2020年8月6日木曜日


「被爆した祖父の人生語り継ぐ」…名簿を奉納した遺族男性

原爆死没者名簿を奉納する高津良将さん(奥)(6日午前8時1分)原爆死没者名簿を奉納する高津良将さん(奥)(6日午前8時1分)

 広島は6日、75回目の原爆忌を迎え、平和記念式典が開かれた。式典に初めて参列した被爆3世の高津良将さん(37)(広島市西区)は遺族代表として、原爆死没者慰霊碑にこの1年間で亡くなった被爆者らの名簿を奉納する役を任された。 名簿には4月に95歳で亡くなった祖父・善治さんの名前も記されていた。

 75年前の朝、善治さんは爆心地近くの自宅で、朝食をとっている時に被爆した。割れた窓ガラスの破片が全身に突き刺さった。

 戦後、文房具店を経営して多忙だった善治さんは、被爆体験について多くは語らなかった。ただ、「骨にまだガラスがくっついとるんじゃ」という言葉は高津さんの中で強く印象に残っていた。

 10年ほど前から体調を崩しがちになり、高津さんが毎日のように身の回りの世話をした。入浴介助のたびに見た、左胸の小指大の傷痕が今も目に焼き付いている。「100歳まで生きようね」という約束を果たせず、亡くなった日は、高津さんの誕生日だった。祖父から何かのメッセージを受けたかのように思えた。

 死後、遺体を荼毘だびに付した。骨上げの際、骨がキラキラと光った。顔を近づけると傷痕があった辺りの骨に、溶けたガラス片のようなものがまとわりついていた。「本当にひどいけがだったんだ……」。面倒見が良く、大好きだった祖父を襲った原爆の恐ろしさに初めて触れた気がした。

 この日の式典には、善治さんの遺骨の一部と遺影を持参して臨んだ。大役を終え、高津さんは「精いっぱいの供養ができたと思う。祖父の人生をいつか自分も語り継ぎ、戦争の無意味さを伝えていきたい」と力を込めた。

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