ネットでは「伊勢湾台風並み」の規模ともささやかれているが、どれほどの被害を生んだ台風だったのか?日本の防災対策の「原点」ともいわれる大災害を、写真と資料で振り返る。
5098人が犠牲に
内閣府の報告書によると、伊勢湾台風は1959年9月26日夕、紀伊半島先端の潮岬に上陸した「台風15号」を指す。死者・行方不明者数は全国32道府県で5098人に上り、台風による被害としては明治以降最悪だ。愛知県と三重県では高潮が発生。両県の犠牲者数は、全体の83%を占めるほど甚大な被害が出た。
名古屋市がYouTubeで公開している動画によると、伊勢湾台風は上陸後、6時間あまりで本州を縦断。富山市の東から日本海へと進み、北陸、東北地方の日本海沿いを北上し、東北地方北部を通って太平洋側に出た。愛知県の伊良湖で最大風速45.4m、名古屋市で37.0mを観測するなど、強い勢力のまま上陸した。
想定外の高潮
伊勢湾台風は、観測史上「最強」の台風ではない。日本に上陸し、観測史上最強・最大とされるのは、1934年の室戸台風だ。
室戸台風の上陸時の最低気圧は911.8hPa。伊勢湾台風と、1945年の枕崎台風と並んで「昭和の3大台風」と呼ばれる。伊勢湾台風は、台風のエネルギーとしては室戸台風の半分ほどだった。
なぜ「明治以降、最悪」といわれるほど深刻な被害を生んだのか?
報告書は、伊勢湾奥部の潮位が、当時の高潮対策の前提となっていた最高潮位を1m近く上回っていたことなどを指摘。「未曾有の高潮の発生と、臨海部の低平地の堤防決壊」により、室戸台風よりをはるかに上回る被害をもたらした、と解説している。
名古屋市の公式動画によると、停電により重要な情報源だったラジオが使えなくなったことも被害が拡大した原因ともみられるという。
防災対策の原点に
当時、災害が発生するたびに関連法が制定されていた。それぞれの法律との整合性が考慮されないまま運用されていたため、十分な効果が発揮できなかった。甚大な被害を出した伊勢湾台風がきっかけとなり、発生翌年の1969年に「災害対策基本法」 が制定された。災害対策全体を体系化し、総合的・計画的な防災行政の整備と推進を目的としている。
災害対策基本法は、防災計画や実施の責務の明確化、激甚災害への財政援助などを定めている。
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