2020年7月17日金曜日

 7月に入ってから東京都で新型コロナウイルスの感染者数が大きく増え、それが地方にも波及しつつあるように見えます。これをコロナの第2波だと言う人もいますが、それが正しいかはともかく、大事なのはそれが自然発生的に起きたものではなく、むしろ小池百合子東京都知事と西村康稔経済再生担当大臣という、2人のコロナ対策責任者が引き起こした「人災」ではないかということです。

小池都知事のひどい無策ぶり

菅義偉官房長官が明言したのに対して小池都知事はムキになって反論していましたが、4日連続で200人を超え、7月16日には286人と過去最多となるなど、東京都での感染者数が圧倒的に多いことを考えると、7月に入ってからの感染者数の増加が「東京問題」であることに疑いの余地はありません。
 それではなぜ東京都で感染者数が激増したのかと考えると、結論として、小池都知事が6月以降、大した感染防止策を講じなかった影響が大きいと言わざるを得ないのではないでしょう
 そもそも、5月25日に国の緊急事態宣言が解除された後は、感染防止のための対策を講ずべき一義的な主体は都道府県知事です。緊急事態宣言のような全国一律の対応が必要な段階が終わった以上、地域ごとに感染状況が異なることを考えれば当然のことです。だからこそ、5月25日に開催された政府対策本部で配布された「基本的対処方針(案)」でも、さらなる対策の主体としては都道府県知事が想定されています。
 ところが、東京都は緊急事態宣言が解除されてから最近に至るまで、ほとんど新たな感染対策は講じてきませんでした。「東京アラート」という愚策以外では、6月上旬頃から歌舞伎町のホストクラブやキャバクラなど、いわゆる“夜の街”での感染者数の増加が指摘され出したにもかかわらず、記者会見で「感染要警戒」というパネルを掲げて注意喚起する以外は、“夜の街”で働く人にPCR検査を受けることを推奨したくらいです。
 しかし、働く人だけで、客にPCR検査を行わなかったら、感染防止策としてはあまり意味がないのではないでしょうか。“夜の街”の客で感染した人が市中感染を広げる可能性は十分にあるからです。時系列的にも、まず6月上旬から“夜の街”での感染が増え出し、7月になって“夜の街”以外での感染が増えて東京全体の感染者数も激増しているというのは、初動段階で“夜の街”での感染拡大を防げなかったからではないかと思えてしまいます。
 そう考えると、“夜の街”で客にまでPCR検査を広げるのが難しかったのなら、クラスターとなったホストクラブやキャバクラを休業させるべきでした。しかし、休業協力金を払う財政的余裕がないからなのか、そうした必要となる対策は何も講じませんでした。
 ちなみに、感染対策が手薄になった証左として、東京都の対策本部の開催状況を見ると、緊急事態宣言解除までは週に1度程度のペース開催されていたのが、6月になると2、11、30日と3回しか開催されていません。6月上旬から“夜の街”問題が騒がれ出していたのに、11日から30日まで対策本部は開催されていないのです。
 小池都知事は、4月上旬に独自の感染防止策を講じようとしたら政府に介入され、“(知事の)権限は社長かと思ったら、天の声がいろいろ聞こえて中間管理職になった”と発言しています。
 その頃はそれくらい感染防止策の策定に前向きだったのが、7月上旬に会見で再度の休業要請について問われると、「国の再度の緊急事態宣言を行われた場合、改めて判断が必要」と、以前と真逆の受け身の姿勢になっていました。こうした状況を見ても、緊急事態宣言の解除後は、最近になって感染者数が激増するまでは新たな感染防止策を主体的に講じる気がなかったことが分かります。
 7月上旬に新宿区がPCR検査の受診を促すために「感染者に10万円支給」、豊島区がクラスター対策として「休業要請に応じた店に50万円支給」と、区が独自の感染防止策を打ち出しています。それは逆にいえば、それらの区の“夜の街”で感染者が激増しているのに、東京都が何も感染防止策を講じないので、やむなく区が独自にやらざるを得なかったということだと思います。
 小池都知事は今になって、「区の独自の取り組みを都が支援する」といった趣旨の発言をしていますが、本来は東京都が感染防止策を講じる主体なのです。かつ、新型インフルエンザ特措法上は、知事に市町村の対応の総合調整を行う権限があるにもかかわらず、新宿区と豊島区が異なる取り組みをしているのを放置しているというのも、無責任極まります。

