「1948(昭和23)年12月6日生まれ」
こう書いたら、誰の誕生日か、すぐお分かりになった方が多いはず。
そう、新首相になった菅義偉(すが・よしひで)氏である。
菅さんの生まれた、この1948年12月には、どんなことがあったのだろうと歴史年表にあたってみたら、案の定というべきか、敗戦からまだ3年しかたっていないから世情はまったく落ち着いていない。こんなことが起きていた。
「電気を盗んでいることがバレた僧侶が、配電会社職員を刺殺」「火を貸してくれたお礼にと差し出された、たばこ。吸ったところ、このたばこにはヘロインが入っていて昏(こん)倒(とう)。その隙に時計、カバンを奪われた」「国会で蔵相が泥酔し、女性議員に次々とキス。辞任」
では、競馬の世界ではどんなことがあったのだろうと、「日本近代競馬総合年表」(中央競馬振興会)を調べたら、菅さんが生まれる2日前の出来事が書いてあった。
〈1948年12月4日=東京銀座のプレイガイドの建物を1年契約で借り上げ、銀座場外発売所が開設された。発売は午前9時からだったが、その1時間前ほどからファンの延々長蛇の列ができ、大騒ぎとなった〉
この日、馬券を売ったのは3時間ちょっとだったのに、売り上げが110万円ほどもあった。これは戦前のローカル開催ひと開催分。当時、いかに競馬ファンがレースと馬券を待ち望んでいたか分かる。
そして、生まれて間もない菅さんが、オギャーッと泣いていた頃であろう1948年12月19日には、重賞の目黒記念が行われて、セフテスという牝馬が完勝。この馬は、翌年6月の目黒記念も勝っており、目黒記念(1932年創設)を連続して勝った史上初の馬になっている。
その40年以上あと、セフテスの孫の孫にあたるプリティハットが、1991年のマイラーズCで2着に突っ込んできた。
ところで菅さんは、競馬場にいらしたことがあるだろうか。レイワフリューゲル、レイワミノルなんて名前の馬もいますよ。コロナ禍が落ち着いたら、ぜひ。
(競馬コラムニスト)
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