まずはすべての始まりである、夫の病が発症したときに、私が後悔したことについて触れてみたいと思います。
◆前日に大げんか。体調不良に気が付かず……
脳梗塞の兆候が見られる前日。ヘッドハンティングされて転職したばかりだった夫は、周囲の期待に応えるべく、毎日遅くまで仕事を頑張っていました。夫は私と23歳年が離れていたため、還暦手前の50代後半。人生最後の華を咲かせたい、という思いもあったのか、当時はかなり気張って仕事に励んでいたように思います。
その頃、毎日食後に夫が居眠りをするようになっていたので、夫とのコミュニケーションが減っていることを、私はずっと不満に思っていました。その日も話したいことがあったのに、話の途中で爆睡。いよいよ私の堪忍袋の緒が切れ、憤慨してしまったのです。
今から思えば、異常な眠気も脳梗塞の兆候だった可能性もあるのですが、まさかそんなことが起こるとは想像もしていなかった私。「いいかげんにして、もう知らない!」と夫に怒鳴り、朝まで冷戦状態になってしまいました。
しかし次の日の昼頃にさすがに大人げなかったと思い直し、夫へLINEで謝罪。すると、思いもよらない回答が返ってきたのです。
「昨夜は背中が痛く何度も起きました。今日は歩いているときに2回ほどめまいがして、言葉も少しおかしいので、病院に検査に行ってきます」
え? 背中の痛み? めまい? 言葉がおかしい??
もともと健康で体力のある人だったので、今までにない嫌な不調の連絡に戸惑いました。昨夜のくだらないけんかがストレスになって何か負荷をかけてしまったのだろうか、けんかをしていなければ、もっと早く不調に気づけたかもしれないと、大きな後悔と不安に包まれたのを覚えています。
◆街医者に誤診され、3日間も脳梗塞を放置
その日夫が行ったのは、かかりつけの街医者。夫はその医師をなぜか大変信用していました。症状を話すと「一応脳を見た方がいい」ということで、近場の検査機関を紹介されてCT検査へ。
しかし、のちによく調べてみると、急性期(発症したばかり)の脳梗塞を見るにはCTではなくMRIを用いるほうがわかりやすいことが判明。このときの医師の判断が、脳梗塞の発見を遅らせてしまったのです。
やはりCTでは脳梗塞を発見できず、むしろ「脳はきれいですね」ということで、夫は安定剤のようなものをもらってそのまま帰宅しました。
しかし、時間が経つごとに少しずつ右手と右足に力が入らなくなり、ろれつも回らなくなっている様子……。さすがに私も「これはただ事ではない」と感じ始めていました。
さらに、2日後の朝には右手に完全に力が入らなくなり、ペンも箸も持てなくなっていました。しかも体を支えられず起き抜けにベッドから転倒! 脳梗塞の急性期で転倒することは、脳の血管にさらなるリスクが生じます。今思うとゾッとしますし、何もなかったのは奇跡としか言いようがありません。
もうこれは絶対におかしい、ということで、再度大きな病院で検査をし、ようやく多発性の脳梗塞と診断されました。
◆後悔と自分の無力さを痛感
その日のうちに入院することになり、私は大急ぎで夫の着替えなどの荷物を持って病院に向かいましたが、その間も「無理にでも私がもっと早く大きな病院で検査するよう促せばよかった」と大後悔……。最悪な事態にはならなかったとはいえ、自分がなんの役にも立たなかったことに情けなさを感じていました。
この数日間で、人はいつまでも健康で明日も当たり前のように生きているわけではない、ということをまざまざと思い知らされました。年齢が離れていたため、いつかこんなことになるかもしれない、と想像していなかったわけではないですが、どこか他人事に捉えていたと思います。
この出来事は、夫との一日一日をこれまで以上に大切にしなければいけない、と肝に銘じ、自分の行動を思い直す機会となりました。
が、しかし。この時の私たちは、脳梗塞の再発さえしなければ日常をすぐに取り戻せる、と楽観的に考えていました。次々と発覚する、現実の恐ろしさを知る由もなかったのです……。
次回は、その後起こった脳梗塞の再発と後遺症、そして脳梗塞の原因となった重い病気の告知について振り返ります。
―シリーズ「私と夫の1063日」―
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