日航機墜落35年 遠き御巣鷹 3人娘思う 「近づける場所」登山断念
520人が犠牲になった日航ジャンボ機墜落事故から35年。墜落現場の「御巣鷹の尾根」(群馬県上野村)で12日、遺族らが鎮魂の鐘の音を響かせた。ただ、今年は新型コロナウイルスの影響で慰霊登山を断念した人が少なくない。事故で亡くなった3人の娘に「一番近づける場所」と信じ、尾根に毎年登り続けてきた兵庫県西宮市の田淵親吾さん(91)と輝子さん(86)夫妻は、やりきれない気持ちを抑えながら、自宅でそっと手を合わせた。
自宅の書棚に、花で飾られた3枚の写真が並んでいる。陽子さん(当時24歳)、
「おはよう」。12日朝、田淵さん夫妻は写真に声をかけ、仏壇に線香を上げた。「お姉ちゃん(陽子さん)はしっかりしていたね。満ちゃんはお父さん似。純ちゃんは顔が少し細いの……」。3人が一緒に写った写真に手で触れながら、輝子さんが語り始めた。
陽子さんは高校卒業後、司法書士事務所に就職。当時、経営する工場の仕事が忙しかった両親に代わり、妹2人の面倒をよく見ていたという。姉のことを満さんと純子さんもよく慕っており、輝子さんは「いつも3人一緒やった」と目を細めた。
娘たちに会いたい一心で、夫妻は事故の1か月後から、まだ登山道もなかった尾根を登った。その後も年に3度は足を運んだ。輝子さんは近年、けがや体調不良で行けないことがあったが、親吾さんは卒寿を迎えた昨年も両手につえを持って墓標までの道を歩いた。
しかし、今夏は事情が違う。コロナウイルスの影響のほか、昨秋の台風で登山道が大きな被害を受け、仮復旧したとはいえ高齢の体には危なく思えた。親族とも話し合い、初めて命日の慰霊登山をあきらめた。
「親だったら、登りたいと思う。35年たっても関係ない」と輝子さんは悔しさをにじませる。親吾さんは「みんなに迷惑はかけられない」と話すが、苦渋の思いは同じだ。
夫妻に代わって、今月2日には親吾さんの弟の
数年前から親吾さんには認知症の症状が表れ、時折、自宅の場所も忘れてしまう。けれど、娘の話になれば「私の自慢だよ。それは今でも変わらん」と目を輝かせる。写真の3人を見つめながら、「やっぱり、命ある限り登りたい」と語った。
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