ドラマのセカンドシーズンも、いよいよ大詰めの『半沢直樹』。
シリーズ最新作『半沢直樹 アルルカンと道化師』が9月17日に刊行された。
躍動感のあるエンタテインメントの筋立ての中で、人物の心情に迫った物語は、どのように造形されたのか。刊行開始から12年を経た現在、池井戸潤氏に、新作とシリーズへの思いを尋ねた。
(撮影/小林 司、文/大谷道子)
銀行員としての肌感覚を取り戻す
半沢直樹・原点回帰の物語
――コロナ禍により7月スタートとなったドラマ『半沢直樹』第2シーズン。視聴率も反響も予想を上回り、毎週、世を席巻しています。原作者として、どのようにご覧になっていますか。
池井戸潤氏(以下、池井戸) 毎週観ていますが、シナリオがほとんど役に立っていないドラマですよね(笑)。一応僕のところにも送られてくるので台本には目を通しているんですが、放送を見ると「あれ? こんな場面あったかな」と。で、調べてみると、やっぱりない。香川照之さんが演じる大和田の《施されたら施し返す。恩返しです》も《おしまいdeath!》も、伊佐山(市川猿之助・演)の《詫びろ詫びろ詫びろ……》もありません。誰がどう決めてああなっているのかまったくわかりませんが、あまりにも変わるから僕にも先が読めなくて、それはそれで面白いなと思って。毎週、楽しんで見ています。
――原作第3作の『ロスジェネの逆襲』編が終わり、現在は航空会社の再建をモチーフにした『銀翼のイカロス』編を放送中。しかし、9月6日にはドラマ本編の収録が間に合わず放送が延期され、代わりにキャストやスタッフによる生放送トークを急遽代替放送されました。それでも、22パーセントを超える高視聴率です。
池井戸 本当に全10回オンエアできるかどうかというところもまた、見どころになっているようですね(笑)。とはいえ、ドラマも終盤に向けてきっちりとストーリーが示される展開になっていくはずなので、さらに楽しめるのではないかと思います。
――その最中、「半沢直樹」シリーズ6年ぶりの新作である『半沢直樹 アルルカンと道化師』が刊行されます。今年1月に行った当媒体のインタビューで予告されていたとおり、舞台はシリーズ第1作『オレたちバブル入行組』の前の時代。いわば“エピソードゼロ”に当たりますが、この時代を舞台にしようと思った理由は?
池井戸 『銀翼のイカロス』まで書いてきて、ちょっと物語が大きくなりすぎたという感覚があったんです。銀行員としてもう少し現場に近い、卑近な戦いを書いてみたい。巨大航空会社と、何千億という資金を巡って切った張ったを繰り広げるのもいいですが、もう少し肌感覚のある話も書いてみたいと。そうすると、半沢が大阪西支店にいた融資課長時代がいちばんいいなと思って。読者目線に比較的近く、規模も大きすぎないから、『半沢直樹シリーズ』の本筋である人間ドラマを際立たせることができるんじゃないかと考えました。いわば、原点回帰というわけです。
ミステリの手法で謎を解き、
人生模様を浮かび上がらせる
――大阪にある老舗美術出版社のM&Aを扱うことになった半沢。その裏には銀行上役のさまざまな思惑が蠢いており、彼は否応なくその渦に飲み込まれます。しかし、真剣な丁々発止が繰り広げられる場が、会社の屋上での地元企業との“とある”行事だったりと、確かに第4作(銀翼のイカロス)までとムードが違っていますね。
池井戸 ああいう行事は、実際にあるんですよ。僕が銀行員だった頃、半沢と同じく大阪西支店に勤めていたんですが、そこには地元の顔役のような企業経営者が集まり、預金の協力を取り付けたりする機会でもあったので、けっこう大事な行事だったんです。
――作中、探偵のような役回りで美術出版社のお家騒動に関わり、そこに秘められた人々の思いを知る半沢。銀行員の仕事を通し、人の表情や街の仕組みが見えてきます。
池井戸 中小企業に貸すお金は、その経営者の人生と密接にリンクしているので、そこが航空会社のような大企業に貸すときとは、ずいぶん違いますね。人の生き方を、お金の動きと結びつけて語りやすい。そういう意味では、今作は小説のサイズ感にあった物語世界になっているんじゃないかと思います。
