。だけど、武道館に向けて頑張っていましたよ。カラオケで練習したり、歩行の訓練をしたりね。(中略) 

 四郎は立って歌いたかったんです。当日はイスに座ってという形になりましたけどね。舞台袖までは車イスでしたが、ステージ上では歩くという目標はクリアできた。

 

 ただ彼は元気なときに歌っていた記憶、しゃべっていた記憶があって、そのときの自分と今を比べてしまうんですね。でも、そんなこと忘れていいんですよ。まだまだ気力はあるし、面白いことも話せる。もともと持っているおもしろさがありますからね。

 久しぶりに四郎の歌を聴いて、えこひいきじゃなく、歌は大丈夫だと思いましたよ。高い声も出ていましたからね。自信がないだけなんですよ」(2012年2月21日号より)

 その後、'13年に『ザ・タイガース』は正式に再結成し、四郎さんはその年のライブツアー最終日の東京ドーム公演に車椅子で出演。それが最後の公の場となった。

 ずっと闘病を続けながら復帰を目指していたという。

「四郎は僕よりもよっぽど才能がある。司会だって面白いし、俳優の部分だって」(前出の一徳インタビューより)

 ミュージシャン、俳優、タレントとしての才能に溢れ、その独特なキャラクターで多くの人に愛されていた四郎さん。またステージで歌う姿が見たかった、そのお芝居を、四郎節を、再び見せてほしかったーー。突然の訃報に驚きと悲しみの声が広がっている。

 

© 米警官に射殺された黒人女性の似顔絵を掲げ「ブリオナに正義を」と訴える反人種差別デモ=6月19日、ニューヨーク(AFP時事)時事通信 提供 米警官に射殺された黒人女性の似顔絵を掲げ「ブリオナに正義を」と訴える反人種差別デモ=6月19日、ニューヨーク(AFP時事)

 【ニューヨーク時事】米ケンタッキー州ルイビルで3月、就寝中だった黒人女性の救命士ブリオナ・テイラーさん=当時(26)=が警官に射殺された事件で、ルイビル市は15日、市が遺族に1200万ドル(約12億6500万円)を支払い、市警が再発防止に取り組むことで和解したと発表した。遺族の弁護士は、警官の「不当行為」で死亡した黒人女性に対する和解金としては過去最高と述べている。

米警官に射殺された黒人女性の救命士ブリオナ・テイラーさんの名前が書かれたマスクを着けるテニスの大坂なおみ選手=8月31日、ニューヨーク(EPA時事)© 時事通信 提供 米警官に射殺された黒人女性の救命士ブリオナ・テイラーさんの名前が書かれたマスクを着けるテニスの大坂なおみ選手=8月31日、ニューヨーク(EPA時事)

 記者会見したルイビルのフィッシャー市長はテイラーさんの死亡に対し「深くおわびする」と謝罪。関わった警官に対する捜査は続いており、テイラーさんの母親は「ブリオナに対する完全な正義に向けた始まりにすぎない」と述べ、警官の刑事訴追を求めた。