2020年8月3日月曜日

現役時代は弟弟子・照ノ富士(左)の付け人を長く務めた元幕下・駿馬の中板さん(中板さん提供、撮影は昨年9月)© スポーツ報知/報知新聞社 現役時代は弟弟子・照ノ富士(左)の付け人を長く務めた元幕下・駿馬の中板さん(中板さん提供、撮影は昨年9月) ◆大相撲七月場所千秋楽 ○照ノ富士(寄り切り)御嶽海●(2日、両国国技館)
 30場所ぶりの復活Vを成し遂げた幕尻・照ノ富士の付け人を長らく務め、苦楽をともにしてきた元幕下・駿馬の中板秀二さん(38)はスポーツ報知に喜びの言葉を寄せた。
 照ノ富士関、優勝おめでとうございます。本当にシビれました。9日目にメールで「勝ち越しました」と連絡をくれましたね。再入幕に期するものがあったのだと思います。
 間垣部屋時代から、兄弟子としては、ちゃんと掃除をしなさいとか、身の回りのことを口うるさく言ってきたので、最初は僕のこと嫌いだったんじゃないかな。
 伊勢ケ浜部屋に移ってからは初優勝に大関昇進。そして両膝のけが、糖尿病…。どんどん番付が下がり、相当落ち込んでいました。「どうしたらいい?」と悩む照ノ富士関に、付け人としてもずっと考えていました。「やる気になれば上位に戻れる」とか、「僕らはどれだけ頑張っても幕下。あなたにはその(上位に戻れる)能力がある」と言い続けました。相撲は気持ちで取る部分が大きい。
 幕下転落が決まると「辞める」とか弱気な言葉も聞きました。勝てず、休場の繰り返し。ストレートに番付が落ちていった。奮起してもらうしかない。幕下に落ちたら関取と付け人の関係じゃない。「やらなきゃどうするんですか? もう待てないですよ」と突き放しました。付け人だった自分がずっとそばにいるのが、甘えになっているのではないか、とも本気で考えました。照ノ富士関が膝の手術後、序二段で復帰したのが昨年春場所。僕は翌夏場所限りで引退しました。
 いつだったか、苦しんでいた頃です。部屋の洗い物をしてくれたことがあった。とめましたが「やるよ」って。悔しい思いもして精神的に成長した。土俵に復帰してからは強かった。
 昨年の九州場所、僕のさがりを使って幕下優勝して関取復帰を決めてくれました。うれしかった。お守りにしてください。今回、5年ぶりの優勝には気持ちの強さを感じました。ねぎらいと同時に、あえて言わせてください。まだ復活の途中です。悔いの残らない相撲人生を歩んでください。
 ◆中板 秀二(なかいた・しゅうじ)1981年12月18日、石川・珠洲市生まれ。38歳。伊勢ケ浜部屋の元幕下・駿馬。飯田高(石川)、杏林大を経て間垣部屋に入門し、2004年春場所初土俵。1958年以降の初土俵の年長記録となる35歳2か月で幕下昇進。昨年夏場所限りで現役を引退。現在は、介護関係や相撲イベントに関わっている。現役時代は165センチ、112キロ。

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