2020年8月8日土曜日

 

写真はイメージです Photo:SOPA Images/gettyimages© ダイヤモンド・オンライン 提供 写真はイメージです Photo:SOPA Images/gettyimages
今年の夏がこんなことになるとは、誰も予想していなかっただろう。そしてまた来年がどうなるかも、予想がつかない状況が続いている。東京オリパラは開催するのか、延期か、はたまた中止なのか。市井の人の思いをゆるく聞いてみた。(フリーライター 武藤弘樹)

開催1年延期の五輪

先行き不安に揺れる世論

 思えばエンブレムのデザイン盗用問題や招致委員会理事長の贈賄疑惑などですったもんだを経て、ようやくたどり着いた2020東京オリンピック・パラリンピックだが、今年に入って誰もが予想だにしていなかった最大級の難局を迎えた。新型コロナウイルスのパンデミックである。

 新型コロナの影響を受けて開催が1年後に延期となったわけだが、この決定は国民総意の祝福を受けているとは到底言い難く、世論をズタズタに分断した状態で、雲行きは甚だあやしいのである。

 2021年開催に関する世論調査は複数行われている。そもそも世論調査は実施した団体によって数字に偏りが見られることがあるので、調査結果を眺めるにあたって警戒を要するが、それでも7月に行われた世論調査では、「2021年7月にオリンピックは開催されるべきか」という質問に対しては大体、「再延期すべきだ」が最も多く30%半ばで、「中止すべきだ」が30%前後、「開催すべきだ」が25~30%超という数字を示している。

 なお「開催すべきだ」と「中止すべきだ」が2位争いをしていて、世論調査によって順位が違う(「開催すべきだ」が3位になる世論調査が多い)。間違いなく言えるのは1~3位まで比較的僅差の接戦であり、世論がもつれにもつれていることを示しているということである。

“世論調査”と聞くといかにも「世の意見」という、こちらを身構えさせる趣がある。識者が発信する意見はもっと強い(識者たる人たちはなめられてはいけないので、しかるべき形式で白か黒かしっかり意見しなくてはならない立場にあり、意見に身構えさせ効果が生じるのは宿命である)。

 筆者は必要に応じて「ソーシャルライター」などと横文字を名乗ることこそあるが、およそ識者ではなくただの中年ライターなので、この連載も炭酸が抜けた飲料水のようなものなので、ここでしかできないこととして、もっとゆるく、「街の声」的なものを拾ってまずは紹介したい。

「強いて言うなら」の意見

ファン心理にケチをつけたコロナ

「ここまでこじれてしまったのだから、いっそ中止にした方がみんなスッキリしていいのではないか」(40歳男性)

 …と語るこの男性だが、東京オリンピックについて強い積極的な意見を持っているわけではない。最初「どう思うか?」の質問に「大変だよなあ」と漠たる感想を漏らし、その後突っ込んでみたところ上記の意見が出てきた。

 観戦チケットが当せんしたある女性に同じ質問を投げかけると、

「うーん…。別に(開催でも中止でも)どっちでも」(35歳女性)

 との答えである。詳しく聞いてみると、どうやら一度延期となったことで熱がフッと冷めてしまったらしい。

 実は筆者も女子バレーの準決勝だか準々決勝だかの観戦チケットに当せんした。スポーツは世界大会などがあるとにわかファンとなって熱狂する典型的な日本人であると自負している。

 中でも女子バレー日本代表が好きで、大会期間中はテレビの前でお茶の間サポーターと化す。だから観戦チケットの当せんはかなりうれしかった。会場の空気感を味わってみたかったし、運が良ければ日本代表の試合が見られるかもしれない。

 そこに来ての延期決定で、何を感じたかというと、残念ではあるが少なくとも落胆ではなかった。パンデミックの発生などは自然災害に近いもので(もちろん感染拡大は人為的な努力によって抑制できるが)、これはもう誰が悪いということでなく「仕方のないこと」である。事のあまりの大きさに何かを責める気は起こらず、粛々と現状を受け入れるしかない。“落胆”というほどの私情を挟む隙はなく、ただ“残念”であった。

 残念に思って、前述の「どっちでも…」と話した女性とおそらくほぼ同じ心持ちになった。2020年の開催に向けて盛り上がってきていたテンションがやむなき事情で断ち切られ、そのまましぼんでしまったのである。日本代表を応援する気持ちにはなんのかげりもないが、大会に向けていた盛り上がりがいったんリセットされる形となった。

 この心境になった理由は単に中断させられたから、というだけでなく、コロナの情勢が開催予定の来年7月にどうなっているかまったく見えず、むしろまだ全然落ち着いていないのではないかという見通しもあり、本腰を入れてオリンピック・パラリンピックを楽しむ気になるのが難しい、というのも大いにあろう。

 だから2021年開催については、「選手やファンのためにもぜひ開催されればいいが、いろいろ難しいこともあるだろうし、中止でも再延期でもいいですよ。どんな決定でも異存はありません。関係者の皆様は本当に心中お察しします」といったところである。意見らしいものがほぼないといっていいノンポリ野郎である。

 筆者がゆるキャラのように生きているので取材に協力してくれる人にも似た人種が集まりやすくなっている、と考えることもできるが、調査を通して市井の声は結構中庸にあるように感じた。「強いて言うなら―」と枕ことばがあった上で、開催か中止か再延期か、どれかの主張が引き出される。

