道端の庭木にセミの抜け殻がしがみついている。いつもながら、高野素十の句が浮かんでくる。〈空蝉やひるがへる葉にとりついて〉◆「うつせみ」との語は元々〈この世に生きている人〉、または〈現世〉を表していた。それが漢字表記で「虚蝉」「空蝉」とされたことからセミの抜け殻、ひいては無常という意味を帯びたらしい(大岡信著『うたの歳時記』)◆蝉時雨が降る盛夏の惨事が頭をよぎる。日航ジャンボ機の墜落事故からきょうで35年、520人の犠牲者を追悼し、空の安全を誓う日が巡る◆揺れる機中で記された遺書を思う。〈本当に残念だ きっと助かるまい〉〈みんな元気でくらして下さい〉。命を断ち切られた乗客らの無念を日航だけでなく航空業界全体が改めて銘記し、安全意識の徹底と継承という終わりなき道を歩きつづけねばならない◆もうひとつ浮かぶ句がある。〈空蝉の両眼濡れて在りしかな〉(河原枇杷男)。毎夏、墓標が立つ御巣鷹の尾根へ登る遺族らの、いまも変わらぬ胸中でもあろう。
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