「18歳の時に映画『ひめゆりの塔』にも出ましたが、人の痛みを理解できていなかった。年を重ねるほどその思いが強まって。沖縄の人たちの痛みの上に平和はあると思うので」と、この仕事を引き受けた背景を明かす。今作は沖縄戦の体験者、専門家の証言で構成。14歳の子も兵隊に取られたこと、海で一度は助かりながら波にさらわれて離れ離れになった人のこと…。つらい記憶が勇気を持って語られていく。
斉藤の父は医師だった。幼い頃の過酷な経験で独特の死生観が芽生えた。姉を2歳で亡くし、小6で母をがんで見送る。3歳だった姉は大人が目を離した間にベランダから落ちる事故。母は自分を責め続け、病魔とも闘い生を全うした。その喪失感を埋めてくれるのが「人に感動を与えられる」女優の仕事だと思い、自ら芸能界に飛び込んだ。数年で立て続けに話題のドラマに出るが、優等生役が続く。もともと思考性の強い子だった。
「実際の私は優等生なんかではない。みんなの知る私が本当の自分でない恐ろしさがどんどん膨らんで」。生きることに苦しさを覚えるような状態で高校も中退していた。「その気持ちをどこか引きずりながら結婚し、子供を産んでしまったと思うんですね」。当時、関西に住んでいたが転機は95年の阪神大震災。「自分は何をやってきたのか」。社会の仕組みも構造も分からない。子供を守ろうにも誰かの役に立とうにも無力であることを思い知る。
ほどなくしてドキュメンタリーの撮影でタイへ。粗末な環境で子供たちが一心不乱に勉強する姿に衝撃を受けた。「私も真剣に勉強して違う道を歩みたい、と思って」。33歳で離婚。既に成人した娘と息子がいる。大学入学資格検定(現・高校卒業程度認定)試験を受け、4度目のチャレンジで東洋大社会学部社会福祉学科に入る。
3浪してダメだった時のことが忘れられないという。「涙も出ないほど」精根尽き果て、受験を諦めかけた。「ランドセル背負って帰ってくるなり娘が『ママどうだった?』と。『うん、ダメだった…』。娘が抱きついておいおい泣き出したんです。『でもママは頑張ったんだから。諦めないで!』。逆に励まされた。これは絶対やめられないと思い直したんです」。育児で反省することは多いそう。しかし、母親が努力する姿を見て人の痛みの分かる子に育っていた。
今では福祉のスペシャリスト。学ぶことが、自分自身を大きく変えてくれたという。「自分がいかに弱かったのか、にも気づかされた。でももし、あの時諦めていたら。子供たちをどうやって育てていけばいいのかすらも分からなくなっていたと思う」。それが今、孫を持つおばあちゃんでもある。
子供の頃の記憶が家族とのつらい別れで始まっただけに「よく命のミラクルさを感じますよ。でも人生で大事なのは肩書や職業でなく、出会い。そこから何を感じ、何を吸収することができるのか」。折り目正しく生きてきた人の言葉だった。
◆斉藤 とも子(さいとう・ともこ)1961年3月14日、兵庫県生まれ。59歳。76年「明日への追跡」(NHK)で女優デビュー。78年「青春ド真中!」「ゆうひが丘の総理大臣」(ともに日テレ)で有名に。99年、井上ひさし作の舞台「父と暮せば」出演を機に被爆者との交流を始める。同年、東洋大に入り、同大学院に進む。社会福祉士、介護福祉士の資格を持つ。神戸親和女子大客員教授。
◆「沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」 沖縄戦とは第2次世界大戦末期の1945年3~6月、沖縄諸島に上陸する米英軍を中心とした連合国軍と日本軍間で起きた戦い。当時を知る体験者12人、専門家9人の証言や米軍が撮影した記録映像で構成される。斉藤は宝田明とともにナレーションを担当した。105分。
◆小雁とは関係良好
28歳年の離れた俳優・芦屋小雁(86)と87年に結婚(95年離婚)した際は大きな話題となった。「いつも少年の心を持った人です。私たちは憎しみ合ってではなく互いがより良く生きていくために別れることにしたので」と振り返る。「子供たちもパパのことが好きで、パパも子供が好き。父親を取り上げる権利はありません」と言い、「子供たちは(小雁の)新しい奥さんのことも慕っている。今もいつでも連絡が取れる状態にありますよ」。“良好”な関係が続いていることを明かした。
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