 取材で得たこの感触を通して世論調査の結果を眺めてみると、この中の回答もひょっとしたら少なくとも何割かは「強いて言うなら―」に続けられた白か黒かなのかもしれない、という気もしてくる。結果は数字で「誰が白と答えて、誰が黒と答えたか」を表示するから、そこに至るまでの回答者の葛藤をうかがい知ることはできない。

 開催・中止・再延期のどれかを選ぶ際に、筆者を含む中庸タイプの人が「強いて言うなら」をつけたがる理由はいくつか推測されて、「元から五輪にあまり興味がない」「コロナで五輪に向けたテンションが下がった」「状況がややこしすぎてどれがベターかわからない」などがありそうである。

 もちろん今回の取材において、中にはしっかり意見してくれる人もいて、「確実に中止した方がいい。感染拡大対策も大して見つからないままやればコロナの被害を国際的にさらに広げる」(50歳男性)や「大会に出場して活躍することを人生の目標に据えて幼少期から努力してきた選手たちのことを思うと、どんな形でもいいから開催はしてほしい」(32歳女性)といった声も聞かれた。

どこに着地すべきか

迷走する東京大会来年開催の是非

 オリンピック・パラリンピックとなるととにかく規模が大きく、関係者・関係団体も多くてただでさえ複雑なのに、新型コロナが絡んで空前絶後のややこしさを醸し出している。

 たとえば今回掲げられている“アスリートファースト”ひとつ取って見ても、多様な声がある。「研鑽を重ねてきた選手に報いるためにもぜひ開催すべきだ」「再延期ならコロナ対策の見通しが立つ可能性がより高く、選手がコンディションをより整えやすくなる」「再延期・中止の再決定が下される可能性は依然としてあり、それを懸念している選手も多いはず。曖昧な状況が続くと選手の心身がもたない。いっそ中止にすべきだ」と、“アスリートファースト”で出発点は同じなのに、まったく別のゴールを描いた意見が出てくるのである。

 しかも“開催”なら「スリム化するのか。するとしたらどこまでやるか」、“再延期”なら「再来年なのか2032年なのか」、“中止”なら「支出の穴埋めはどうするのか。代替案を出して策を講じるか。また、それはどのようなものか」という具合に、オプションが無数に細分化していく。

 どの主張にもそれなりの正当性・建設性があるので、昔のコントにタンスの引き出しを閉めたら他の引き出しが全部開くというのがあったが、あれに近い状態になっている。来年開催に関していろいろな人が発信しているが、感情的で結論ありきで突っ走る人のものは別にして、どれも「なるほどなあ」とうなずかされるものばかりである。

 アスリートファーストをはじめとして着眼点や立場も無数にある。IOCの利権問題、コロナによってリスクにさらされる尊い人命、延期にまつわるコスト数千億円、IOCのバッハ会長への不信感が拭えない、友人の観戦チケットの代金を立て替えたがまだ払ってくれず、運営に払い戻しを申し出たいが、友人は「絶対行くし、絶対払う!」と主張し続けるので、いっそ大会の中止が決定して問答無用で返金になってほしい…などで、見る角度によって浮き上がる問題が変わるプリズム模様である。ここまで来るとタンスの引き出しを閉めれば玄関のドアが開くくらいのレベルになっている。あくまで「現状では」という条件付きではあるが、運営側が万人に(譲歩を含めて)納得できる施策を示すのは、それが神であったとしてもおそらく不可能である。

 ベストはもう無理なので、どれが一番ベターかを模索しているのが今だ。いろんな頭のいい人たちや偉い人たちが「これではないか」とやっているが、あちらを立てればこちらが立たず、「そっちはいいけど、こっちはどうするんだ」と上がる怒号は後にもやまず、東京オリンピック・パラリンピックが万人が納得する形で開催される可能性は、「現状では」残念ながらついえている。

 ひとつ確実に言えるのは、この残念な状況を招いた最大の元凶は新型コロナウイルスだということである。かじを取る人たちに批判が集まりがちな現況ではあるが、コロナによってもたらされたうっ憤がそちらに向かっている趣も幾分かあり、当然、かじを取る人たちは相応の責任を自覚してやってもらわねば話にならないとしても、必要以上にたたかれる必要はない。

 より良い結論を求めて、世論が沸騰するのは望ましいことだが、エキサイトすると大前提にあるはずの「一番悪いやつはコロナ」が忘れられがちになるので、適宜立ち返って「コロナが悪い」と唱える習慣が共有できれば、双方が互いの主義、主張に寛容になれることもあろう。

 組織委員会が今年の2月に発表した東京大会のスローガンは「United by Emotion(感動で私たちは一つになる)」だったらしいが、状況が大きく変わった現在、この抽象的で美しげなスローガンは一度取りやめてもらってはいかがか。迷走する東京五輪の来年開催の是非とそれを巡って割れる世論は、その元凶となったコロナを憎むことでまた一つに近づくことは可能である。

 そして今後、開催でも中止でも、揺るぎなき決定が敢行される時、「苦しい中で、それぞれの人たちが本当によく頑張りました」と個々が大人の理解力でもって拍手を送れれば、それなりに美しい決着である。

0 件のコメント:

コメントを投稿