8月4日 よみうり寸評
真夏日は本来気象用語ではない。最高気温30度以上の日という気象庁の定義づけが〈不快感を伴う言葉にしてしまった〉と嘆いたのは、文芸評論家の山本健吉である◆自著『ことばの歳時記』で比すべき歌を挙げている。〈真夏日のひかり澄み果てし浅茅原にそよぎの音のきこえけるかも〉(斎藤茂吉)。確かに同じ言葉が野草のそよぐ音しかしない寂寥 をまとって心に染みる◆炎天下の被災地も寂寥の念を帯びているのだろう。九州を中心とした豪雨災害からきょうで1か月を迎えた◆濁流にのまれ、土砂に埋もれて亡くなった方々の遺影が本紙朝刊に載っている。「寂しい」「笑顔を忘れない」「もっと話がしたかった」…家族や友人、隣人を失った人たちが寄せた言葉が切ない。備えても備えても、想定を超えていく自然の猛威が改めて迫ってくる◆避難生活においても自然は過酷である。ウイルス禍に加えて熱暑がつづく。真夏日どころか、猛暑日の地域もあろう。辛苦を乗り越え、暮らしに光差す日の訪れを切に願う。
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