■2020年を比べると
安倍首相のあいさつ全文は首相官邸がアップしている。記事作成時点では広島市で行われたもののみだが、長崎市のあいさつ全文も各報道機関が掲載している。
それを見比べてみると、類似性は明らかだ。
地名や式典名を除き、読み始めから以下の部分は共通している。
(以下引用)
本日ここに、被爆75周年の(※式典名)が挙行されるに当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。
そして、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。
新型コロナウイルス感染症が世界を覆った今年、世界中の人々がこの試練に打ち勝つため、今まさに奮闘を続けています。
(以上引用)
その次から、広島と長崎で異なる。
広島:
(以下引用)
75年前、一発の原子爆弾により廃墟と化しながらも、先人たちの努力によって見事に復興を遂げたこの美しい街を前にした時、現在の試練を乗り越える決意を新たにするとともに、改めて平和の尊さに思いを致しています。
(以上引用)
長崎:
(以下引用)
75年前の今日、一木一草もない焦土と化したこの街が、市民の皆様のご努力によりこのように美しく復興を遂げたことに、私たちは改めて、乗り越えられない試練はないこと、そして、平和の尊さを強く感じる次第です。
(以上引用)
しかし、そこから似た文章が続く。以下は広島市の式典で読み上げられたあいさつだ。長崎市との違いがある部分を(※)で示していく。
なお、広島と長崎で「取組」「取り組み」などと表記揺れがあるが、割愛する。
(以下引用)
広島と長崎(※長崎と広島)で起きた惨禍、それによってもたらされた人々の苦しみは、二度と繰り返してはなりません。唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けた国際社会の努力を一歩一歩、着実に前に進める(※進めていく)ことは、我が国の変わらぬ使命です。
現在のように、厳しい安全保障環境や、核軍縮をめぐる国家間の立場の隔たりがある中では、各国が相互の関与や対話を通じて不信感を取り除き、共通の基盤の形成に向けた努力を重ねることが必要です。
特に本年は、被爆75年という節目の年であります。我が国は、非核三原則を堅持しつつ、立場の異なる国々の橋渡しに努め、各国の対話や行動を粘り強く促すことによって、核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の取組をリードしてまいります。
本年、核兵器不拡散条約(NPT)が発効50周年を迎えました。同条約が国際的な核軍縮・不拡散体制を支える役割を果たし続けるためには、来るべきNPT運用検討会議を有意義な成果を収めるものとすることが重要です。
我が国は、結束した取組の継続を各国に働きかけ、核軍縮に関する「賢人会議」の議論の成果を(※も)活用しながら、引き続き、積極的に貢献してまいります。
(以上引用)
そして、後半部分も大きな変化はない。
(以下引用)
「核兵器のない世界」の実現に向けた確固たる歩みを支えるのは、世代や国境を越えて核兵器使用の惨禍やその非人道性を語り伝え、継承する(※承継する)取組です。我が国は、被爆者の方々と手を取り合って、被爆の実相への理解を促す努力を重ねてまいります。
被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、原爆症の認定について、できる限り迅速な審査を行うなど、高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、総合的な援護施策を推進してまいります。
結びに、永遠の平和が祈られ続けている、ここ広島市(※長崎市)において、核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、広島(※長崎)市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。
(以上引用)
あいさつの文言が単純に違うから良い、同じだから良くない、というわけではないかもしれない。しかし、ツイッターではこのことが指摘されると、「誠意がないのでは」などと疑問を呈する声も上がった。
■過去はどうだったのか
では、過去数年はどうだったのか。首相官邸の記録をもとに、第2次安倍政権が始まり、最初の平和祈念式典が行われた2013年から見ていく。
2013年は原爆の悲惨さと、復興に向けたあゆみ、そして犠牲になった方へ思いを馳せる前半部分は異なっていた。一方で、日本が国連に提出した核軍縮決議が可決されたことの報告や、原爆症の認定を待つ人へ最善を尽くすとした後半部分は共通していた。(平成25年:広島長崎)
