2020年9月2日水曜日

             9月2日 編集手帳

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 かつて東京の下町にはイワシ売りが行き来していた。「あーら、イワシこい」。その響きは郷愁を誘うようで、例えば森高千里さんのCD「古今東西」(1990年)にもちらっと入っている◆売り声の源流は相当に古い。御伽おとぎ草子の一編に〈いわしかふゑい〉とある。「買おう」にかけ声のエイで、音にすればコーエーだろう。これが節回しを変え、何百年と続いたわけで、常に身近な魚だったことがよくわかる◆この秋はサンマの不漁が懸念されているが、そこにもイワシが関わっているらしい。水産研究・教育機構の資料にいわく〈日本近海でマイワシやマサバが増加した影響が考えられる〉。イワシに押され、漁場にサンマが来遊しにくい状況なのだとか◆サンマ好きならば「イワシ来るな」と文句の一つも言いたいところか。ただ、それならそれでイワシを味わう手だってある◆食通だった作家の吉田健一さんが71年、本紙寄稿でたたえている。塩焼きが一番だが、濃いしょう味に煮付けてもうまい。繊細でなくても豊かな味があり、〈鰯を食べて夢にふけることが出来なければ〉〈精神が衰弱しているのである〉と。

 
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 米国に「ビル・グローガンのヤギ」という古い童謡がある。活発なヤギが、干してあった赤いシャツを食べてしまう。飼い主のビルは、怒ってヤギを線路につなぐ◆千葉県佐倉市で5月、飼い主のもとから子ヤギが逃げ出し、京成線の脇の斜面にすみ着いた。市役所には「電車にひかれたら大変」「早く助けて」といった声が多く寄せられた◆とはいえ、急な斜面ですばしこいヤギを捕まえるのは難しい。近くには電車が行き交う。市はホームページで「ヤギは軽快に移動して斜面の草や木の葉を食べており、衰弱している様子はありません」と説明し、見守っていた◆先だってヤギの飼育業者らが2頭のヤギを現場に連れていき、子ヤギをおびき寄せて無事に保護した。3か月近くも独りで暮らし、寂しかったのだろう◆ビルおじさんのヤギはと言えば、列車が迫ると恐怖で赤シャツをはき出した。それが停止信号の赤い旗のようで、列車は止まったそうな。京成線の子ヤギも線路に落ちたりせずに済み、市民の願いが通じた。

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