2020年8月3日月曜日

戦争遺跡 適切な保存で後世に伝えたい


 戦争の惨禍を伝える貴重な遺産を後世にいかに伝えていくか。保存すべきものを適切に選別した上で、維持管理に知恵を絞る必要がある。
 戦前・戦中の軍事施設の遺構などは「戦争遺跡」と呼ばれる。全国に約5万件残るとされる。
 広島の原爆ドームが1996年に世界文化遺産に登録されてから戦争遺跡の文化財としての価値が広く認識されるようになった。
 今では約300件が、国や自治体の文化財として保護の対象となっている。資料館などを併設し、生きた歴史教育の場として活用されている例も少なくない。
 一方で、戦争遺跡の多くは戦後75年を迎え、開発や老朽化によって存続が危ぶまれている。
 まずは実態把握を進めることが大切だ。47都道府県のうち、戦争遺跡の包括的な調査を行い、全容を把握しているのは、沖縄県など数県にとどまる。各自治体は調査を急いでもらいたい。
 全ての戦争遺跡を残すことは現実的ではない。地震で倒壊する危険を避けるため、解体すべきものもあるだろう。遺跡の歴史的価値や保存・公開の是非について判断するのは容易ではない。
 沖縄県では、昨年焼失した首里城の地下に残る旧日本軍の「第32軍司令部ごう」を一般公開するかどうかが議論となっている。
 壕の総延長は1キロ以上に及び、約1000人が活動していたとされる。米軍の本土進攻を遅らせるため、南部に後退しながら持久戦を行う決定もここで下された。多くの住民を巻き込んだ沖縄戦の悲惨さを伝える戦跡といえる。
 内部は崩落の危険があり、公開されていなかったが、「首里城の再建に合わせて公開してほしい」という声が高まった。那覇市議会は壕の整備と公開を求める意見書を全会一致で可決している。
 県は検討委員会を設け、公開の適否を判断する方針だ。安全の確保や補強工事の費用などの課題を解決し、保存の道筋を付けられるかどうかが問われよう。地域住民の理解を得ることも大事だ。
 茨城県笠間市の旧筑波海軍航空隊跡は映画「永遠の0」のロケ地となり、注目が集まった。市が2018年に旧司令部庁舎を文化財に指定した後、民間団体が主導して資金を集め、保存を進めている。官民連携の参考例となろう。
 戦争を直接体験した人が今後さらに減少していく中で、戦争遺跡の重要性は増すはずだ。15日の終戦の日を機に、保存のあり方を改めて考えたい。

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