2014年も構造は同じ。出だしは異なる内容だったが、中盤の「人類史上唯一の戦争被爆国として、核兵器の惨禍を体験した我が国には、確実に、『核兵器のない世界』を実現していく責務があります」からはほとんどが一緒だった。(平成26年:広島 長崎)
あいさつ原稿は2015年以降も似た形状で、前半はそれぞれ違う内容だが、中盤の核廃絶に向けた政府の取り組みからは同じ言葉が目立つ。(平成27年:広島長崎)
2016年はオバマ米大統領(当時)が広島を訪問した歴史的な年。安倍首相のあいさつはこのようになっている。
広島:
(以下引用)
七十一年前のよく晴れた朝、一発の原子爆弾の投下によって、十数万とも言われる貴い命が奪われ、広島は一瞬にして焦土と化しました。
惨禍の中、一命をとりとめた方々も、耐え難い苦難を経験されました。
しかし、広島は、市民の皆様のたゆみない御努力により、見違えるような復興を遂げ、国際平和文化都市としての地位を見事に築き上げられました。
本年五月、オバマ大統領が、米国大統領として初めて、この地を訪れました。核兵器を使用した唯一の国の大統領が、被爆の実相に触れ、被爆者の方々の前で、核兵器のない世界を追求する、そして、核を保有する国々に対して、その勇気を持とうと、力強く呼びかけました。
(以上引用)
長崎:
(以下引用)
今から七十一年前の今日、この地に投下された原子爆弾によって、当時、七万ともいわれる、幾万の貴い命が一瞬にして失われました。
惨禍の中、一命をとりとめた方々にも、言葉にできない苦しみをもたらしました。
しかし、市民の皆様の並々ならぬ御努力によって、長崎は焦土から立ち上がり、長い歴史が息づく国際文化都市として、見事に発展を遂げられました。
被爆七十年の昨年十一月には、パグウォッシュ会議世界大会がここ長崎で開催され、「長崎を最後の被爆地に」という長崎宣言が国際社会に発信されました。
本年五月、オバマ大統領が、米国大統領として初めて、広島を訪れました。核兵器を使用した唯一の国の大統領が、被爆の実相に触れ、被爆者の方々の前で、核兵器のない世界を追求する、そして、核を保有する国々に対して、その勇気を持とうと、力強く呼びかけました。
(以上引用)
(平成28年:広島長崎)
2017年以降も、中盤以降は同じ内容になる傾向は変わらない。2020年のNPT運用会議に向けた抱負の部分は、長崎市のあいさつでは「昨年十二月(2016年)、ここ長崎で開催された、核兵器廃絶に向けた国際会議での真摯な議論も踏まえながら」という一文が加わっている。(平成29年:広島長崎)
2018年は読み始めの部分と、日本や海外の有識者が核軍縮について議論する「賢人会議」へ言及する部分以降、違う内容となった。(平成30年:広島長崎)
昨年、2019年は冒頭部分や「国際平和文化都市」「国際文化都市」などの文言を除き多くの部分が一致していた(令和元年:広島長崎)。
■民主党政権でも
ただ、広島と長崎のあいさつが類似するのは安倍政権だけではないようだ。第2次安倍政権が誕生する事になる2012年夏、当時の野田佳彦首相のあいさつは、冒頭以降は広島・長崎共通して以下の内容だ。
(以下引用)
人類は、核兵器の惨禍を決して忘れてはいけません。そして、人類史に刻まれたこの悲劇を二度と繰り返してはなりません。
唯一の戦争被爆国として核兵器の惨禍を体験した我が国は、人類全体に対して、地球の未来に対して、崇高な責任を負っています。それは、この悲惨な体験の「記憶」を次の世代に伝承していくことです。そして、「核兵器のない世界」を目指して「行動」する情熱を、世界中に広めていくことです。
被爆から六十七年を迎える本日、私は、日本国政府を代表し、核兵器の廃絶と世界の恒久平和の実現に向けて、日本国憲法を遵守し、非核三原則を堅持していくことを、ここに改めてお誓いいたします。
六十七年の歳月を経て、被爆体験を肉声で語っていただける方々もかなりのお年となられています。被爆体験の伝承は、歴史的に極めて重要な局面を迎えつつあります。
「記憶」を新たにする社会基盤として何よりも重要なのは、軍縮・不拡散教育です。その担い手は、公的部門だけではありません。研究・教育機関、NGO、メディアなど、幅広い主体が既に熱心に取り組んでおられます。そして、何よりも、市民自らの取組が大きな原動力となることを忘れてはなりません。被爆体験を世界に伝える、世界四十九か所での「非核特使」の活動に、改めて感謝を申し上げます。政府としては、これからも、「核兵器のない世界」の重要性を訴え、被爆体験の「記憶」を、国境を越え、世代を超えて確かに伝承する取組を様々な形で後押ししてまいります。
(以上引用)
このあと、長崎では国連大学との共催で「軍縮・不拡散教育グローバル・フォーラム」が開かれるとの報告をし、広島では軍縮・不拡散イニシアティブの外相会合が2014年に広島で行われるとしているが、それ以外は一致していた。
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