――タイトルの『アルルカンと道化師』は、作中に登場する絵画《アルルカンとピエロ》に由来。半沢は絵に隠された秘密を追って、いわば探偵のように謎に迫っていきますが、その中で芸術家の人生や、その周囲にいる人々のドラマが織り込まれていきます。
池井戸 半沢直樹シリーズの次の物語を考えていたとき、ある画集でアンドレ・ドランの絵画『アルルカンとピエロ』を見て、絵画と結びついたミステリ風味の物語が浮かびました。僕はもともと江戸川乱歩賞でデビューした作家ですから、これまで大企業や町の中小企業を舞台にした作品でも、実は一貫してミステリやサスペンスの手法を使って書いてきたんです。
アルルカンもピエロも、日本語ではどちらも道化師と訳されますが、悪賢いのがアルルカン、純真でちょっと抜けているのがピエロ。悪巧みの巣窟みたいな銀行内部は、まさにアルルカンの集団です。
登場人物の中には、芸術家を目指しながら挫折した人々が何人も登場しますが、理想と食い違ったまま人生が転がっていく、そういう悲哀が滲む場面はなかなか書けなかったですね。書けないというか、書きたくなくて、飛ばして飛ばして、最後の最後に書きました。
――しかし、理想と現実のギャップに苦しむ人たちの思いが切実に描かれた、いい場面です。彼らのような人たちのためにお金を貸したいという、半沢直樹の職業人としての思いが伝わってきます。
池井戸 けっこう腹黒いけど、なかなかいいヤツですよね(笑)。人を中心に描く物語の書き方は、第1作の『オレたちバブル入行組』(2008年刊)を書いた頃にはしていなかったかもしれません。もっと無邪気に、面白さしか考えていなかったというか。でも、10年以上が経って、登場人物たちの心情や生きざま、彼らが抱える矛盾に踏み込む、そういう人間寄りの視点で書くようになった。『アルルカンと道化師』は、そんな今だから書けただろうし、書かなければならないと思った物語だったのかもしれません。
シリーズものと新作と、
さらに旺盛に、意欲的に書き続けたい
――人間力をつけた半沢が、次にどんな活躍を見せるか。新作を上梓したばかりですが、シリーズは今後どう展開をするのでしょうか。
池井戸 さすがにまだ次の構想はありません(笑)。が、いろいろ考えられるとは思います。
実はこの『アルルカンと道化師』は、コロナ禍でゴルフなどのイベントが全部飛んだ中、ものすごく仕事がはかどって超特急で書き上げたんです。だから作家としては、前の日常に戻さないように、すぐ次を書きたい。すでに『民王』の続編に取り掛かっていますが、誰もが知っているシリーズものを一編書いたら次はまったくの新作をというふうに、交互に書いていけたらと思っています。
――そのためには、何が必要ですか?
池井戸 圧倒的に、執筆にかける時間ですね。そのために何を削るかといったら、まずはゴルフ。たとえば週1回、年間50日行っていたとしたら、それをまるまる削るか、週1を月1にするだけで、プラス1冊書けると思います。これをまず、確保します。
――お好きなゴルフですが、よろしいんですか?
池井戸 最近、ふがいないゴルフ続きで、行くたびにストレスが溜まってしょうがないので、いいんです(笑)。それに引き換え、小説を書いているぶんには、楽しいばっかりで何のストレスもない。「次、どうしようかな」って、常に本を読んでいるような感覚で楽しめるわけですから、精神衛生上はずっといいですよ。
――続編も楽しみですが、まったくの新作にも興味が湧きます。
池井戸 皆さんが待ってくださっているものは、すでに知っている世界。でも、僕の頭の中に入っていて、皆さんがまだ知らない、「こういうの、面白いと思うんだけどな」というアイデアが、まだまだたくさんあるんです。新しい挑戦ができるものなのか、オリジナリティーが出せるのか、小説にするまでにはいろいろとハードルをクリアしなければなりませんが、少なくとも作家としてはコロナを機に、さらに意欲的に取り組んでいきたいと思っています。
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