2020年8月31日月曜日

2005年のリーグ優勝の瞬間、バンザイをして歓喜の輪に加わる藤川球児© スポーツ報知/報知新聞社 2005年のリーグ優勝の瞬間、バンザイをして歓喜の輪に加わる藤川球児  阪神は31日、藤川球児投手(40)の現役引退を発表した。
 谷本修球団本部長(55)がオンラインで取材に応じ、「藤川球児選手から今シーズン限りでの現役引退の申し出を受けまして、球団としてはそちらの方を了承いたしましたので、そのご報告でございます。理由としては本人から聞いた話ですけども、1年間を通じてコンディションを保つのが年々難しくなってきておりまして、体が悲鳴を上げているんだというのが一つ。もう一つはチームに非常に迷惑をかけていると。来季については今季以上に苦しくなるという懸念も考えられると。以上2点でございます」と明かした。
 8月中旬に申し出があったようで、本人は「野球人生に悔いはない」と話しているという。
 昨年4月にも本人から昨季限りでの引退の申し出があったというが、球団は一度、態度を保留。同年9月に残留要請を行っていた。それでも、現在は2軍で9月中の復帰を目指してリハビリ中。今シーズン中は優勝を目指すチームの戦力として第一線に立ち続けるつもりだ。
 藤川は開幕から守護神を担ったが、本来の火の玉ストレートが走らず、打ち込まれる場面が目立った。7月12日に右肩のコンディション不良で2軍降格。同23日に1軍復帰したが、クローザーに戻ることはなく、8月13日に「右上肢のコンディショニング不良」で再び出場選手登録を抹消されていた。
 右肩、右肘の状態は限界だったとみられ、今季は11試合に登板し、1勝3敗2セーブ、防御率7・20。名球会入りとなる通算250セーブまで、あと5セーブとなっている。
 藤川は98年のドラフト1位で阪神に入団。プロ7年目の04年途中から中継ぎに転向すると、翌05年に潜在能力が一気に開花した。ホップするような剛速球を武器に、久保田、ウィリアムスと勝利の方程式「JFK」を形成し、リーグ制覇に貢献。当時の日本記録の80試合に登板し、7勝1敗46ホールド、防御率1・36と圧巻の成績を残した。
 翌06年途中からはクローザーを務め、メジャー挑戦、阪神復帰と日米球界をまたいで、ファンを魅了し続けた。昨年はシーズン途中から抑えに復帰し、56試合の登板で4勝1敗、16セーブをマークし、復活を印象づけていた。
 球児は近年、常に引き際を意識して「グラウンドで年齢は関係ない。結果がすべて」と覚悟を決めて戦ってきた。シーズン折り返しとなる60試合を消化した時点での決断も、自らケジメをつけたかった証拠といえる。1日には西宮市内で会見予定。希代のリリーバーが、今季限りでユニホームを脱ぐ。
 ◇藤川 球児(ふじかわ・きゅうじ)1980年7月21日、高知市生まれ。40歳。高知商から98年ドラフト1位で阪神に入団。05年に当時のプロ野球記録となるシーズン80試合登板。07年は当時のプロ野球記録の46セーブ。12年オフに米大リーグのカブスへ移籍。13年6月に右肘じん帯再建手術。レンジャースを経て、15年6月に四国アイランドリーグplusの高知に入団し、同9月に退団した。同オフに阪神復帰。NPB通算777試合に登板し60勝38敗243セーブ、防御率2・08。MLBでは29試合で1勝1敗2セーブ。185センチ、90キロ。右投左打。

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