“規制”より“推進”を優先した西村大臣

ただ、小池都知事だけを責める訳にいかないのも事実です。政府、特にコロナ対策の担当大臣である西村大臣にも大きな責任があるからです。
 政府は緊急事態宣言解除以降、「感染拡大の防止と社会経済活動の維持の両立」の実現を目指していますが、5月25日以降の政府の対応や西村大臣の発言などを見聞きすると、感染防止と経済活動のバランスを取るどころか、明らかに感染防止より経済活動の方に力点が置かれていました。6月上旬以降、東京で“夜の街”の問題が顕在化していったにもかかわらずです。それは結果的に、「緊急事態宣言解除後は経済優先」という誤ったメッセージを国民や地方の首長に対して送ってしまったことに他なりません。
 実際、例えば政府の対策本部の開催状況を見ると、5月までは頻繁に開催されていたのに、5月25日に緊急事態宣言解除を決める対策本部が開催された後を見ると、6月は表面上3回開催されていますが、そのうち2回は“持ち回り開催”(配布資料をメンバーに配布するだけ)なので、実質的には1回しか開催されていません。
 そして最悪なのは、西村大臣が6月下旬に、コロナ対策の専門家会議を廃止して、感染症の専門家のみならず経済学者や自治体首長などを加えるという、ごっちゃの構成の分科会を新たに設置すると表明したことです。
 これがいかに最悪な対応であったかは、原発問題を考えていただければ分かるのではないかと思います。
 福島第一原発の事故が起きた後、経産省という一つの組織が原発の規制と推進の両方を行っていたことが厳しく批判されました。同じ一つの組織で規制と推進をやっていては、特に電力業界を所管する組織でそれをやると、当然ながら推進の方に力点が置かれ、規制が緩くなるからです。
 そこで、今は原発の規制は環境省(原子力規制委員会)、原発の推進は経産省という形で、規制と推進の権限が別の組織に分けられ、両者をバランスよく進められる体制になったのです。
 この原発問題との対比でいえば、西村大臣が行なった専門家会議の分科会への衣替えというのは、感染拡大の防止という“規制”の専門家の組織に、経済活動の再開・拡大という“推進”の専門家である経済学者を入れたに等しいといえます。
 もし感染防止と経済活動をバランスよく両立させたいなら、本来は、感染症専門家だけで組織された“規制”を検討する専門家会議は維持し、それに加えて、経済学者などが経済活動の“推進”を検討する会議を別に新設し、官邸なり西村大臣が両方の独立した意見を踏まえて、感染防止と経済活動をバランスよく進められる体制にすべきでした。
 そうした当たり前のことを無視し、明らかに間違った組織替えをやってしまっては、感染防止という“規制”と経済活動の“推進”をバランスよく進められるはずがありませんし、何より、政府は感染防止よりも経済活動の方に舵を切ったと受け取られて当然です。
 なお、この観点からは、経済政策を担当する西村大臣にコロナ対策の担当を兼任させた官邸の判断自体も、1人の大臣、特に本務が経済で経歴も元経産官僚と明らかに“推進”の側に偏った大臣に、“規制”も担当させたという点で間違っていたといえます。
 いずれにしても、政府がこのように感染防止よりも経済活動の再開・拡大に偏ってしまっては、世論や政府の風を読むことに長けた小池都知事が、緊急事態宣言解除以降は感染防止に関して無策であったのも止むを得ないのです。

いかにこの人災を乗り越えるべきか

以上から明らかなように、7月に入ってからの感染者数の激増は、基本的には小池都知事の無策と西村大臣のバランスを失した対応による人災と言わざるを得ません。
 7月16日になって、赤羽国交大臣がGo Toキャペーンから東京発着の旅行を対象外にする考えを表明しました。これはある意味で、特に小池都知事の無策のツケを、東京都民と東京の観光に関連する事業者がもろに負うことになったといえます。もし今後さらに全国レベルで感染者数が増加して、万が一にもまた緊急事態宣言となったら、全ての国民や企業が、この2人の人災のツケを負うことになるのです。
 だからこそ、東京の市区町村の首長には、都知事は頼りにならないと思って感染防止のための独自策をどんどん講じてほしいです。また、東京以外の他府県の知事は、東京を反面教師に、これまで以上に知事が率先して感染防止策を講じないといけないと意識するべきでしょう。そして最後に、官邸は今の政府の体制で本当に感染防止と経済活動拡大をバランスよく実現できるのか、よく考えてほしいと思います。
(慶應義塾大学大学院 メディアデザイン研究科 教授 岸 博幸)

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