2020年8月1日土曜日

広島の4番だった江藤智(写真)も巨人入り (c)朝日新聞社© AERA dot. 提供 広島の4番だった江藤智(写真)も巨人入り (c)朝日新聞社
 巨人は1990年代半ば以降、他球団の4番打者を次々に引き抜き、12球団でもダントツの超重量打線を形成した。ファンにとってもアンチにとっても、一番思い出深いのは、やはり長嶋茂雄監督時代の大型補強だろう。
“FA元年”の93年オフに中日の4番・落合博満を入団させ、翌94年のシーズン途中に前年までダイエーの4番を打った岸川勝也を交換トレードで獲得。“落合効果”で5年ぶりの日本一を実現すると、「まだ足りない」とばかりに、同年オフにもヤクルトの広沢克己、ハウエルの4、5番(ハウエルも4番併用)を両獲り。1年の間に他球団の4番4人を相次いで入団させた。
 当時の巨人は、原辰徳、吉村禎章、岡崎郁、大久保博元の4番経験者が顔を並べ、松井秀喜も94年のオールスターで全セの4番を打っているので、極端な話、4番打者だけでオーダーを組めるほどだった。
 そんな“夢のオーダー”がほぼ実現したのが、95年4月7日の開幕戦、ヤクルト戦(東京ドーム)だ。
 1番セカンド・岡崎、2番ショート・川相昌弘、3番ライト・松井 4番ファースト・落合、5番サード・ハウエル、6番レフト・広沢、7番センター・マック、8番キャッチャー・大久保、9番ピッチャー・斎藤雅樹。
 マックは翌96年に負傷欠場の落合に代わって4番を務め、斎藤雅も投手ながら通算5本塁打を記録するなど、野手顔負けの打撃センスの持ち主。これに加えて、原、吉村、岸川が代打で控えているのだから、まさに“4番の金太郎飴”だった。
 だが、ヤクルトベンチの野村克也監督は泰然自若としていた。巨人のオーダーを見た高津臣吾が「すげえなあ……」と恐れをなすと、「全体で見るな。一人一人寸断してみろ!」と叱りつけた。「いくら強力であっても、これは“打線”ではなく、“打順”に過ぎない。一人ずつ切り離して考えれば、攻略法はある」というのが理由だった。
 早い話が「打線は1番から9番までそれぞれの役割があるのに、ホームランバッターばかり並べて“楽して勝とう”なんて野球は通用しない」ということなのだが、はたして、同年の巨人は、優勝したヤクルトに10ゲーム差の3位。チーム打率もリーグ4位の2割5分2厘、本塁打数も139で3位と、当て外れの結果に終わった。
 その後も長嶋巨人は、西武・清原和博&マルティネス、近鉄・石井浩郎、広島・江藤智と他球団の4番をかき集める。松井が初めて30本塁打超え(38本)を達成した96年にリーグ優勝。江藤、マルティネスが加入した00年にも“ミレニアム打線”で日本一を達成したが、94~01年の8年間で優勝3回では、効率はあまり良くない。
 さらに堀内恒夫監督時代の04年にもローズ、小久保裕紀、ペタジーニ、高橋由伸、阿部慎之助らの“史上最強打線”でシーズン259本塁打の日本記録を樹立したが、その一方で盗塁数がプロ野球史上最少の25にとどまるなど、チームとしてのバランスを欠き、優勝した中日に8ゲーム差の3位。翌05年も球団史上初の80敗を喫して5位に沈んだ。一発狙いの野球に特化した結果、足の遅い元木大介が代走起用される珍采配が話題になったのもこの年。改めて4番打者を集めただけでは勝てないということを証明した。
 打線が爆発しても、投壊や拙守などで試合を落とすことが多かったのも、超重量打線時代の特徴だった。
 99年の巨人は、4月9日の横浜戦(横浜)、同28日のヤクルト戦(大阪ドーム)と8点リードを1シーズンに2度もひっくり返されるというプロ野球史上初の屈辱を味わい、「ちょっとお恥ずかしい限りだな」と長嶋監督をボヤかせている。
 翌00年8月10日の横浜戦(東京ドーム)では、初回に松井の2ラン、2回に高橋由の2ラン、5、7回に仁志のソロ2本と江藤のソロ、8回に高橋由の2ラン、9回に江藤の2ランと計7本塁打が飛び出したにもかかわらず、11対12で敗れた。7本塁打を記録しながら負けたのは史上3例目、球団では初の珍事だったが、長嶋監督は首位独走の余裕からか、「初めてじゃないか。これだけ打ったのは。6回までワンサイドをこれだけ追いついたんだし、お客さんも満足だろう」とご機嫌だった。
 投打がかみ合わないといえば、01年9月27日の広島戦(東京ドーム)も記憶に残る試合だ。
 巨人は先発・入来祐作が初回に野村謙二郎、新井貴浩に被弾するなど5点を失い、2番手・條辺剛も連打で3失点と大炎上。いきなり8点の先制パンチを食らう。
 並みのチームならこれでギブアップするところだが、さすがは巨人が誇る超重量打線。松井の3打席連続弾や元木の2本のタイムリーなどで追い上げ、7回終了時点で8対10。「ひょっとしたら?」と逆転を期待したG党も多かったはずだ。
 長嶋監督も7回に上原浩治、8回から桑田真澄を投入する豪華リレーで必勝を期したが、8回に桑田が2死からロペスにタイムリー二塁打を許し、3点差に……。
 それでも巨人打線は、ただでは終わらない、9回に江藤の2ランでたちまち1点差。なおも2死一塁で、一発が出れば逆転サヨナラと最大の見せ場をつくるも、代打・村田真一が中飛に倒れ、10対11で惜敗……。
 ふつうなら「1回の8点が痛かった……」と悔やむところだが、長嶋監督はけっして言い間違いではなく、「8回の1点かな」と残念がった。そして、この1敗でV逸が決定的になると、翌28日、勇退を発表。ひとつの時代が終わりを告げた。(文・久保田龍雄)

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